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無題

いつの間にか、相手に都合のいい人間になろうとしてた。誰にだって、プライベートだって仕事だって、都合のいい自分でいることができたら、相手にとってもいい人間でいれてるのかと思ってた。
でもそれは本当の自分じゃないし、相手のためにもならないし、誰も成長できないんだなって思った。

今、会社では、だめなことはだめって言えて、そうじゃないことは可能な限り実現しなくちゃいけないような仕事をしてる。ただ、断らなきゃいけないことのほうが圧倒的に多いけども。
流され続けた自分の人生の中じゃ極めて異質な環境だけれども、こーいうの知らないといつまで経っても甘さが抜けないんだろな。
誰に対しても必要な厳しさを持たなくちゃいけないんだって、うすうす気付いてたけど、本当に必要なことだってわかったよ。
それでも、優しさを忘れない自分でいたいな。言ってみただけ。相手のだめなところも含めて好きになるって間違いなのかな。よくわかんない。

無題

押してだめなら引いてみろっていうけど、押してだめなら引いてもだめなんだよね。
いつの間にか押し方も忘れちゃって、何もできなくなっちゃった。

無題

いろんな人がいて、いろんな人がいろんな人生を歩んでいて、自分より魅力的な人生がいっぱいある。
その中で、憧れながらも自分じゃ同じようにできないと思う人生がある。それは良い意味でも悪い意味でもある。それが良いことか悪いことなのかもわからないけど。

例えば、学生時代に自分の楽しみを犠牲にして、医者とか弁護士とか、一般的に良い職業についた人がいる。自分にはそんな生き方はできなかったし、そうしなかったことで得た物もある。
例えば、学生時代に自分の楽しみを優先して、人とのかかわり合いを大事に生きた人がいる。同じく自分にはできなかったし、そうしなかったことで得た職業とか今の立場がある。
それを羨ましいと思ったって今さらその立場は手に入らないし、自分はそれほどの価値もないし。
だから、自分は異端なんだって思うこともあるけれど、それってそんなに変なのか。
一部の人間が自分の目指した方向に進めて、それを眩しい存在として見てるけど、だいたいの人はそうなんじゃないのかな。
大事な人がいたり、大事な物があったり、それだけで十分生きる意味があるし、誰も笑ったりしないと思う。
そういうの一個も持てなくて、何のために生きてるかわかんなくて、毎週末に体調崩して熱出して、何にも向かっていけないこんな自分なんかより、よっぽど輝いてるんじゃないかな。

なーんて、酔っ払いの言葉だけどね。
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無題

今日は22時まで仕事してそのあと飲みに行った。
どう考えても帰るしかないやろって状況でも、「終電まであと1時間40分もあるし」って飲みに行っちゃうところが僕たちのアル中具合を物語ってるよねー。
会社の最寄り駅から終電で帰る時は途中で急行に乗り換えれて、家の最寄り駅のほんとの終電より30分早い電車に乗れるんやけど、ぼけーっとしてたら乗り換えの電車行っちゃって結局ほんとの終電になっちゃった。
こういうわずかな気の緩みが積み重なって今のろくでもない自分を構成してるのかなーと思うけど、くそ真面目な堅物になるよりはマシかもねって思うようにしてる。
度を越えない失敗は愛嬌のもと!でも、おっさんにばっか可愛がられてちゃーいつまでたっても独身のままやなー。
かわいい人間でいたいな。かわいいくそじじいになりたい。
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