お人好し…ではない

もしかしたら既にお気づきの人も、いらっしゃるかもしれませんが…私は別に元旦那を嫌ってはいません。
嫌なとこは沢山ありますが…人間的には嫌いじゃないですね。
むしろ可哀想な人だと…


元旦那も母親に給料を摂取されてましたねぇ…
子供の給料を摂取する人多いんですか?
貯金ゼロでしたよ。親に全額渡してると言ってましたけど…

母親や姉には逆らえないみたいでしたねぇ…
一度、殴ってから逆らえなくなったそうで…
でも私は無制限に殴るわけね…いや、まぁ、それはいいんだけど。
いつも、無茶言われてたみたいです。
命令されてるとこ、よく目撃しました。

イヤなこと出来ないことは断れ…と何度も言いましたねぇ…
まさしく同族嫌悪です。見てるとムカつく。
旦那なら家族(嫁・子)を守れ…と、何回言ったかなぁ…

家に縛られ…親に縛られ…亡き父親の最後の言葉に縛られ…
逆らうことも、逃げ出すことも出来ず、ただただ自分を殺し続け…
親孝行といえば聞こえはいいだろうけど…母親や姉の非常識的行いから目を背け…酒と私への暴力に溺れていく…
正直…哀れんでた。
自分より弱い者(私)にしか、不満を言えない元旦那を情けないと思っていた。

ああ、でも最後の最後は守ってくれたのかもなぁ…なんて思ったりします。
息子のアルバムも取り返してくれたし…私を庇ってもくれた。
母親に逆らってる姿見て少し安心した。

私はね、元旦那を見てると自分を見ているようでイヤだったんだよね。
主人にお人好しだと言われたけれど、それは違うよ。
好きとか嫌いとか、そういうのでもない。ただ…同類だから…私と同じ操り人形だったから…幸せを願う。
それだけ。

背負った苦悩

離婚後、私が背負ったものは罪責感と罪業感でした。

そもそも七年間…何故、離婚しようとしなかったのか?
それは、元旦那を可哀想だと思っていたからです。
私がいなくなったら…この人は、どこで自分をさらけ出すのだろう?
抑圧された自我をどこで、発散させるのだろう?
誰がこの人を救うというのだろう?
元旦那を見捨ててしまったという罪の意識…それは、自分がやられたことよりも大きくて…私を責め続け蝕んでいった。

解放されたのは、離婚後数年経ってから…
精神科の医者に言われたんですよ。
救いたいと願うのは自分が救われたいからだとね…
それで気付いた。
私は元旦那に私を重ねていただけなのだと。
可哀想だと思ったのは、私より不幸だと感じたからなのだと。
それは、つまり…私が親に逆らえない自分のことを不幸だと思っていた…操り人形な自分を可哀想だと思っていた…ということ。
そして、私は自分を守りたかった…救いたかったのだということ。
更に言えば…私は誰かに側にいて欲しいと願っていたということ。

人は自分の中にあるものにしか共感しない…感知出来ない。
自己犠牲は自分の心の裏返し。
側にいなければ…は、側にいて欲しいの裏返し。
救わなければ…は、救われたいの裏返し。
守らなければ…は、守って欲しいの裏返し。

ホント…私の思いなんてロクなものじゃないよ。自分が基準なんだから、自己中も甚だしい。
私は偽善者だよ…卑怯者の偽善者。
自分しか見ようしない愚か者。
私の中にあるのは自己嫌悪と自己愛心だけなんだろうな…たぶん。

離婚時

そういえば、まだキチンと書いてなかったですね…元旦那との離婚時のこと。

以前から書いてますが私と元旦那は調停離婚しました。
理由は、すぐ殴るので話し合いどころじゃないから…

元旦那…ゴネましたよ〜
半年もゴネた。
こちらの条件は単純明確だったんですけどね…

私の個人財産(一緒に嫁入りした持ち物)…勝手に売りさばいた分は勘弁してやるから、現物は返せ。
財産分与…別にしなくていいけど、私の持ち物になった分(プレゼントで貰った物)だけは寄越せ。
息子のアルバム返せ。
息子の親権は私。
慰謝料は要らないから、とっとと別れろ。

コレだけなのに半年ゴネられた…

ところで何故、慰謝料を取らなかったのか?
ですよね。
コレは私が金に換算するのを嫌う性格だからですね。
それに、とっとと別れたかった。
慰謝料とかで更にゴネられるのはイヤだった。
一応、元旦那を追い詰めたかもしれないという自覚があった。
早くケリをつけないと、また息子が誘拐される…という恐怖があった。

マトモに財産分与しようとしなかった理由。
常日頃から、元旦那の母親に「財産を奪う気なんだろう」とか「財産目当てで結婚したんだろう」とか言われてて(近所や親戚にも、そう言いふらしてた)…財産という言葉に拒否反応があったから。
因みに、調停時は2人で築いた財産(物)の分の話だったんだけど…イヤな記憶が蘇るようなもの要らないからね。

あっ養育費も払って貰ってないです。
まぁ、貰うと息子に会わせなきゃならなくなるし…元旦那だけならいいけど、もれなく母親もついてきそうだし…
うちの親が別れたら会うな主義(養育費貰うの反対)だし…
何より、もう関わり合いたくなかった。
それに…養育費払ってなければ、もし万が一、後で息子は跡取りだから親権寄越せと言い出しても断固として断れるからね。

まぁバカだなぁ…と思う人もいるだろうけど、危険や不安要素は排除が一番だから…

男運はいい…かもしれない

元旦那との婚姻中…いろいろあったけれど、出逢わなければ良かったのか?と問われれば、それは違うと断言出来る。



元旦那と結婚するまで…私は拒絶をハッキリと表せない人間だった。
『イヤ』が言えない。
『嫌い』が言えない。
『別れたい』が言えない。
押し黙ることしか出来なくて…いつだって愛想笑い。

でも、そんなの長く続くわけがない。
音信不通にすることは、よくあった。
相手に会わないよう避けまくることも多かったし、誘いを断れるような理由を作ることも多かった。
(嘘をついて断ることができなかったので、休日出勤や残業増やしたりしてプライベートな時間そのものを減らしてた)

私は消極的な拒絶しかできなかった。
だけど、元旦那と結婚して…キレることを覚え…効果的な反撃法を身につけ…あからさまな拒絶態度を身につけた…

拒絶や不満を相手にハッキリ伝えるということ…それは、自分を守ることでもある。
キレて不満を相手に伝える…
以前の私は、それすら出来なかった。

相手に自分の不満を伝える勇気…拳が飛んできても言える勇気…理不尽に逆らう勇気…自分を尊重する勇気…自分を守る勇気…自分の為に行動する勇気…
全部、元旦那が教えてくれた…本人に、その気がなくてもね。

もしも、元旦那との生活がなかったら…私は今も両親の言いなりだったんじゃないかなぁ…
拒絶することも出来ず、不満を言うことも出来ず、泣くことも出来ず…
もしかしたら、事件とか起こしていたかも?

同じ年代の人が起こす親殺しのニュース見るたびに思う。
私は運が良かったのだとね。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2010年04月 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
アーカイブ