スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

さようなら。涙も出ない最終日。

こんばんは。
今日で今の職場を退職することになり、あまり人前に出たくないのに、寿退職の片付けと一緒に挨拶になった。
全くの正反対の内容での退職。
まあまあ話をして終わりましたよ。
最後にきちんと挨拶に来てくれたこは確かに私も信頼していた子たち。
最後、知らんぷりしていた子たちもいて、やっぱり辞めて正解だったわと思った。
かなり指導して仲良ししてくれていた時期もあったけど、なんだろやっぱり中身はまだガキなんだな。

どんなに若くたってちゃんと挨拶やお礼を言う人もいた。もうある程度の年齢になって年上に挨拶出来ないのって何?
可哀想すぎる...自分で自分の評価下げてどーすんの。
最後の最後まで本当に義理人情学ばない人間には用はない。

さようなら。

言葉を述べている間、笑顔を作るだけでも必死。
だって見たくない人達を前にしてるし、むしろ他部署から誰が退職まで追い込んだんだとかまで言われるし。

人間関係の断捨離。

もうさようなら。涙すら出なかったよ。
薄情なのかな。
むしろもうあなた達を見なくて済むなら私はこんな穏やかになれているのに、まだ最後まで追い込むのか。
可哀想...いつか同じ仕打ちを受けるから...
と思うけど、そういう人間こそうまく生き延びるこの社会仕組みは早く崩壊してしまえばいい。

なんてね。

義理母が、再び念のため入院になった。
お薬調整の為に。
私も実父が手術になり帰省する。義理母と話した。
今日、やっと退職した、今までありがとうございました。
義理母は安心したようによかったと言った。
今の職場は人生の修行場だったんだから気負わなくていいんだよと。
今回はパパと義理妹と義理父に診てもらうからちゃんと親を大切にしに帰省するのよって。

本当に性格似てるだけあって、気持ちが伝わる。
明日、朝また病院に寄って入院手続き終わらせたら帰省しよう。
親の心配をする歳になったんだなあ

もう緊張しすぎて心臓のドキドキがとまらない。

こんばんわ〜昨日は定期受診でした。
その日は新しい職場の見学会もあり、スーツだったので不思議に思われたのですが、もうかくしていてもしょうがない。
見学会の時に今の職場の人が別件であいさつにきていてばったり遭遇してしまったのですから・・・
もう言いなさいというお告げと思って、上司に話しました。
きっとこれは良くは思われないのもわかっていたけど、上司はあっさりと体調はついていけるの?
大丈夫なの?
とやたら心配するから怖い。
確かにこのまま退職を取り消す考えもあったけど、新しい新世界に飛び込みたかった。
何もかも新しくてキラキラしていてそんなところで働きたいと話した。
それは自分のやりたいことだと宣言し、納得してくれた。
それから、私を見つけたいろんな部署の方々に連行され今までどうしてたんだと、心配したんだと言われ、私、こんなにみんなから覚えてもらってたんだぁ〜とあらためてありがとうって話してきた。

みんな、このままここにいてほしいけど、私はここではおさまる器でもないしむしろ新世界へいったほうが自分の能力を生かせると思う。
と逆に賛同してくれたり意外だった(笑)でも、それでも顔はみせて、また来て、って言ってくれるのはありがたいよね。人脈あってよかったね私。

で、ラストは29日。
最後のご挨拶をさせていただくのですが、寿退職の方に申し訳ない・・・こんな事情で一緒に退職のお話をするのですから(号泣)
ごめんなさいだな。
まだご挨拶させていただいていない部署もあるし、少しずついこう。
名残惜しいとか、本当になくて・・・私薄情なのかしらとも思うけど、長年受けたダメージとうまく付き合いながら新ししごとは笑顔でマイペースにやろう。

そしてそして。
あ、あ、あ明日ですっ。もう、コスモデルさんとしてデビューされた当初にお会いしてからこっそり追いかけていた方とトキ春合わせのコス予定です。
すごいかわいい方なので、もう今から心臓が痛いんです。しかもトキヤが推しの方なので、推しキャラやらせていただくのも、申し訳ないくらいですが、楽しんできます!

自由人になる。
日々楽しみに生きるしかないのです。
またいつ、自分のことでどうなるかわからないのですから。

クリスマスってなんだっけ。

こんばんわ。深夜の更新です。
さっきまで、今度の職場でつかう制服が私サイズがなく・・・極端に大きいか(4Lとか)、極端に小さいか(Sとか)しかなくて、大は小を兼ねるということで4LサイズをLサイズに詰めました。
ワンピースタイプでよかった・・・。
とりあえず裾もあげたし、29日には実家に帰省するのでその前にやっておけることは実家にまで持ち込みたくないので(苦笑)

28日はこれまたコスのお誘いをいただきまして、1年?2年ぶりくらいのキャラなので彷徨わないか昨晩はひたすらメイクを攻略して、届いた衣装をさらに自分サイズに直しをして。
とりあえず、そのキャラが好きな方にみてもらってOKがでたので頑張ろうと思います。

そんなこんなで、休職約1ヶ月と2W。
あっという間に終わってしまいます。
昨晩、久しぶりに夢がしんどくて朝おきられない始末で・・・明日いやもう今日か。
今日は、昼頃に定期受診をしに行って、そのあと新しい職場で見学があり、終わったら戻って今の職場で次の最終日に会えない人にあってお礼を言わなくてはいけなくて。
まぁ定期受診があるからなっておもってはみたんだけど、それはそれ、けじめね。
憎らしいし、もうなんなんだよって思う気持ちがだんだんほんとになくなってきて、新しい職場にいくのも
なんで変えようとおもったのかなとか・・・でもこのままではだめだという決断だったよね。

今年はクリスマス家族ですごすことができました。
ケーキは娘サマチョイスのブッシュドノエル。いつもはホールケーキだったから新鮮だった。
リクエストのシチューをつくり、サラダとチキンを並べて、娘サマも一緒に手伝いをしてくれて、
『お城のパーティーみたい!』
と夢見る乙女でいてくれてありがたい。
考えると毎年クリスマスだろうが、年末年始だろうが関係なく仕事して、十分に子供に雰囲気とか
そんなの味わう時間とれてなかったかもしれないと改めておもう。

こんなに家族と一緒にいるとか本当に何年ぶりくらいなんだろう。
このご褒美を忘れないようにしよう。
今、たぶん退職でのさみしさからなのか、ココロのざわつきが半端なく押し寄せてくる日が多くなった。
早く寝なくちゃとか思うのに、娘サマにしがみついて寝てる。
新し仕事か軌道に乗るまでは自粛することも多いけど、それはそれで。
楽しくね。

どうして私はこうなったのかの覚書(4)

その内容を噛みしめていた。
評価。
賃金であれ、褒められるであれ、私は頑張ったと思っていても周りは評価していない。
むしろやればやるほどに自分を苦しめてるだけなんだって・・・。
大きな発表はそのまま後輩ちゃんにお願いすることになり、逆に結果オーライ。
私がやってしまったらきっと、できるでしょ?で終わっていたかもしれない。
すべてが繋がった。

『私がここにいなくても会社はまわるし、逆にいることで頼られすぎるのであれば自立の妨げになる』

そうだな。もう後輩ちゃんたち2人育てたし。できる子だから。
入院中の義理母と話をして、自分のこともあるけど一番は頑張ってきたことを当たり前ではなく、
この人でよかったと思ってもらえるといいのにね。
と、退院してからすぐにもうこのまま退職しなさいよ、まだ勉強したい気持ちがあるなら見つかるから。
という後押しもあり、母ももう少しだけ自宅にいてほしいという希望もありそのまま退職願いを申し出た。
今までであったらそんな簡単にとか言われたのに、逆に時短でもいいからとか、やりたいことあるのとか引き止めるのに必死だった。
主サマも私の戻る場所を作ろうとしていたが、それに甘えたら本当にまた嫉妬やパワハラや嫌がらせを受けるのはわかっているから。
すべて感謝としてありがとうという言葉でやめることを決意した。

そのとたんに、今まで悩んでいたことが嘘のように頭の中がすっきりとして、今までどうしてたんだろうと
思うくらい。
一過性のうつ病。今となったらそう診断された。
回復は早く、正直仕事に行けることは行けるだろうが、ずるずるするよりもひとまず今の職場との距離を置くことが一番大切だと担当医師から言われ、そのまま休職をなった。

現在は、次の仕事も即日決定しオリエンテーションも受けた。
上司というかまとめ役の人とは仲良くやっていけそうだし、勤務も大変かもしれない。
でもやりたいことをまた続けていけるというのはありがたい話だ。

うつ病になって、義理母が脳梗塞になって初めて家族の存在や子供の存在の大きさを身に染みてわかった。
この先まだまだいろいろあるけど、たぶんまた同じような悩みは出てくるだろうけれども、乗り切るだけのスキルは今の職場でいやというほど身に着けたと思えばパワハラも今となれば勉強だったのかなとか思える(余裕があるときには)。

さてと。一旦これでおしまい。
また日々のブログに戻したいと思います。かけないこともたくさんありましたが、でも結論としては
元気にいまは過ごせてます。
が結論です。仕事は、自分の体や心を守ってはくれません。
誰かに相談する、無理はしない、頑張れると過剰に仕事をしてもいいことはない。
自分のことを大切にする。
もう何も考えられない時には自分の限界だと知る。
笑えなくなったら、それは自分ではないと知る。(私はしばらく笑うことができませんでした)
そうして自分のメンテナンスをきちんとして、無理なものは無理と思うことが大切。
そして、周りにもたまには愚痴をもらすのもいいかなと思うよ。

たぶんまだうつ病はどこかに残っているとはおもうけれども、普段となにもかわらない元気な自分でいられることが大切です。
そうなるまえに、自分を一度落ち着いて見つめなおしてみてください。
家族がいる方は特に近い人に相談してください、弱音をたくさんはいてください。
シグナルをだしてください、それをキャッチしてくれる人はいるはず。

うつ病になって学んだことです。そして、私を心配してくれたすべてのひとに恩返しがえきるように
また元気になりたいとおもいます。


                      おわり。

どうして私はこうなったのかの覚書(3)

11月14日の朝。
起きたら、背中が重くて娘でも乗っているのか?と思うくらいの重圧感で目がさめた。
でも娘は隣にいて、叫んでも叫んでも声が出なくて泣くしかなくて、娘にパパを呼んでもらって
起き上れた。
痛みが鈍いので、もしかしたら胃か心臓だったらいやだなと思い、お休みをもらいそのままじぶんとこに受診をしにいった。
その日は自分が定期受診をしている先生がいたので、お願いすることにした。
待合室で、もう今なにが起きているのかもわからず、とにかく背中が痛いしかなかった。
診察に呼ばれ、先生にみてもらって内部的ではないけど、大丈夫?話してごらんよ。
と言われ、ついてでた言葉が

『もう消えたい。もうここから消えてなくなりたい。夜になるともうどうしたら楽になれるのか、
どうしたら死んでしまえるのかしか考えてない。消えたい、消えたいんです。』

先生に泣きながら訴えた。
でもその時に泣いている自分と初めて私を外から見ているもうひとりの自分を見た。
なんで泣いてるの?どうしたの?と思いながら見ているもうひとりの私。
ここまではっきりとした解離は初めてだった。
そのことは誰かにいっている?と聞かれ、パパには話していると。
自分の職場や自分に関して一番近くでみてくれていた先生なので、

『頑張ったでしょ。もう苦しまないでいいんだよ。』

そういって上司を呼んで私が『うつ病』であることを診断したと話した。重度であり、休職が望ましいと。
当時大きな仕事を抱えていたので、休みたくないという気持ちも強く、そうはいったものの、
薬を飲みながらでもやるといったけど

『何を言ってもダメ。君の命を救いたいんです。死んではだめ。生きるための力の充電をするだけ。
だから僕はいつもの君でいてほしいんです。』

その言葉に救われた。早い判断が職場は受け入れなければいけないという気持ちにさせてくれた。
命の恩人である。
その日から週1回の受診をすることと、絶対に死なないと約束してその日は帰宅した。
そしてその日の夜、義理母が突然の脳梗塞となる。
そこから自分がうつ病だとか考える暇もなく毎日が過ぎて行った。

義理母は対応だ早かったので、まったく奇跡的に近い状態で回復。
後遺症も少しは残りましたが、対処の早さを入院先の先生から褒めてもらえた。
毎日、入院先に通っていてやっぱり自分はこの仕事が好きなんだなぁって思うようになって、
義理母のこともあり、自分の担当の先生から電話をもらい、今のとこ大丈夫だよと話した。
受診日にそのことを改めてはなしたら、私のスキルはここでとどめておいても宝の持ち腐れになるだけで、開花してもそれをいとも簡単にへし折られそれでおしまいになる。
だったら、もう一層のこと退職を考えてもいいのかもしれないよ。
そういわれた。

NEXTにつづく。
前の記事へ 次の記事へ
プロフィール
乙夜さんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 7月6日
職 業 医療・保健
カレンダー
<< 2016年12月 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
■Twitter■