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励みの拍手コメ

画像はアップルパイ。

たまにこうしてアップルパイをいただくと罪悪感をかんじる。

はー、どうなっちゃってるのだろう。




ところで。

こうしてブログ、ひっそりと綴っていると、「こんなひっそりブログ、見てくれている方っていらっしゃるのだろうか」と、なんとなくさみしくなりますよね。


じっさい私自身、ほかのブログを見るためにあちこち動くこともしないんですよね。


自分自身、そうした人間なのに、さみしい、なんて言えばわがままなのかもしれない。
いや、わがままだと思う。


ではなぜ他のブログを見て回らないのか。


それは、マスターたるもの、あまり外に出られないからです。

私はここのブログ、私にとってのお店だと思っている。

で、私はここのマスター。


お客さんがいらっしゃり、おいしいものとかを提供し、軽いお話をして、それで運営している。

あんまり出歩かない。



でも、お客さんがいらっしゃらないと、さみしい。

お客さんがいらっしゃってくれているのか、いないのか、あまりよくわからない状況もあり。



こうした状況。


ただ、拍手欄にコメントとかあれば、うれしい。書く気持ちにもなる。書き甲斐がある。



最近はこうした、たまに、たまーにいただく拍手コメが私のブログを支えているような気がします。

豆腐サラダで物思い

画像は豆腐サラダ。

お食事の最初にいただきます。



とうとう11月になる。

ダイエットが進まない。ぜんぜん。


人は糖質制限ダイエットというものを一生続けることができるのだろうか。

世の中には、おいしい糖質があふれている。

糖質とは、炭水化物から繊維質を除いたもの、と定義される。

だから私の中では、糖質でも炭水化物でもどちらでもいいのですが、この糖質、炭水化物を、人は一生、かなり制限して暮らすのは可能なのだろうか。


端的に言えば、ご飯を制限し続けて暮らして行けるのだろうか。


私はお寿司が大好きなんですよね。

で、たまにむしょうに食べたくなる。


糖質制限ダイエットをしていて、そうした中で、お寿司を食べたとする。

すると、食べた分、そのまま太るんですよ人って。

だから、糖質・炭水化物制限ダイエットは一生続ける気持ちを持たなければ挫折するダイエットなんですよ。


ところで、昭和40年代ころまでは、日本人はお米をたくさん食べていましたよね。

でも、体をたくさん動かしていることもあって、そんなにダイエット、ダイエット、とか、言われて来なかったような気がするんですよね。


なんなんでしょう。


昔みたいに、ごはん、たくさん食べてみたい。

それで暮らしてみたい。

焼き魚とお浸し、豆腐とワカメとかの味噌汁とあつあつのごはん、お代わりしながら、そんな食生活、やりたい。


そんなことを考えている最近。

汚泥の背広

画像は肉素麺。サラッとどうぞ。


題名の汚泥の背広。


以前、森村誠一の小説、確か「鉄筋の畜舎」だったと思うけど、その中で、何か迫力のある海千山千の人物(主人公ではない)が出てきて、その人物の表現を、森村は「汚泥の中を泳いできたような」と表現していた。

この表現、私の中に印象深く刻まれていて。

「汚泥の中を泳いできた」とは表現じたいはパッと見、きたない感じがするかもしれないけれど、もしそうした人物がいたとしたら、ある意味、人間にものすごい厚みがある人物だと思うし、味方にしたらものすごく頼もしい者のようにも感じる。


私は今日も、職場で体が震えるくらい切羽詰まった対応が複数あったけど、トイレに立ち、ふと、「私は今、一種の汚泥の中を泳いでいるのかもしれないな」と思ったりしたのです。

そこで先の森村誠一の小説の中の人物のことが連想的に浮かんだということです。


いや、むしろ、「汚泥の中を泳ぐ」という表現は、私が森村から教わったのだと思う。

それがいつしか、あまりきれいでない大変な状況を経験するときの喩えとして私の中で、自然に使われるようになったのだと思われる。


汚泥の背広。

職場のユニフォームは思いっきり汚泥まみれになっても、自宅に帰るときは脱ぎ捨てよう。その経験だけを人間性の厚みに加えながら。

そう思ったりしている。

疲れた。

疲れた。

今日はほんとうに疲れた。

仕事で。


肉体労働で疲れた、というのでなく、各種問い合わせへの本気の対応ややりとりで疲れた。

あと、根深い懸案への対応。これもひどかった。


もう、最後は机に突っ伏して、気持ちを鎮めてから帰ってきた。


帰ってからは、もう、やけになって、取り敢えずカップラーメンと、大盛りメンマを食べて、今は横になっている。

これからも、やけ食いしそうな予感がする。



何かいい収入源がないかなぁ。

取り敢えず、ここだけで言いたいことを言うと、現在の仕事はすぐにやめたい。

いやな表現だけど、他人のしりぬぐいみたいな仕事はしたくない。

ロト、高額当てたい。

その上で安心感をもって好きな仕事をしたい。

弱ってきた母親に親孝行をしたい。

話もきいてあげたい。



犬を飼いたい。

シーズーを飼いたい。かわいいシーズーを。


おいしい、いい鮨をしょっちゅう食べたい。

おいしい魚を食べたい。焼き魚とか煮魚で。
たくさん。

いいステーキも、しょっちゅう食べたい。


喫茶店巡りをしたい。

ゆっくり読書をしたい。


私には友だち、というものがいないので、できれば、幼なじみの、昔すきだった子と再会し、心をひらいた友だち付き合い、というものをしてみたい。


旅をしてみたい。

清潔な旅館で、旅情に浸りながら、しばらく滞在してみたい。
できれば京都で。

おたべを食べながらゆっくりしたい。


川沿いを歩いて、お店に入ったり、お茶したりしたい。


はー、ゆっくりしたい。

ボスのこわい話はこわいので書くべきではないでしょう。

画像はカキフライとおそば。

サクッといただいちゃってください。




さて。

「ボスさんの書くこわい記事はほんとにこわい。」と言われるので、書かない方がいいのかもしれない、と思っているんですね。


じっさい、こわい記事を書くと、読者にそこだけ閲覧が避けられたりしているのがわかるのです。


私は、ここのブログは私のお店だと思っています。

おいしいメニューを提供し、経営者、マスターたる私、ボスは、お客さんと軽いお話をしたりして、ただそこではお客さんにはあまり深く干渉しないように配慮しながら、お店を運営する、と。


提供するメニュー、ここでは画像とかお話、ということになりますが、これについて、お客さんから「このメニューは辛かった(こわかった)」とか複数伝えられたりした場合、やはり注意、改善しなければならないと思っています。



先般の「無題」とした記事は、じっさいのところ、私も「話して私自身すっきりしよう」という気持ちがあり、書いてしまった記事です。


これからは、あまりこうしたこわいお話はしないようにしなければならないな、と思っております。







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