「………と、これでおしまいっと」
机の上に山積みにされた資料を見つめて少女は満足そうに頷いた。屋敷に踵を返して研究室に入った少女は指示された作業に移った。
――情報を与える事――
この屋敷で行われていた錬金術の実験に関して詳細に綴られたレポートは未だ部屋中に散乱しているが"彼"が必要とするだろう今回の事件資料は少女自身が丁寧に纏めておいた。最後に資料の上に一通の手紙を乗せて少女の仕事は終わる。
(さ、後はあのお兄さんのお手並みを直に拝見しておくかな?)
そう考えながら少女は年相応の子どもらしい笑顔を浮かべつつ研究室を出た。
◇
「ァ……ァァ……」
雪の上に尻餅をつく。呼吸がままならない。手にした若き肉体も、長年培ってきた知識も、新たに手にした力も、その全てを持ってしても眼前に立つ自分の半分も生きていないだろう男には通用しない。
確かに自分の持つ石の力は想定通り――否、現時点でも想定以上の力があると言うのに。
(まだ、足りない…………タリナイ!"輝石"ガイル!!)
結論に至ったものの今の状態――御巫の血統を継ぐモノが眼前にいる――ではどうしようもなかった。現状を打開する方法は一つ。そう、たった一つだけだった。
◇
「グ、ガァァァ!」
尻餅をついたセルゲイが獣の様な叫び声と共にこちらに向けた手から火球が放たれる。先程まで闘っていた女性―アイリスという名前だった―よりも威力、精霊の密度からすれば遥かに上回っているが拓馬に恐怖などなかった。
手にした日本刀を振るまでもなく、刀の切っ先を火球に向けて、切っ先に火球が触れた瞬間――――霧の様に火球は消えた。
「………やはり、敵わぬ、か」
観念したかの様に膝を地につけたセルゲイに拓馬は答えた。
「そうだな…………あんたの精霊を使役する数はさっきまで俺が闘っていた……アイリス、だったか?まぁあんたの姪よりもあんた自身の方が多い。だがな、数の割に術の構築が雑すぎるんだよ。精霊達を纏めきれていない、だから結合の脆い場所に刺激を与えればいい……って訳だ」
「――――――あの速さ、あの熱量を前にしてそんな芸当が可能とはな……それもミカナギの力……か?」
「………黙れ」
セルゲイは確かに錬金術において、不完全とはいえ機能する賢者の石を製造する程の実力者だろう。
だが、精霊術師として一流以上のアイリスを凌駕する程の使役量を持ちながらそれに見合わない、中級程度の術式を使用する所からして精霊術には不得手なのだろう。闘い始るとすぐに精霊術師としての戦闘技法も稚拙である事から拓馬は見切りをつけていた。
「言い忘れていたが、あんたの屋敷を中心に半径10kmを囲む様に協会の執行者の連中が待機してる。もう、終わりだよ」
「協会の犬共も来ていたか……これでは確かに終わりだな………」
「…………あんたの計画の要の石はどこにある?」
拓馬はガックリと項垂れ、戦意を失ったセルゲイの胸ぐらを掴んで殺気を滲ませる眼で睨み付けた。
「お前の求める石ならばあの娘――「私が持っている!!」
二人の前に大型のキメラ――拓馬がこの地で最初に闘った――が降り立ち、その背から銀髪の女性、アイリスがセルゲイの言葉を遮って叫んだ。
「私が、叔父様から預かってる」
アイリスはキメラから降りてゆっくりと二人の方へと歩みだした。
「……渡して、貰えるな?」
セルゲイから手を離して立ち上がり、アイリスの前まで移動した拓馬は開口一番にそう告げた。
「………あぁ。これが、本当の"賢者の石"だ」
「…………この石については後で聞く事にする。だから今は話すといい……言いたい事、あるんだろ?」
「……すまない」
アイリスはそう言いながら拓馬に石を手渡すとすぐにセルゲイの元に歩み寄り、立ち止まると同じように膝をついてゆっくりと話し始めた。
「叔父様、確かに私はヴィルボルフスの血を継いではいません。ですが、ヴィルボルフスの理念は、理解しているつもりです。『力は誰かの為に』。父様と母様は幼い頃から私にそう教えてくださいました……………」
「……………………………」
セルゲイは何も答えない。ただ下を向いていた。アイリスは構わず言葉を続ける。
「もう、こんな事はやめましょう?家名より、もっと大事な事を、私達はいつの間にか忘れていた…………」
言うべき事は言い終わった。アイリスは立ち上がり拓馬の方へと視線を移した。
「その石が叔父様の研究の集大成、それに――――人々から、奪った生命エネルギーを注ぎ込んで初めて完全な賢者の石となる………」
"人々"の所でアイリスは改めて自分達の犯した事に恐怖した。幾人もの命を、人生を奪ってまで"道具"を欲した自身の心に―――。
「エネルギーは屋敷………か?」
「あぁ、屋敷の地下の装置に保管してある。だが、その石はまだ調整が終わっていない。あれほどのエネルギーに対応は出来――――……?」
「それはもう必要ない物だ、欲しければくれてやろう―――」
「――――おじ、さま?」
アイリスも拓馬も、セルゲイに気付かなかった。
「時間だ、これで―――――」
「――――コフッ」
滴り落ちる血液は、アイリスの口とセルゲイの指先から流れ出て。
「見るがいい、ミカナギよ。"輝石"の完成だ……………!!!」
背後から彼女の胸元を貫いたセルゲイの手には、彼女の血に濡れた紅い石が、しっかりと握られていた。