茜色の日々

2009.5.12 Tue 21:38 :徒然
ありがとう、さようなら


身近な死


・5月5日16時30分

膵臓がんのため祖父が息を引き取りました。79歳でした。


・5月6日

朝、祖父宅に向けて車で出発。

夕方前に祖父宅に到着。祖父と対面。眠っているような穏やかな表情でとても信じられませんでした。

夜、祖父の棺のすぐ隣に親族みんなで一緒に最後の夜を過ごしました。
みんなで代わる代わる起きて線香の火を絶やさないように。

疲れと寝不足と心痛からか、父のてんかんの発作が2回も起き、救急車を呼ぶ騒ぎに。
母は、祖父だけでなく父も連れて行かれると気が動転。
それを見て、私がしっかりしなきゃと母に代わっていろいろ対応。
幸い大事にはいたらず一安心。


・5月7日13時30分

寝不足の中、朝から準備に追われ、お通夜。
子供たちにも「お別れ会」と教えると寂しそうな表情。
みんなで棺にお花を入れて、泣きながら別れを惜しみ出棺。
息子が一生懸命書いた祖父への手紙も一緒に入れて。

火葬場に着いて、最後にもう一度祖父の顔をしっかりと目に焼き付けました。
そしていよいよ火葬。例えもう息を引き取ったことは分かってはいても、
焼かれてしまうのは堪え難い哀しみでした。

一時間後、骨になった祖父と対面。みんなで一つ一つ大事に拾いました。


・5月8日

葬儀関係は何もない為、朝から親族総出で田植えの手伝い。
祖父はいつもこうして大変な思いで、私達の為にお米を作ってくれていたのかと、
晴れ渡る空を見ながらしみじみと思いました。
きっと祖父も、空から見て喜んでくれたかな?

午後は近くに住む祖母方の親族宅へ。
100頭以上の牛がいて子供たちは大興奮。
そのあと近くの温泉にも入って、唯一のオフを楽しみました。


・5月9日13時30分

朝から告別式の準備で大忙し。
式直前に喪主の叔父から式でお別れの言葉を言ってほしいと頼まれ慌てつつも、
祖父の初孫として、一言お礼を言おうとあれこれ考えました。

告別式、沢山の参列者のなか、しめやかに営まれました。
数人の弔辞の後、私の出番が。
拙い文章ながら、祖父との思い出を口頭で語りました。

2才の頃に弟が生まれる時に、祖父母が私を預かる為に東京に迎えに来てくれて、
初めて両親から離れて祖父宅へ行くときに、心細い私に祖父が力強く手を握ってくれたこと。

年に一度くらいしか会いに行けなかったけど、いつも元気ハツラツな笑顔で迎えてくれたこと。

祖父の作ったお米でここまで育ち、母親になって、曾孫の顔を見せることができたこと。

一時退院中に親子4代で温泉に行くのを楽しみにしていたのに、
その予定の日に再入院になって行けなくなってしまったこと。

最後に、天国から見守ってて下さいと締め括り、
祖父の初曾孫にあたる5才の息子も「ひいじいちゃん、さようなら」と一言言いました。


告別式が終わるとお墓へ行って、遺骨を埋葬しました。
後から聞くと、祖母はまだしばらくは埋葬してほしくなかったそうです。

埋葬が終わると初七日法要の食事会へ。
結婚式のような豪華なフルコースで、食べ切れないほど。
でもこれも供養のうちと、食材にも感謝の気持ちを持って食べました。


これで一通りの葬儀が終わり、みんな一安心。
やっと落ち着いて眠ることができました。寂しさだけを残して。


・5月10日

早朝にお墓参り。本当に最後のお別れをしました。

午前、朝食と準備を済ませ、一路自宅へ向けて出発。
別れの時に涙ぐむ祖母。きっと寂しくなるだろうなと思うと後ろ髪引かれました。

夕方、一旦旦那の実家に寄って、夜に自宅へ到着。
ホッとしたのか疲れがどっと出ました。やっぱり我が家が一番落ち着く。

寝る前、あらためて祖父のことを思い返すと、まだ亡くなったことが信じられませんでした。
またいつか普通に会えるよう気がして。


おじいちゃん、本当にお疲れ様でした。
天国で、先に逝ったみんなに会えましたか?
私もいつかそっちに逝くので、そのときにまた会おうね。
それまでもう少し頑張るから、見守っててね。

あなたの初孫より。


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