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カラット(リンク)

聖職者に、望んでなった訳じゃない
イノセンスなんて要らない
それが私がエクソシストになってから思うこと

毎日そればかり考えて生きている



私はもっと、普通の生活がしたかった

神に選ばれなくていい
私を必要としてくれる人と、一緒にいることが出来るなら、それで良かったのに

私がイノセンスの適合者となったばかりに、それを狙いに来たAKUMAに大切な人が奪われた

だからイノセンスなんて要らないし、むしろ嫌いだ



エクソシストになってから、何度か任務に行っているものの、何のために戦っているのかわからなかった

ある日いきなり神に選ばれましたと言われても、はいそうですかと世界に身を捧げる覚悟は生まれない

他のエクソシストはどうしているのだろう
それまで興味もなかった、他のエクソシストを注意深く観察してみると

皆世界のためなんかじゃなく、大切なもののために戦っていた

ある人は家族のため、ある人は過去のため、ある人は自分のため

世界のため、なんて大義名分、一番に掲げている人はいなかった

それを知って、肩の荷が降りたと同時に押し寄せるものがあった

私は、大切なものがない
失ってしまった今、何も持っていない

では私はどうして戦うのか

今、私に牙を向けるAKUMAを滅する理由は、ただ単にここで死にたくないから、だ



そんな日が続いていた時
ある任務につくことになった
アレン・ウォーカーと奇怪な現象の起こる地域に行き、イノセンスかどうか確認すること

この彼もまた、数奇な運命を歩む人物だった

自分ではない誰かが中におり、自らを浸食しつつある
それは恐ろしいことだと思う

アイデンティティーが消滅していく、その過程に彼は耐えて日々戦っている

そんな彼に話が聞きたかった
自分のその運命を、恨んだことがないのかと

私は恨んでばかりで、どうしても抜け出せそうになかったから

一番壮絶な運命の彼に、聞いてみたかった


しかしその質問をする前、その地域に足を踏み入れた瞬間、AKUMA達が襲ってきた

今回もイノセンスで決まりの様だ
そして今回も、生きて帰るのが大変そうだ

口に出しかけた質問を飲み込み、AKUMAに刃を向ける



ノアと神の結晶の取り合い
幾度繰りかえれば終わりを迎えるのか

苦々しい思いを抱えたまま戦っていると、突如現れた新しいAKUMAに四方を囲まれた

これはまずい

そう思った直後に強烈な蹴りが私の腹に飛んだ



刃で退けながらも結構な距離飛ばされ、瓦礫の壁に背を打ちつける

全身に痛みの雷が走る
経験はないが、骨に亀裂が入る感じがした

肺に強い衝撃を受け、上手く息ができない私にAKUMA達が襲い掛かってくるのが見えた

霞む景色の中、あぁここで死ぬのだ、と

そう悟った次の瞬間



暗い戦場に似合わない色が、視界に飛び込んできた

その色は私の前に立ち、AKUMA達に向かって炎を出す

業火は瞬く間にAKUMA達を退け、私に息する暇を与えた



霞む目を凝らして見ると、その色はアレン・ウォーカーに付いていた監査官、その人だった

この人はエクソシストではない筈
では、今見た炎は

言葉にしようと口を開くが何も出てこない

乾いた咳だけ盛大に喉を塞ぐ中、その人は未だ私の前に立ち続け、肩を揺らして言った

「大丈夫ですか…っ」

それで漸く、助けられたことに気付く

周りには私と彼を囲うようにお札が環を描いており、それが守ってくれているらしい

彼は切迫した声で、私になお声を掛ける

「生きていますか!」



よくも知らないエクソシストを、エクソシストではない彼が身を挺して守ろうとしている

私はそんなに価値のある人間ではない
誰かが傷付いてまで守るような人間ではない

私のことはいいから逃げて、と
発せない声の代わりに彼に腕を伸ばせば

「無事ですか…!良かった…!」

心から命を心配した声が聞こえ、それ以上動かせなくなった



彼はお札でAKUMAを退け続け、私を気にし続けている
途端に申し訳なく思えた

AKUMAを滅することができるのは私の方なのに
彼にばかり酷を強いている
こんな状況では死んでも死にきれない

痛む肺の悲鳴を無視し、無理矢理立ち上がった私に彼が気付く

「だいじ、「少し…支えて、いてください」」

彼の言葉を遮り、彼に言った

枯れた声でよく聞こえたかわからないが、彼は理解したように私の体を支える

私は今、AKUMAを消滅させるためにここにいる

一筋の光が空を走り、AKUMAは姿を消した



途端にどっと力の抜ける体

それを、彼が後ろから支えてくれた

「大丈夫ですか?」

耳元で、幾度となく心配する声に疑問を重ねる

「…何故…、私を、助けたんですか」

彼は理解できないという風に首を傾げ、当たり前のように言った

「命が危なそうな人間を、助けてはいけませんか?」

あぁ、そうか
私がエクソシストだからではなく、危機に瀕していたから

私が死にたくないと刃を向ける理由と少し似ている

「貴方は大切な使徒ではありますが、それ以前に一人の人間でしょう」

後ろから支える腕に力が入る

「目の前で、一つの命が失われる様を黙って見ていられる程、非情ではありません」



頭で考えているのではなく動く体

それは自分へのプライドでありエゴと宿命
私が戦いに向く理由にも、通じる気がした

私は何故戦うのか
守るべき大切なものは何か

その答えにはまだ辿りつけないが、その一端が見えた気がする
満月が照らすこの夜

リ・セット(リンク)

長官と中央庁の命令で動く鴉
それが私の全てであり、過去は置いてきたはずだった

今になって、教団も中央も目に見えない渦に飲まれ、思わぬ形で過去がやってきた

自分の知らない所で昔の仲間が、変わり果て遂には、伯爵側にまでついてしまった
この後悔は消えない



私は何故、今も生きているのか

誰にも問えない疑問と憤りを抱え、ウォーカーを、14番目を探していた




ある街に来た時
大通りを歩いていると、脇道から女性の悲鳴が聞こえた
咄嗟に動いた身体で声の場所まで走ると、強盗に襲われているらしい女性を見つけた


持っていたバッグが奪われそうになっており、髪を振り乱して抵抗している
瞬時に両腕のナイフを出し、男二人に斬りかかった

武道派ではないのか、力の弱い男達が退散するのに時間は掛からなかった




「…あ…、ありがとうございます…」

襲われていた女性は地面に座り込んでいる

髪を乱し、俯きながら肩で荒い息をしていた
余程格闘したのだろう、全身に擦り傷が付いている

しゃがみ込み、持っていたハンカチで傷口の砂を落としてやれば、彼女は漸く顔を上げた


「…本当に、ありがとう」




その瞳を見て、脳裏に何かが過ぎった

しかしその影は一瞬で消え去り、思い出そうとしても出てこない

手を止め、睨みつけたような形になった私に、彼女が下から様子を窺ってきた

「あの…?」

濃い、茶色の瞳

「…いえ、これからは気を付けてください。私のような者が側にいるとは限りませんから」

手にしていたハンカチを半ば彼女に押し付け、その場を立ち去ろうと腰を上げた瞬間

思いも寄らぬ力で手首を掴まれた
勿論、目の間の彼女にだ

彼女は強い瞳でこちらを見て、

「あの、何かお礼を。せめてお名前だけでも」

そう言った

知らない街で会った知らない人に名前など、残してどうなるものかと思ったが、そうでもしないと彼女の瞳が離してくれそうになかったので

「…リンク、です」

そう名乗れば

「リンク…?」

彼女は顔色を変えた




「…何か」

胸騒ぎがする

「…あ…いえ、昔同じ名前の知り合いがいたもので…」

そこでまた脳裏に過ぎった

昔、何度も見た、影

「貴方と同じ、ブロンドで、眉も…」

彼女はそこまで呟くと、




「…リンク…?」

再度、私の名前を呼んだ


それは、懐かしさの含まれた名前だった


教会とパンと瞳
途端に全てが甦る

「何故貴方がここに…!」


彼女は、昔

私達が教会で物乞いしていた時、

「リンク?リンクなの?」

教会に来ていた娘


「…久しぶり…!」

豪華なドレスを着て、私達にこっそり食べ物を分け与えてくれた

あの




「何年ぶりだろう…十数年くらいかな」

彼女はそれまでとは真逆に、嬉々として話し出す


伸びた髪と成長した顔立ち
光の映る瞳が眩しい

しかし

「マダラオ達は元気?」

その質問に私が上手く答えれらなかったために、光は消えた

「…ごめんなさい」

彼女は悟り、口を噤んだ




その昔

マダラオ達と群れ始めたあたり、私達は彼女と会った

よく行く教会に彼女も礼拝に来ていて、そこでみすぼらしい私達に慈悲を与えた
家から持ってきたパンや果物を、少しずつ私達に分け与えてくれた

私達より5つ6つ年上だった彼女には、世間の常識も格差も身分も、分かってきていた頃だと思うが、彼女は私達を賤しめたりしなかった




そんな日が続いていて、私達は彼女と親しくなった

優しげな笑顔と、知らない世界の話で私達を楽しませた
私とマダラオと彼女は、比較的年も近い方だったので、自然とよく話しをした

しかし、終わりは急に訪れた

私達は彼女に会えなくなった

それが鴉としての始まりであり、私の生れた瞬間だった




昔を思い出していた私に、彼女が握っていた手の力を強くして言う

「リンク、良かったら家に寄って。近くにあるの」

そう微笑む彼女の小さなえくぼは記憶と変わらず、自らの瞳の鋭さも、緩和してしまうような気がした




「どうぞ、上がって」

彼女に導かれて訪れた家

「失礼します…」

開かれたドアをくぐって思う

記憶が正しければ、彼女は資産家の娘のような位置だと認識していたが
この家はそれほど富裕層が集まる地域でもなく、街の一角に静かに佇んでいるだけだった

中も整頓されてはいるが豪華ではない

何より彼女と私達が出会った教会は、この国ではない


こんな離れた土地に、何故彼女はいるのか




そんな瞳に気付いたのか、彼女が恥ずかしそうに俯いて言う

「うちね、本家の人間がいなくなっちゃったから」

『いなくなっちゃった』

彼女は軽々言ってのけたが、昔、彼女の後ろにいた大人達は、皆綺麗な身なりをして教会に来ていたはずだ

毎回見る面子も違っており、大きな家だろうということは想像できた

「だから、今はとても質素なの」

床に落とされた瞳は、何を映しているのかわからなかった




彼女はそうしてしばらく瞳を落としたままでいた
再会を果たしたばかりの私に、どこまで告げるべきか迷っているのかもしれない

そうして次に彼女が口を開いた時、私は思ってもいなかった事実を知ることになった

「皆、黒の教団…という所に、連れて行かれたの」




思考が追いつかなかった
それはどういうことだろうか

代々のサポーターであれば、連れて行かれるということはない
イノセンスの適合者が同じ家系から複数出ることも考えにくい
となれば

人体実験

イノセンス適合者の血縁者にイノセンスを無理矢理適合させる、あの実験

彼女の家系はそれで滅びたというのか
そんなことがあり得るのか

彼女は一体、どこまで知っているのだろう




「私は小さかったから、それしか聞かされていないの。両親が私を養子に出して、そこから嫁いで今は、この国に」

彼女がそこまで言った時、玄関のドアが開いた




「!…お帰りなさい、貴方…」

そこには背の高い男性がいた




「リンク、紹介するわ、私の夫」

男性は柔らかく微笑んでこちらに歩み寄ってくる

「初めまして」

差し出された手を、戸惑いながら握る

「貴方、こちら昔の馴染のリンクです」

その手は、あまりにも弱く重ねられ、夫の真相心理が見えた

「そうかい。ゆっくりしてくといい」

そう言い部屋の奥に下がる彼は

「ありがとう、ございます」

私の言葉を聞くのもそこそこに、彼女を呼び出した

「ちょっといいかい」




私の聞こえない所で、彼が彼女に何か言う

そのトーンは低く、負の物であるのは明らかだ
よく耳を澄ますと端々だけ聞き取れた


「若い男を連れ込むとはどういうことだい」


「…彼とはそんな関係じゃない」




やはり、彼は私がこの家に上がったことをよく思っていない

握り返されることのなかった握手でわかる
私のせいで夫婦の関係に亀裂が入ってはと、自分が辞することを告げようとした時




「もう戻らないよ」


彼はそう言い残して、家から出て行ってしまった




唖然とする私を尻目に、彼女は開け放たれたドアを見つめている


「いいんですか?追いかけなくて」


思わず聞くと


「いいの、もうね、疲れたの」


彼女は肩を小さくしてそう答えた




「もう何年も、ずっと、我慢してた。私には戻る場所がなかったから。でも、もういい。あの人には着いていけないの」

小さな嗚咽が混じる彼女の心情を、全て図ることはできない


どんな辛い経験をしたのか、想像することもできない
しかし


「私は、もう、自由になりたい」




あられもなく透明な滴を落として肩を震わせる彼女を、この身体は自然と抱きしめていた




戻る場所がない、と嘆く彼女が、少し自分と重なって見えた

かつて優しげな笑顔で私達に癒しをくれた彼女が、こんなにも追い詰められることがあるなんて

私は静かに、憤りと加護欲を浮かび上がらせていた




そうやってしばらくすると、腕の中で静かに震えていた彼女が顔を上げる

「ごめんなさい、変な所を見せちゃって…」

「いえ…」

まだ濡れる目元に目を奪われる

「ありがとう、リンク。男性らしくなったね」

そう私に微笑む彼女は、美しかった




昔の面影が少し残る、華奢な一人の女性

すぐに折れてしまいそうな腕と身体が、自分にそっと身を寄せていて
心に感じたことのない違和感を覚えた


「見て、リンク」


彼女がふとドアの方を見る


「夕焼け」


開け放たれたドアの向こう

空が何色にも染まっていた
まるで絵画の世界のよう


「とても綺麗」


溜息をつくように漏らした言葉は、吐息となって私の鼓膜を震わせる

群青と金色と橙

合わさってとても美しい絵を描く


「貴方の色ね、リンク」

こんな美しいものは私とは似ても似つかないのに、彼女はそう言う

私の方を見つめてから、結わえられた髪を一房取り、愛でるように撫ぜた
彼女の指に直接触られた訳でもないのに、ぞわっと背筋が浮いた

こんな感覚は知らない




「…リンク…?」

不思議そうに未だ濡れた瞳で覗き込む顔は、あまりに近くて動揺した

そして思う

彼女の左手に輝く銀色




「外してください、そんな首輪」


彼女にはもう必要ない




そう言って驚く彼女の左手を取り、そっと薬指に指を伸ばせば、今度は彼女が息を飲んだ気がした


数年間、ずっとはめられていて指に沿った輪
多少強引に、それでも痛くないよう細心の注意を持ってそっと指から外すと、上からぽたりと滴が落ちてきた


「リンク…」




昔、彼女と会ったその時から
既に惹かれていたのかもしれない


でもあの時は生きることに必死で、そんな感情の相手はしていられなかった
身分違いだということも、幼いながらに理解していた


だけど今、彼女は本当に身ひとつでここにいる

華奢な身体で私の腕の中にいる


この二度目に味わう甘く痛い感情を、どう処理すべきだろう
考えてもわからなかったので、とりあえず身体は彼女の瞳の水源をせき止めるべく、この唇を寄せていた


唇に当たる微かな睫の感触
何度かそれが動いたかと思えば

彼女の涙は止まった

そして驚いたように見開かれた濃い茶色の瞳は、私の金色を映していた

金色のセレナーデ(リンク)

任務でと言われれば、どんな場所でも紛れ込まなければならない
それが私達の仕事であり、宿命である

例え粉塵に塗れる戦場でも、こんな優雅な舞踏会でも



豪華に着飾ったご婦人達の間、ボーイが軽やかにシャンパンを運んでくる

気分を少し落ち着かせようと、その金色の輝きに手を伸ばす

薄いガラスの飲み口から広がる香りをふと吸い込む
果実の香りが心地良い
鼻腔で味わってから、黄金色の液体をそっと口に運ぶと、思った通り上等な味が舌に広がっていった

そんな様子を、じっと見てくる視線があった

「いいのですか」

周りに聞こえないよう、監査官は静かに問いかけてきた

それは任務に支障があるのではないかという危惧

「大丈夫です。少しくらい雰囲気に合わせないと、浮いてしまうでしょ?」

私が小声でそう返して周りに視線をやれば、皆グラスを片手に談笑しており、それが当たり前の光景だ



美しい上級社会の一風景

シャンパンの華やかな香りが空間を満たしていく



ここはとあるお屋敷の舞踏会

報告をくれた探索部隊によれば、どうもイノセンスの影があるらしい

ただ厳重な警備で、外部からでは捜査が難しい
ならば内部に入るしかない、と、潜入と捜査を任された私達は、各々煌びやかな恰好でこの場にいた



アレン君、神田、ミランダ、監査官、私

来たはいいが、神田は鼻から参加する気はないようで壁にもたれ掛かっているし、ミランダは緊張しきりで挙動が不審、監査官はと言えば相変わらず硬い表情で佇んでいる

唯一、今いないアレン君は、ここに来てすぐ驚くほど自然にフロアに出て行った



呆気に取られている私達を置き去りにして、そして数分後戻ってきたかと思えば

「あれ?皆さん踊らないんですか?」

不思議そうに、そう言った

「君は何をやってるんです。呑気に踊ってる場合ですか」

監査官が小声で問えば

「だってここじゃ踊らないほうが不自然ですよ、ほら」

そう言って周りを見回した

フロアには優雅に舞うご婦人たちと、それをエスコートする紳士
立ち止まっている人は数えるほど少ない



そうだ、私達はおかしい

「郷に入っては郷に従え、です」

そう言って新たな女性の手を取り、爽やかに消えていった少年の年齢を、私は密かに疑った



アレン君の様子をぼんやり遠くから見つめる私達

やはり、私達は舞踏会で少し浮いていた
踊るでもなく、他の集まりに加わるでもなく、隅で静かに立っているだけ
それはこの場を楽しむ雰囲気でもなく、明らかにおかしなものだろう

ここで変に目立ってしまえば、先の任務がしづらくなる



私はシャンパングラスを片手にしたまま、はぁと小さな息をついた

それに気付いた監査官が、また視線を寄越す
何か言いたげな空気を遮り、私が口を開いた

「一人で飲むシャンパンは、味気ないですね」

その言葉に監査官は、目を少し大きくして口を開閉したが、壁にもたれる神田、ミランダと順番に見渡して、はぁと息をついた

自分に付き合えと言っていることを、暗に察したようだ

今、何とかこの場に合いそうなのは彼しかいない



長い沈黙の後、彼はまたはぁ、と大きな息をついて、片手でボーイを止めた

手に取られたシャンパン

彼の髪色が透ける



渋々、僅かに上げられたそのグラスに、私も応えた



後ろの二人は、恐らくこの場には馴染めないだろう
私達、アレン君を含めた三人が頑張らなければならない

何故この面子だったのか、室長を多少恨みながら、それでも喉を通る芳香に身を委ねる



その金色の液体がなくなった頃
目の前で付き合わされている彼は、眉の皺を濃くしてグラスを置いた

そして、ゆっくり手が差し伸べた

行動と表情が真逆でおかしい

しかしそのことには触れずに、私もグラスを置いて手を取れば、彼はいよいよ諦めたような顔を見せた



手袋をはめられた上からでも伝わる感触

思っていたよりしっかりと握られた手で、彼は私をフロアへと導いた



目映いダンスフロア

そこに立てばまるで自分が主役のようであり、シャンデリアがこの瞬間だけを照らしているように感じる
この高揚感と充実感が、ここに集う人々を持て成すのだと心の隅で思った



曲が静かに流れ出す

それに合わせ、彼はごく自然に私の腰に腕を回し、ステップを踏み始めた


戦闘専門で監査官であるはずの彼が、今ダンスを踊っている
それもとても卒なく、優雅に

思わず口から疑問が出た

「習ったことが、あるんですか?」

すると彼は前を見据えていた瞳をこちらに寄越し、「ある程度の教養は叩き込まれました」と、言った

成程、と思う私に、今度は彼から

「貴方も、お上手ですね」

そう告げられ、「伊達に年は取ってませんよ」と言っておいた



それからは言葉を交わすこともなく、私達はフロアを舞った

目に映るのは煌めく光と金糸の髪色
シャンパンのそれに似た色は、目に明るすぎて眩暈がしそうだ



曲が終わり、周りはペアを変えたりフロアを出たりする

私は彼が導くままフロアを出た

もういいだろうと言いたげの彼の後ろ姿は、しかし年齢を感じさせない程、しっかりとした紳士だった



神田とミランダの元に戻ると、二人とも目を丸くしてこちらを見ていた

「すごく素敵だったわ」

ミランダがうっとりとしてそう言う
私達のことだろうか

「お似合いだったわよ、ね、神田君」

神田は相変わらず仏頂面だったが、フンと鼻を鳴らしながら否定はしなかった

私も思う
とても素敵なリードだった

だから

「ありがとうございます」

そう言うと、監査官は意表を突かれたかのような顔をして、そして背けた

「…こちらこそ」

その言い方があまりにも彼らしかったので、笑ってしまった

笑った私を見て、彼は解せないと眉を寄せたが、私の笑いは止まらなかった

フロアにいた時はあまりに大人らしく紳士的だったのに、今は違う



肩を揺らす私に、後ろから声が掛かった

「マドモアゼル。次の一曲、私と踊っていただけませんか」

そこには背の高い男性がいて、胸に手を当てお辞儀していた

驚きつつ、光栄なことだけど任務もあるし、と考えを巡らせる私の横
監査官がすっと一歩前に出て

「申し訳ありませんが、彼女は次も私と踊ることになっています」

そう言った

今度意表を突かれたのは私の方で、勿論そんな約束はしていないし、もうこりごりだと言わんばかりの後ろ姿だっただろう、と戸惑っていれば

「さぁ、行きましょう」

彼は私の手を取り、再度フロアに連れ出した



あれこれ考えているうちに、曲が始まる

静かな旋律のワルツ

先ほどより更に繊細に、時に大胆に、彼はリードを取る
まるで、声を掛けてきた男性に見せつけているようだ

そう思ったのは

「人前で踊るのは好ましくありませんが、誰かと踊るなら貴方とがいい」

彼がそう呟いたから



それはとても美しい言葉のように思えて、何故か胸を打った

格段上手い訳でもない、私のダンスなのに、彼はそう言う

返す良い言葉が見つからなくて、彼の横顔を見つめるしかなかった私に気付き、彼が視線を寄越すとフロアの時が止まった気がして

不思議な感覚が全身を流れた

静かなワルツは流れ続ける
彼の銀のタキシードと、私の白いドレスが時折ひるがえり、美しい弧を描きながら

From 0.(降谷)

「零くん」



その名前で呼ばれたのは何年ぶりか

慣れを覚えたこの身に走る、電撃のような衝撃

全身が一瞬にして痺れた



同時に思う
その名を、ここで呼ばれては、駄目だ



「零くんだよね?」

その声の先には、8年前自らの眼差しを独占した人がいた



「久しぶり。こんなとこで会うなんて」



記憶より少し大人びた彼女は、記憶と相違ない笑顔で自分に話しかける



今の自分は零ではない

動揺と使命感の狭間、反射的に否定しなければ、と思うが
唇は思うように動かなかった
「久しぶり」



「何だか雰囲気が変わったけど…。というかその恰好は、」

幸いここで救いだったのは、彼女が元同期であるということ

「…今は違う、のね?」

自分の現状を正しく把握する頭脳があるということだ



彼女は警察学校のかつての同期が、何故今喫茶店の前でエプロンをして玄関の掃除をしているのか、正しく理解した
警察を辞め、フリーターになったかもしれないのに

昔とは変わった雰囲気と、酷い動揺加減と、持ち前の勘でわかったのだろうか

自分の現状を言い当てた彼女は、先ほどまで見せていた笑顔を隠し、神妙になり、少し申し訳なさそうな顔をした

「ごめんなさい、名前を呼んでしまって」

都合のいいことに、周りには誰もいない

彼女もそれを確認して息をつく

「離れた方がよさそうね。ごめんね」

下がった眉で再開の喜びもそこそこに、立ち去ろうとする彼女

本来ならばそれが正しいが、何故かその時背を向けた彼女の腕を掴んでしまった



驚く瞳が目に入る

忘れもしない若き衝動に駆られた



それからというもの
自分は彼女の手を離し、「ここにいて」とだけ言い残してポアロの中に戻った

シフトは丁度お昼まで
少しばかり早めにエプロンを外し、マスターに挨拶をする

出来るだけ急いでもう一度外に出れば、やはり彼女はそこにいた



夢のようだ、と思った



忘れられない記憶と共にあった彼女が、目の前に具象化したような、不思議な感覚
ただ手を伸ばせば掴まえられる

彼女は不思議そうな、不安そうな顔でこちらを見ていた

恐らく今の仕事の邪魔ではないか、と危惧しているのだ

頭の回転の速い、よく気が利く
そんな彼女は変わらないでいた

彼女の元に歩み寄り、改めて口を開く

「ちょっと場所を変えよう」



彼女はまた多少驚いたようだったが、何も聞かず提案に乗った



念のため長めに歩いて小さな喫茶店に入る
尾行は、されていないようだ

席に着き、一息つく

そして改めて彼女を見ると、眉を寄せ怖い顔をしていた

それを見て思わず笑みがこぼれる
彼女がそんな顔する必要ないのに

小さく笑った自分を見て、彼女も息をついた

おかしな間が流れる



彼女くらいだった

言葉がなくても分かり合えるような気がするのは



「久しぶり」

ただ、今は言葉が必要だ
8年間溜めていたものがある

二回目の挨拶をすれば、彼女も

「久しぶり」

和らいだ表情で答えた



言いたいことは色々ある

言えないことも色々ある

何を言うべきが迷っていると、彼女の方から問いかけられた

「今は何て呼べばいいの?」



流石だ、と思った



警察学校にいる頃にはまだ自分が公安に入り、潜入捜査をすることなど、わかっていなかったはずなのに

今、その状態だと見抜き、本名で呼ばれることが危険だと悟り、周囲を気遣いながらそう聞いた

変わらぬキレに安堵しつつ



「透」

とだけ言った



「透くん」

彼女はその名を繰り返し、「似合ってるね」と微笑んだ



彼女には全て明かしてしまいたい
ただそれは出来ない

何より彼女の身を危険に晒すことになる

何なら今現在でも
組織の奴らに見られでもしていたら、あらぬ疑いを掛けられ、調べられる可能性がある

窓のない席を選んで正解だった



「ごめん。いきなり連れてきて」

口を開けば、そう始まっていた

彼女はまた表情を変えて答える
先ほど見せた鋭い気配は消えている

「ううん、いいの。私こそ街中で容易に声を掛けてごめんなさい。つい、姿を見かけてまさかと思って…、嬉しくなっちゃって」



嬉しい
その言葉に全身が反応するのは致し方ないことだ

照れ笑いする彼女の髪が揺れる

久しぶりに見た
美しい、と思う



「今の僕は、思っている通りの状況だから、」

その次の言葉が続かない

だから何だというのか

近付くな
名を呼ぶな

言うことは簡単だが本心ではない

続ける言葉に迷っていると



「大丈夫、わかってるつもり。透くん」

彼女は平気な顔で答えてみせた



それは、もう会わない、と言っているように聞こえる



正しい選択だ

もう今は違うとは言え、昔のことが組織にバレでもしたら大変なことになる

彼女は警察学校での同期
しかし、彼女は警察にはならなかった

「どうしてここに?」

本来ならいるはずのない場所



彼女は警察学校での訓練中、大きな事故に遭い
致命的な怪我をして学校を辞めた

大きな志を持っていた人だった

「原因は、これ、かな」

その志も怪我に阻まれ追えなくなり、拾ったのが当時付き合っていた恋人だった
海外赴任の多い彼に着いて行く形で、彼女は日本を去った

最後見る時に光っていた薬指の銀



今は、ない

周りの指より一回り細いそれは、年月を感じさせる



「お別れしたの。あの世とこの世でね」



それは衝撃的な言葉だった



彼女の夫は5年前に他界していた

子供もおらず身寄りのない海外から日本に戻り、先月生まれ故郷であるこの街に帰ってきたのだという

それを彼女は淡々と話した

一生分泣いたから、と

聞いただけで胸が痛んだ



彼女は強い癖に涙脆い人だった

生前の夫の意志を汲み、一生分泣いた後は自由に生きようと指輪も外したのだという

自分がただ想っているだけの間に、彼女にこれだけのことが起きていたなんて、思いもしなかった



柔らかな表情で思い出を語る彼女は、本当に悲しみから解放されたんだろう

月日が解決することもある
月日が助長させることもある



今、仮に自分が普通の警察官であったなら
すぐにでも彼女の手を取って引き寄せたい

仕事に誇りは持っていても、今だけは、どうして、と強く思わずにはいられなかった

俯いた自分に彼女は笑う

「らしくないよ、そんな顔しないで」

暗くなっちゃってごめん、と謝る彼女は、大人びていても今でも十分魅力的で、美しかった



「今日は、会えて嬉しかった」

その言葉に思わず顔が強張る

まるでお別れだと言わんばかり



「後姿を見た時ね、本当に驚いて、まさかと思って。無事で、元気で、良かった」

言葉が途切れ途切れになる

涙脆い彼女のことだ、目が潤んでいる

「立派な、姿が見れて良かった。これからも、頑張って、ね」



その一滴がテーブルに落ちて

身体が動いた



零れ落ちる涙の源に手が伸びる



彼女は驚き目を丸くしたが構わない

その原因を指で拭い、濡れた頬を掌で包めば、温かい体温を感じた

「れ…、…透、くん」



彼女の頬に色味が付く

今ここで震える唇を奪ってしまえたら楽だが、国家の為、日本の為、そうはいかない

だからせめてもの妥協案として、指先で頬を撫でた



「僕の名前は安室透。君の名は?」

ミッドナイト・ブレイク・終(エルヴィン)

こちらから口を開かない限り、彼女から言葉を発する気配はなかった
訪れる静寂に身を預ける

彼女はと言うと、この現状をどうすべきか思考しているらしい
冷や汗をかいたような横顔に、何故か笑いが込み上げてきた

自分よりも一回り程若い兵士を掴まえて
恐らくは団長権限で付き従わせている

何をやっているんだ自分は
どうにも自分が可笑しくなって、小さく笑うその様子に彼女が気付き、また戸惑いを見せる
仕様のないことだ
いきなり現れた上司が隣に座ったかと思えば笑い出した
彼女の頭上には疑問が沢山浮かんでいることだろう



何だか細かいことがどうでもよくなって、口を開いた

「初めて廊下で会った時、叱咤されると思ったか?」

聞かれると思っていなかったのか、彼女は肩を少し揺らし、考え込んだように思えた

「それなら私も私を叱らねばならないな」

横目で見た彼女の目は更に疑問を深くする
何がどうなっているのか、理解していない様子だ

「夜はいい。何もかも無かった様に、覆ってしまう」

自分の口からこんな言葉が出るとは思わなかった

今、自分は
人類の行く先を担う者としてではなく、一人の人間としてここにいるのかもしれない

「私は、そう思うよ」

同意が欲しかった訳ではないが、捨ててきた何かを拾い集めたかのように、言葉は自然と流れてきた

今の立場も、心の感情も、薄闇がちらつかせる



「私も、そう思います」

聞えてきた声は揺れてなどいなく、夜に相応しい凛としたものだった

月光に照らされた彼女を見れば、彼女もまたこちらを一瞬見て
二人同時に夜空を見上げた

上司と部下
この夜の間だけは、境界が曖昧になる気がした
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