スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

リアルではっきりした夢

マンゴータルトと香り高い珈琲であなたを癒やしたい…


アロマ珈琲は24時間営業中です。
いつでもいらしておくつろぎくださいね



さて。時々私、すっごくリアルではっきりした夢を見るんですよ。

私は朝、シャワーを浴び、温かい湯船につかるのですが、朝見た夢があまりにもインパクトがある場合、湯船で目をつむってもいろいろ細部まで思い出され、しばらく「なぜあんな夢を見たのだろう」とか、あるいは更につっこんで細部まで思い出したりしてしばらく味わって時間をとったりするのです。


私は年に1、2回職場をズル休みするのですが(マジか)、その原因はこうした夢にあったりするのです。夢見がわるかったとか夢の内容があまりにリアルですごかったとか。

それほど衝撃的で現実の行動に影響を与えてしまう夢を見ることがある。

その面で、私は夢に運命を変えられている場合があると言える。


それにしても、夢って不思議ですよ。

以前に何度か記事にしたのですが、夢で出た数字とか名前の画数が当日のロト、ミニロトの当選数字の殆どを網羅していたことがある。

あと、予知夢みたいなこともある。


皆さんはやっぱりリアルな夢とかインパクトのある夢とかを見ても、ふつうはそれっきり気になさらないものですよね。お忘れになるものですよね。

私のように夢によって行動とか思考に影響を与えられるのも、ちょっと考えものかもしれないな…とか思っているのです。


雑談でした。

いかにストレスに打ち勝つか

ブリュッセルワッフルのフルーツ添えです。

貴婦人に例えられるモカマタリ、ウェッジウッドのピンクのカップでどうぞ



さて。

今日は家から一歩も出ずに掃除したり昼食とかデザートつくったり、カフェ本眺めながら珈琲堪能したり、晩ご飯つくったりして過ごしたんですけど(主婦かっ(笑))。

ストレスゼロ、動悸も起こらないし不安感も出ないし、大変すばらしい1日だったんですよ。


思えばあの平日の、職場に向かい、職場で立ち回っているときのあの不安感は何なのだろう。


やっぱり職場ではリラックスできない。

いつもハラハラしている。

仕事で殆ど全くといっていいほど失敗はしたことがないのに、いつも失敗するんじゃないかとか、自分に自信がなくて不安。

仕事の出来上がりはいつもパーフェクトだと思っているし上司もそんなことを言っている。

その信頼を傷つけたくなくないから、傷つけたらどうしようということから仕事、職場がこわいのかもしれないな。


レベルはぜんぜんちがうけど、期待を裏切らないイチローとかダルビッシュとかってすごいなと思う。


私の仕事に対する姿勢の理想はゴルゴ13。
彼はスナイパーで「それが仕事といえるのか」とか堅いことは抜きにして、彼のように冷静にパーフェクトの仕事ができるのが私には理想。

彼は「ウサギの神経とライオンの心臓を持っている」と言われる。


彼が実在しているとしたら、どうやってストレスに打ち勝ち冷静に完璧な仕事をしているのだろうか。

それはやっぱり、訓練なんだと思う。


そう言えば、ソフトバンクの孫正義さん語録に「学生時代に自分ほど勉強した者はいない。それは物理的に無理だから。」というのがある。

孫さんは学生時代に寝る時間以外の殆どの時間を勉強に充てたそうだ。

孫さんの仕事の成功は圧倒的実力プラス圧倒的努力、あとそれで形成された圧倒的自信が支えているのだと思う。


どうやってストレスに打ち勝つか。


連休中に納得できる答えを出したいと思っているボスでした。

遅ればせながら断捨離など

にしんそばですがいかがですか

それにしても今使っているATOKって「にしん」ということばを使ってないと「にしん」を「ニシン」とか魚のにしんとかに変換してくれないんですね。滲ん、とかの濁点まじりになる。第一魚のニシンが出ない。なんかガッカリ。


とかどうでもいいことを述べているボスですよ。


さて。題名の断捨離についてなんですが。

じつは私は一年半ほど前には断捨離ということばの意味がわからなかったんですよ。
最初聞いたときは仏教用語かと思ったりして。舎弟とかのたぐいの。

で、知りました。意味を。

断つ、捨てる、離す、なんですねいろいろな意味で。

単に「掃除して捨てるものは捨てて整理整頓」でもいいのではと思うのですが。
断捨離、というとかっこいいんでしょうね。短いことばだし。

それなら一言で「潔」でもいいかも。清潔、簡潔、潔く、で「潔」。

なに?これだと意味がわからないですと。

うーむ。



さて。

今回の記事にはあまり重い意味がないのです。

連休中には断捨離というものをやろうかなと。
世の中はこれ流行ってるんですよね。

私も遅ればせながらやってみようかなと。

いろいろな意味で。


とにかく捨てる。


部屋なんか、好きなもの以外スキッとさせたい。

床の間にお軸と花一輪とか。

あとはなんにもなし。



すばらしい。潔い。


とにかく、ここ数年開いたことのない本、使ったことのないモノはかたずけようと思う。


呼吸みたいに、何かを吐き出せば何か新しいものが入ってくると思う。

それを無心にやるには連休中が最適だ。


そうしよう。

苦い日々

ほんのり甘い桜の味のババロアです。

今日の記事は苦いので、あらかじめお召し上がりくださいね





ドゥム



フー‥



仕事を終え駐車場の愛車に乗り、ドアを閉めたときの静寂が好きだ。


ホッとする。


思えば朝、車で職場に向かっているときから動悸がしてくる。


私にとって職場は緊張の連続。

いつ地雷を踏むかのような緊張感がある。


しにはしないというのはわかっているけど、あの緊張感は何なのだろう。


気が抜けないし、気を抜くととんでもない落とし穴に落ちたり、ばちがあたったりする気がしてならない。

強迫観念みたいなものがある。


これは病かもしれない。


昔から、いいことがあって喜んだりうれしそうにしていると事態は急展開した気がする。

うれしそうにしているとなにかわるいものが羨ましがってじゃまするのだと心から思っていた。


だから、昔からいいこと、うれしいことがあってもはしゃいだりうれしがったりは決してしないようにしていた。


だから私はいいことがあっても期待はしない。心からよろこばない。よろこべない。

同時に、世の中常に順調に行くとは思っていない。

必ずわるいことがあちこちに潜んでいると思っている。


いつもこわい気持ちがある。


だから、職場でもいつも悲観主義。


悲観主義でいて、わるいことがおこらなかったらもうけもの。

わるいことがおこったら、「やっぱりな」と思う。



私が好きな大藪春彦のある作品の一節にこんなことばがある。


「絶望という苦杯を舐めるよりは初めから何も期待しないほうがましだ」


私の気持ちを表しているようで忘れられない一節だ。

珈琲で極楽世界を楽しむ

今日の珈琲はイタリアンローストのマンデリン。
カップはロイヤルコペンハーゲンのフルレース。

ユーハイムのバウムクーヘンでお楽しみください



さて。私は晩ご飯後には珈琲を特別丁寧にドリップするんですよ。

珈琲はネルで淹れるときもあるしペーパーで淹れるときもある。
それぞれに味わい深いものがあるんです。


で、イタリアンローストの珈琲を丁寧に淹れた時には、珈琲の泡が宝石のようになるんですよ。


泡じたいは最初は「ふわっ」と柔らかく、泡というよりホイップクリームみたいに盛り上がるんですが、3回目の注湯の時あたりにそうしたきめ細かな泡の粒がふた回りほど膨らんで、それらが小さな小さなシャボン玉の集合体みたいになるんですよ。


で、これに目を近づけていくと、目の焦点がぼやけていくんですが、そのときに、玉の集合体は、それはそれはきれいな世界に見えるんです。


青や緑、紫、赤、様々な淡い光の玉の数々。それらの光が重なっていて。しかもそれらの色がだんだん変わっていって別の色になっていって、それがいっぱいあって、それはそれは夢のような美しい世界なんです。


そして珈琲粉はふつふつとささやいている。私に語りかけてきている。


そして、立ち上っている馥郁たる香り…



こうして夜、静かに珈琲を抽出するのが私はほんと楽しみなんです。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2012年04月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
アーカイブ