母に小さい頃からお前は非情だとよく言われていた。
発端は、幼稚園の卒園式にわんわん泣いてる女児たちの中で、私一人だけ泣いていなかったからなんだけど。
私としては、大多数が同じ小学校なのに何で泣いてんの?って感じでぽかんとしていたんだけど。
それをことあるごとに蒸し返されて非情だと言われる。

まぁそれで傷ついたことは特にないんだけど。
毎度飽きねーなとは思うくらいで。


最近よく考える。
生涯付き合っていきたい友人っているのだろうか。

考えたらめちゃくちゃ少なくて。
なんか1人とかしかいなくて。
もっといっぱいいると思ってたんだけど。

大学卒業したときに、友人とはとても大切な財産であると思っていたけど。
別にそれは今まで一緒に暇を潰してくれてありがとう程度のことだったらしい。

大学はめちゃくちゃ楽しかったけど、やっぱみんなつまんなくなるんだよね。
高校卒業したときも同じこといってたけど。
環境が違くなるから、面白いと思うことに齟齬が出てくる。

基本的に人の好き嫌いは相手の好きなとこと嫌いなとこを天秤にかけてどっちが重いかというものだから。
全ての友人に嫌いな部分はある。
環境が変わると、嫌いな部分がやたらと目に入ったりする。


まぁ会えば楽しいし、遊びにだっていくけど。
この人と疎遠になったら困るかもしれない、と思う友人は1人しかいなかった。
彼女とはもう旧知すぎて、1年会わなくても普通に久しぶりのひの字も出なかったりするけど。
そいつとは付き合いが長すぎて、彼女と疎遠になる自分がうまく想像できない。
たぶん向こうもそう思っている。
向こうは私の数倍情に厚いからな。


友達なんて作ろうと思えばいくらでも作れるし、だからこうやって使い捨てていくんだと思う。
小学校の友人は中学で疎遠になったし、中学の友人は高校で疎遠になったし、高校の友人は大学で疎遠になったし。
そういうもんだと思うけど。

だから、今疎遠でない友人と疎遠になっても困らないと思う。
小学生からずーっと疎遠にならなかった唯一の友人は疎遠になったら困るかもしれないけど。


そう思ったら、もしかして私は母のいうように非情なのかもしれないと。
もともと私のやることを見て嫌いになるような奴とは気が合わないんだから嫌われても構わないと思って生きているからな。
それを非情だというならそうなのかもしれない。
好かれたらもちろん嬉しいけど、私は誰に嫌われたって構わないんだろうな。