ある日、年下の女の子から、
「人が本を選ぶのでなく、本が人を選ぶんでしょう」
と言われたので、おどろいて
「そんなこと、誰が言ったの?」
と尋ねると、
彼女は私を指し示した。
私がおどろいたのは、それが私の思う言葉そのままだったからだ。つまり私は、私の発言をすっかり覚えていなくて、日頃思っていることが彼女の口から出てきてびっくりしたのだ。
私の言葉もこんな風に他人のなかに残ったりするのか。私が忘れてしまっても。

〈あなたは私の中の海をさらっていってしまった。/それは一生、あなたのものだ。〉
島本理生『あられもない祈り』

この本に出てくる、主要なふたりには名前がない。いつまでも名前が出てこなくて、〈私〉と〈あなた〉のまま。ふたりの関係にも、たぶん名前はない。
名前が出てくる人たちとは、名前のついた関係があるが、そこには逆に、〈私〉と〈あなた〉のような緊密な〈何か〉はない。
名前がないことは、不毛だけど、安全でもあるし、無限でもあるよね。
と、私自身は思っている。私もよく、〈私〉と〈あなた〉という呼び名の文章を書く。この日記もそう。

文庫の解説で西加奈子が、この物語を読んで〈もう二度と恋愛小説は書かない〉と思ったということを書いている。わかる。すごかった。とりあえず、読んでみてほしい。

冒頭を読んだときに、これは苦しくなる物語だなあと予感が走った。そのとおりだった。胸がつまるような、気管がふさがれるような心地がして、かえってページをめくってしまう。
中身は、〈私〉と〈あなた〉のとてもシンプルな物語だ。話は水道水が流れていくように進行していく。でも苦しい。
島本さんの物語はデウス・エクス・マキナ的なものがいつもあるような気がする。積み上げたものを最後に崩していく感じ。崩してしまうことで、対象への感情を永遠にしてしまう感じ。
かといって、これはネタバレではない。

余談だが、この本には高村光太郎と智恵子のエピソードが出てくる。
私はそのページをひらいたとき、ある喫茶店にいた。高村光太郎と智恵子の文字を見てはっと息をのんだ。なぜなら、この前この喫茶店で読んだ本が、『智恵子抄』だったからだ。

前にもここでは同じようなことがあった。どこかで読んだ本と再会する。『あられもない祈り』はずっと前から知っていて、でもずっと読んでいなかった。
本が私たちを選び、私たちが本を手に取る機会すらあらかじめ決まっているような偶然がある。だから、私はこの日記の冒頭に書いた、「本が私たちを選ぶ」という言葉を思い出したのだ。
ただ、この物語は高村光太郎かといえば、梶井基次郎みたいな雰囲気もある。Kの昇天。

もうひとつ偶然があり、主要人物には名前がないこの物語の、名前が出てくる人のなかに、縁の深い名前があった。それは読み初めてから気がついた。本は不思議だね。

久しぶりに話した人から、『人間失格』の富栄に似てますねと言われる(中身が)。映画を見てそう思ったらしい。会っていない私のことを思い出したことに私が驚き、「覚えていたの」と聞くと、「一緒にいた時間があるのに忘れないでしょう」と返される。富栄に似てることが良いことかどうかわからないが、たぶん駄目だが、ちょっと感慨深かった。


〈冷たい秋はたった二度目でも〉
椎名林檎『すべりだい』

秋がくると聴いちゃう。


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