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2011.3.11

話題:地震

数十分お父さんと話して、津波がきた時家にいたらたぶん大丈夫だろッて何回も話して結局何も解決せずに終わった。


その後弟のアパートに着いて弟もお母さんの安否が不明なままで、たぶん大丈夫だと思うッて二人で何回も話して1時間以上立ち話をして、弟も食料がないかと思って旦那さんと食料を渡して帰宅…

弟と話したのもあって、気分転換になった気がした。

旦那さんが帰り道会社に様子を見に行くッて言うから車で待機してたら、今から仕事になった…と旦那さんは、仕事へ。

一人で家にいるのは嫌だった…
家ではやっぱりお母さんへ電話。永遠にセンターへメール受信を繰り返していた。電波も良くなくてまた圏外だよッて思っていたら、突然電波が入り、1件のメールを受信した…

メールを見ると題名に、○○です。ッて親戚のお姉さんの名前が入っていた…

内容は、
今日○○に行ってきました。○○チャンも無事でした!家は全壊で…
などの内容でした。

○○チャン→お母さん


メールを見た瞬間声をあげ号泣しました…


お母さんが無事だった!!無事だった!!
無事だった!!


夢か現実か訳分からずに何回もメールを読み返して、嘘じゃないよね?ッて何回も何回も確認した。

その後家が全壊ッて事実が受け止められず、海からの距離がある実家…

なぜ?

あんな立派な家を飲み込まれたなんて両親が可哀想で可哀想で…

涙がずっと止まらずにいた。


その後すぐお父さんに電話をし弟には繋がらず、とりあえずメールをしておいた。

2011.3.11

話題:地震

とにかくお母さんの安否が分からずただ頭が真っ白に…

街が津波に飲み込まれてるなんて想像もつかなかった…

ただ泣くだけの私に旦那さんは、大丈夫?ッて声をかけてくれたけど、頷くしか出来ず、映像も見たくなくて部屋に戻ってそれからずっと永遠に電池がなくなるまで、お母さんに電話をかけ続けた。

その日もあっという間に暗くなり暗闇に…

私には側に旦那さんがいてくれたから心強かった。いなかったら、ますますおかしくなってたはず。

翌日も仕事がある予定だったから寝ないといけなくて、停電も続く中、服のまま布団へ…

やっぱり夜中何回も目を覚ましそのたびに電話が繋がるかもッて思いで電話をかけたけど全然ダメだった…

翌朝仕事だなッて思っていたら職場から電話がありしばらく休診するとの事で、その日から休みが始まった。

携帯の電波も悪くメールもセンターに蓄積されたまま受信が出来ずにいた。

メールの中にお母さんからのメールがあるかもしれなくて、何回も何百回も問い合わせしたけど、やっぱりダメ…

もう精神的におかしくなってきていて、どうしたらいいか分からなくて…
ガソリンないけど、弟のとこに行こうッてコトになり旦那さんと外出した。
旦那さんが運転でいつもと違うルートで弟のとこに向かった。

街を通って行ったら、なんと街の方は電気がついてるとこもあって、もしかしたらメール受信するかもッてセンターに問い合わせしたら、受信出来た!

メールは20件以上ありほぼ友達だった…

大丈夫?
連絡くれ〜!!
お願いだから連絡下さい!!

ッて内容ばかりで、号泣してしまった…

こんな心配されてたなんて…

その後にお父さんに電話が繋がるかもッて思いで何回かかけたら繋がってようやく話すコトが出来た!

父もお母さんと連絡がつかずに、津波も凄かったコトもあり地震当日大丈夫だろッて軽く考えていた父とは違ってさすがに心配してた。

普段は長く話したり電話したりしない私達だけど、しばらく話した。

地震の後に父にお母さんから着信があったとセンターからお知らせがきていたと。

それは津波がきたあとなのか津波の前なのか…

2011.3.11

話題:地震

翌朝早く目が覚めて結局夜も寝れなかった。時々お母さんに電話してみたけど、やっぱり繋がらなくて…


朝から何回もかけたけど、繋がらず…

12日は午前だけ仕事の予定だったから一応支度をしてとりあえず行くコトに。正直行ってる場合じゃなかったけど行くしかなくて…

旦那さんはガソリンもないし会社とも社員とも電話が繋がらず行けないから休むコトに。

12日はガラガラで誰も患者さん来てなくて病院の向かいにあるスーパーがあって、みんなで行こうッてコトになり渋々ついて行った…

スーパーは駐車場でカップヌードルや飲み物などを凄い勢いで販売してて何を買ったらいいか分かんなくて、とりあえず保存食を適当にカゴに入れてみんなとレジに並ぶコトに。

レジも長蛇の列でお会計まで1時間半かかって買えた。私的には、まだたいしたコトないッて頭だったから大量に買わずとりあえず買った感じで、また買えばいいやッて。

買い出し中もお母さんに電話するも繋がらず。

さすがにだんだんおかしくなってきてる時でした…

スーパーから病院に戻って数人来ていた患者さんのカルテ処理をして帰るコトに。

家に戻ると地震でグチャグチャになった部屋が明るくてよく見えた…
本当に酷かった…

前日から何も口にしていなかった私は食べないとダメッて言われてお昼を食べてから旦那さんと部屋の片付けをした。

片付けしたら少しだけ気分転換になってちょっとだけ口数も増えた気がした。

それから携帯の充電もないし旦那さんの車でテレビを見ながら携帯の充電をするコトに。

その前に携帯ニュースで仙台で200、300体の遺体があがったと聞いて、さっぱり意味が分からず、え?なんで?
ッて旦那さんと話していました。

旦那さんは何回か友達とは電話が通じて色々情報を交換してたけど、友達もみんな停電だし情報と言う情報もなく…

車に行きニュースを見た時に唖然とした…

津波がきたと…
沢山の人が流されたと…

耳を疑いニュースに映し出される映像に目を疑いました。

何コレ…

地震から初めて知ったこの津波…
初めて見た…
しかも私の地元…

映像を見た瞬間涙が溢れて止まらずにただずっと泣いていた。

お母さんは?

2011.3.11

話題:地震

待てど待てど旦那さんは帰宅しない…

何回か電話で話して今帰ってる途中だと。ただ超渋滞だッて…

なぜか旦那さんにだけは電話がすぐ繋がった。でもお母さんは未だ繋がらず…

何時間か待ってるうちに日も暮れ本当に真っ暗闇になった。

まだ帰って来ない。いくらなんでも遅いし暗くて寒くてとにかく怖い…

ご近所さんは避難してる人も多々いたようだった。

3時間かけ旦那さんようやく帰宅…

とりあえず安心して、連絡ついたか聞いたけど、やっぱりダメッて。

旦那さんは地震中に電話をかけてくれたらしく、それでも繋がらなかったと言う…

家にいても怖いし、とりあえず車走らせて様子見ようッてコトになり、コンビニの駐車場へ。

コンビニに向かう途中で、弟から電話がきたが、私が運転中だったから旦那さんに取ってもらい、無事を確認してもらった…

やっぱり弟もお母さんには電話が繋がらないと言ってた。

コンビニの駐車場に着いてそこから東京にいる父に電話をしたら繋がった!
お母さんとはやっぱり連絡つかないッて言う。父は大丈夫だろツて軽く言ってた。

公衆電話からかけても繋がらず、不安がますますつのっていった。

とりあえずしばらくコンビニの駐車場でエンジンをつけたまま過ごし家に戻ろうッてコトになり自宅へ…

やっぱり暗闇…
部屋が荒れ果てているから中に入るのも嫌だった。仕方ないから毛布を持って車で寝るコトに…


しばらくすると雪がチラチラ…
本当に寒かった。エンジンつけたり消したりを繰り返し過ごしていたけど、やっぱり家の中に入ろうッてコトになり寝ていた旦那さんを起こし、部屋の中へ…

寝室は被害もなく寝れる状態だったから二人で服や上着を着たまま寄り添って眠りについた。

2011.3.11

話題:地震
この日は生涯忘れるコトが出来ない日になった…

仕事のお昼休憩が終わり私は窓口に行き受付開始しようとした瞬間…

携帯からサイレンの様な初めて聞く音がいきなり鳴り始め訳も分からずいた瞬間、地震。

しかも半端じゃない。ただ立ってるのが精一杯だった私はなすすべもなく窓口にいた。

スタッフにそこは危ないからこっちに気な!!と言われ涙目になり玄関付近へ…

全然終わらない地震。まさに恐怖で足が一歩も動かずただ地震がおさまるコトだけを祈っていました。

あの時間はとてつもなく長く感じた。本当に死を感じた瞬間でした。

その後スタッフに肩をたたかれ頭をたたかれ安心した。

地震後すぐに停電になり家族に連絡をしたが繋がらず一応仕事中だったから、少ししたら、またかけようッて軽く考えていた。

こんな状態では診療も不可能と言うコトになり、夕方帰るコトになった。

地震から落ち着いた頃何回か家族に連絡をして、旦那さんとは繋がりお互い無事を確認したが、お互い私の母親とは連絡がつかない…

旦那さんに連絡を続けるように頼んで私も連絡を続けた。

弟にも繋がらずとりあえず家族にはメールもしておいた。

職場から出ると大渋滞。いくらなんでも混みすぎだな〜ッて考えで走っていると信号機も停電で尚更渋滞…

いつも15分くらいで帰れるのに、結局その日は1時間半くらいかけ自宅に…

帰り道お店は全て閉店しガソリンスタンドも閉店し水道管が破裂したのか道路によっては水が凄い勢いで溢れていた。

自宅に着くと食器は落ちグラスは割れタイヤも崩れ棚も倒れていた。

日も暮れ停電で暗くなる中片付けは無理だった。旦那さんの帰りを待っていた…


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