話題:津波
<東日本大震災>たんすに乗って漂流し助かる 大船渡の男性
津波で家ごと流された岩手県大船渡市の会社役員、金野健一郎さん(37)は、たんすにつかまり大船渡湾を漂っているところを小型船に助けられた。船長の男性は、名前や住所を頑として名乗らなかった。金野さんは「船長の恩は一生忘れない。落ち着いたら捜して、もう一度お礼を言いたい」と話している。
地震が起きた11日、金野さんは公民館にいったん避難したが、スーツから着替えるために港から約300メートルのところにある自宅に引き返した。2階の窓から外を見ると、「真っ黒な波が渦を巻いて迫ってきた」。
みるみるうちに2階まで浸水。倒れて浮いていたたんすの背に必死にしがみついた。そのまま天井まで約30センチのところまで浮き上がると、「バキバキ」と音をたてて家が回転し、突然、大きな衝撃音と共に屋根が吹き飛び視界が開けた。たんすの上に乗ったまま沖に向かって流されていた。
日が暮れ始めたころ、「多賀丸」という船名の小型船が通った。「助けてくれー」と叫んだが、コンテナや民家、木とあらゆるものが海に漂っており、「無理だ」という船長の声が聞こえた。「このまま沖に流されたら終わりだ」と絶望的になった。
だが約1時間後、多賀丸は引き返し、ロープを使って救助してくれた。「信じられない。助かった」。涙をボロボロと流し、何度も「ありがとうございます」と繰り返すと、船長はただ黙ってうなずいていた。
そのまま一晩を船上で過ごした金野さん。夜は一睡もできず、落ち込んでいた。「命があるだけでいいんだ」「またやり直せばいい」。船長は金野さんを励ましてくれた。
12日夕、金野さんは別の漁船に移り、大船渡湾の東側に上陸。数時間歩いて公民館にたどり着き、避難していた家族3人と抱き合い無事を喜んだ。「助かったのは奇跡。家族と頑張って、一から生きていきたい」【鈴木一生、山本将克】
毎日新聞
03月27日 18時23分
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多賀丸
日之出汽船貨物船(東京)
鶴見製鉄横浜工場で1939.7進水.10竣工
43.11/5.1000パラオ出港後フ503船団に所属して宇品へ航行中/9.1318那覇南東420km(21゚41'N/131゚12'E)でアメリカ潜水艦(SS188)サーゴの発射した魚雷を左舷機関室に受けて大破し船員6名が死亡後浸水により航行不能となり放棄処分.
2868T pp98.3x13.7m T/1 14knt.
船舶番号46266.
姉妹船五十鈴丸.
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多賀丸
日之出汽船貨物船
2D-6型戦時標準型貨物船として浪速船渠で1945.1進水.2竣工
6/10大豆、牛皮等3200tを搭載して清津出港後朝鮮半島北部羅南東南東16kmの鏡城(キョン・ソン)湾付近(41゚40'N/129゚52'E)でアメリカ潜水艦(SS229)
フライング・フィッシュの発射した魚雷を受けて沈没し船員3名が死亡.
2220(4000)T pp85.8x13.4m T/1.
船舶番号55625.
以上 Googleで検索の「近代世界艦船事典The Encyclopedia of World ,Modern Warships.」より引用
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日本船籍の船に、現在『多賀丸』という船が無いこと
救助してくれた船長が、住所・氏名を名乗らなかったこと
→一度、見捨てたから、名乗れなかった?
3月11日の地震・津波の非常事態時に、船が航行していたのか?
近港の船は、津波で沖合いに流されていたようだが?
色々 考え合わせると金野さんを救助したのは、生きている人だったのか、疑問に思えてきます。
かつて海賊に襲われそうになった商船を救った、謎の艦艇の話も聞いたことがありますから
(記事が見つけられなかったけど、確か3〜4年位前の話)
海には、色々 謎めいたことや不思議なこともあります。
神秘的なことも、たくさん
だからこそ、多く人々の興味を掻き立てるのでしょう。
私個人は、金野さんが恩人である多賀丸の船長に、再び逢えたらいいとは思いますが…