兆候?

30歳…
もう夜の職場に就ける歳ではなかったので、この頃の職場は自宅だった。
私としては安定した収入を得られる職が良かったのだが、私が家にいないとわかると息子の精神が不安定になる…
実際、息子は何度も学校を抜け出し、出勤前の私がいる家に戻ってきたりしていたのだ。
また、仮に抜け出すまではしなくても…息子の奇行はそれなりに担任から聞かされていた。
私は息子を苦しめている自分の不甲斐なさを呪い、いつも息子に懺悔の念を抱いていた。
息子は何も話さないが、たぶんかなりの辛抱をさせてしまっているのだろう。
だけど…それでも息子は…主人が継続的な職場に就くまでは我慢してくれた。
だが、主人が安定した収入を得られている状態となった今それは…
もう我慢の限界だったのだろう…
息子は私が外に働きに行くことを受け入れてくれなかった。

まあ、私も正直怖かったしね…
私が外に仕事に行くと、また奇行に走ってしまうのではないか。
また息子を苦しめてしまうのではないか。
このままでは、息子は真っ当な大人にはなれないのではないか…
私は恐怖した。私が私自らが息子をマトモじゃない大人に育てている…
私のように社会で生き辛い人間にしようとしている…
私は怖かった。なので私は、自分の保心と息子可愛さに収入を得るのが難儀ではある在宅の職を選んだんだ。
コレがまた、たぶん間違い。

私は少しでも高い収入を得て早く楽になろうと、食事やトイレ、入浴といった生理的に必要な時間以外の全てを仕事の時間にあてた。
私は息子が家にいるだけで安心してしまい、息子の気持ちを理解していなかったのだ。
その結果…私は倒れ…私が守りたかった息子を…家族を…自ら…バラバラに切り裂いてしまったんだ…

予兆?

これは今でも反省している。
私は何故、自分の異変に重大な危機感を感じなかったのだろう?
私は何故、それらをそのままでいいと思っていたのだろう?
私がアレに憧れていたせい?
…たぶん…そうなのだろう。
私はアレに憧れ…囚われ過ぎていた…だから、そうなるべく無意識に努力していた…
その結果…私は、それらの予兆を全く気に止めなくなっていたのだ。たぶん…

26歳を過ぎた辺りからだろうか。
私は時折…ほぼ一年に一度のペースで倒れるようになった。
しかも、倒れてしばらくは寝込む羽目になるので、倒れる度に職場を変えなきゃいけない。
私は、新しい職場でしばらく働いては倒れ、離職し、寝込み、元気になったら違う職場に就くというサイクルを繰り返していた。
職場というものは、いつ倒れるか分からない人間を再び雇ってくれたりはしないところだからね…

そして、30歳を過ぎた頃から、だんだん寝なくても平気になっていった。
元々、寝ることが苦痛だったので、これは願ったり叶ったりといったところだ。
だが、コレがたぶん一番いけなかったのだ。
この年、私は主人が借金を隠していることに気がついた。私は借金が心底嫌いなので、がむしゃらに働いた。一秒たりとも無駄にしたくなかった。
だから眠くならないことがありがたかった。
私にとって体は動けばいいだけのものでしかなく…逆に動きさえすれば、何がどうなろうと、どうでも良かったんだ…

完全発症

今から五年ほど前…
ソレは突然起きた。
いや…正確には兆候は既に起きていたのに私が全く気に止めていなかっただけなのだが…
少なくとも、当時の私にとってソレは青天の霹靂だった。

ある日、私は突如倒れた。
もっとも、それ自体は、既になんら珍しいことではない。
私は「またか」と感じただけ。
そして、体を起こそうとした時、ソレに気付いた。
私の意に反して…体は全く動かなくなっていた。
いくら足掻こうと私は腕を上げることすらできなかったんだ…
いったい何が起きたのか分からなかった。
一秒ですら無駄にしたくないのに、早く仕事に復帰したいのに…
私は焦った。
動かない体に怒りを感じた。そして、動けないことに恐怖を覚えた。

起きたのは、それだけではない。
私の中に漠然とあった危機感や罪業感…虚無感や焦操感などが一気に襲いかかってきた。
更に、昔私が経験した出来事が怒涛のように再現され始め…しかも、その当時は確実には認識していなかった…が、確かにあった感情が私の中を支配し始めた。
…そのためなのだろうか?
私は今が現在なのか過去なのかが分からなくなってしまった。そして、それと同時に私は…大人らしい常識人らしい立ち振る舞いが出来なくなってしまっていた。
それまでの喋り方が全く出来なくなり…私の話し方は、まるで子供のようになってしまった。

今でも思う。
あの時、主人と息子は、さぞ驚いたことだろうな…
それまでの私とは違う私になってしまったのだからね…

タナトス願望

ソレがいつ芽生えたのかは私にも分からない。
ただソレが長い間、私の望みになっていたのは確かだ。
私は、いつの頃からか漠然とソレを意識し、ソレに近くなる行動を無意識に選んでいたようだ。
気付くのは、かなり遅かったけど…

私は30歳を越せないと、なんとなく思っていた。
別にハッキリとソレを望んでいたわけでは無かったが、どうせそうなるならば、出来るだけ誰かの役に立ってからがいいと思っていた。
しかも、出来るなら私が守りたい相手の為に。と…

私が当時何を考えていたのか…今だからこそ解ることがある。
私がいくらソレを望んでいても、私は臆病者だから自分の手を汚す勇気すらない。
病死は、病院代が掛かってしまって家族に迷惑が掛かってしまう。
事故死も同様だし、事件に巻き込まれるのは遥かに難しい。
しかも私は臆病者の上に卑怯者で偽善者なので、私がソレを叶えたが為に誰かが誰かから非難されるというのが堪らなく我慢出来ない。
だから過労死…

単純な私は、ソレならば過労するまで放っておいた私の責任だけになると考えていた。
不調を口に出さなければ誰も私の不調には気付かない。誰かが、止めたとしても強行したのは私なのだから止めた人にも責任は無く、会社にも責任は無い。
家族も会社も誰も心を痛めず責任も問われない理想的なソレ。
そして、ソレを遂げた私ですら自己管理責任を責められるだけで、ソレを望んだ非は責められない。
ソレを望んでいたことは私しか知らず…いや、当時は私ですら知らなかったか…
少なくとも、私の表面意識下ではソレが認識されてはいなかったんだ。
それどころか私は、私が泥水を啜ってでも生きる決意を胸に抱いていたんだから…

それなのに、私は確かに望んでいたんだ。
そして、そうなるべく行動していたんだ。
ソレをソレと認識せずに…
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