メンタル)生と死を考える 5(完)

今も偶に…いや…けっこう頻繁にかな…自分の死後を考える。
(病死とか事故死とか)

悲しんでくれる人…出来た…
(主人と息子のこと)
自惚れじゃなければ…だけど。
それが良いことなのか悪いことなのか…よくわからない。

いろいろ考えるよ…
葬式代は、どうするのか?…とか。
心の傷になったりしないだろうか?…とか。
真剣に考えれば考えるほど、心配ばかりが浮かんでくる。
だけど不思議と、『まだ死ねない』という感情は浮かばない。
全速力で走ってきたせいだろうか?
もう未練になるようなことがない?
まぁ、よくわからないかな…

だけど…不思議な感覚には陥る。
以前は、感じなかった感覚。
なんと表現すればいいのか、わからないけど…
少し俯き、一点をジッと見つめてしまう。
何を考えるでもなく、ただボーっと。
もっとも、最近はボーっとしている間に、時間がけっこう経ってたりすることが多いから、コレのせいというわけでもないんだろうけどね。

口数は減ったかな…
自分でも、よくわからない何かを考えていることが多いかな…
急にハッとして…あれ?何か考えてた?…と思うことが多い。
特に憂鬱というわけでもなく…かといって前途は多難なのでポジティブシンキングにもなれない。
ただ…何故かは、わからないけど、急に一人でいるのが不安になったり…逆に一人になりたかったりする。
情緒不安定?…なのかな?

何故、今頃になって、再び、生と死を考え始めたのか…
そんな根本的なことを考えたりする。
また私の中で、何かが変わろうとしているのだろうか?
死は再生を意味する言葉でもあるからね…
私の中で何かが消え、何かが再構成されようとしているのかもしれないな…
人の心は…生と死の繰り返しだから…

メンタル)生と死を考える 4

本当は、生きることに資格など要らないのかもしれない。
もしあるとするなら…
そこに居る。
それが資格であり、価値である。
そう思う…いや…そう思いたい…

私は何故に理由を探すのだろう?
私が、私を大往生まで見続けることを望んでいる…生き続けることを望んでいる…
どうして、それだけじゃダメなのだろうか?

理由がないと怖い…
それは一つの正解でもある。
では、何故怖いのか?
それは、よくわからない。
ただ漠然と怖いんだ。

人に死んだ方がいいと言われると…それが正しいように思える。
私が生にしがみつくのは間違い…そう思える。
しかし、そんな私に、私は反発するんだ。
私は死んだ方がいい人間なんかじゃない!
生にしがみつくのが正常な心理。間違いなんかじゃない!…と。
だけどそれは、どうにも押しが弱くて…時折、押し切られそうになる。
それでは困るんだ…

いったい何が原因なのか?
原因がわかれば、少しは緩和するんじゃないか?
そう思っていたこともある。
だけど、私は、それを全力で拒否するんだ。
知りたくない…何も知りたくない…
それは、知りたがりの私にしては、珍しい反応なのだけど…私は、それに従った。
知らない方がいいこともある…
追及が全て良い方向に進むとは限らないからね…
それに私は危惧しているんだ。
私が崩壊する…完全に立ち直れないほど壊れる…漠然とした強い強い危機感…

思ってはいるんだ…
価値とか資格とか、大事なのは、そんなことじゃないだろ?…って。
だけど…本当にそれでいいのだろうか?正しいのだろうか?

昔…担当医が言った。
他人ならば許せるという事柄は、自分にも許していい事柄なのだと。
当時、私には分からなかった。(今も、よく分からない)
どうして『他人は良くて、自分はダメ』はダメなんて言うのだろう?
その意図が掴めなかった。
だけど…たぶんコレのことを言っていたんじゃないかな…と思う。
もし、そうなら…私は理由探しから解放されていいことになる。
だけど…それは、あくまで推測。
私は自分が楽になりたくて…担当医の言葉を曲解しているのかもしれないし…

ああ、だから…他人には言えるよ。自信を持って。
生きるのに特別な理由なんか要らない。
生きたいから生きる。それでいい。
死にたくないから生きる。それでいい。
そしてそれは、けっして間違いなんかじゃない。

メンタル)生と死を考える 3

昔…自分の死の影響を考えていたことがある。
私は死んだら終わりかもしれないが、残されたものは、どうなる?

先ずは死体。
片付けるのは大変だろう。
どんな死に方であろうと、また、どんな立場の人間であろうと、少なからず片付ける人に精神的にも肉体的にも負担を掛ける恐れがある。
また、金銭的な問題も関わってくるだろう。
それを私の我が儘で負担させる?
この時、私は思った。
私はなんて自己中な奴なのか…と。

そして両親…姉妹…親戚…級友…担任…
悲しむ…とかは考えなかった。が、迷惑かけるのは必至だと感じた。
周りに何と言われるか?周りは何と言うか?
身勝手な子…或いは姉をもったことに対する同情か?
それとも、迷惑かける子に育てた批判か?
まぁ、どちらにせよ、負担を強いてしまうのは間違いない。
また、級友や担任にしてみれば、ほぼ、とばっちり…

私は思った。
無関係な人間まで巻き込んで、私は何がしたいんだ?
そんなことは出来ない…いや…してはならないことなのだ。
それなのに死を考える…私は、なんて傲慢で恥知らずな人間なのか…
私は自分に嫌気がさした。

それからは、死を考えなく…いや…違うな…
生きなければならない正当な理由、生きていていい理由だけを考えるようになっただけ…
まぁ、そもそも死ななきゃいけない理由も漠然としていたからね…
どれもこれも押しが弱くて、正当な理由にならない。
だから私はコレが逃げ…甘えなのだと思った。
なのに思うんだ。
私は死ぬべきではないのか?…っと。
そしてそれが、常に中心に鎮座している。

今でも思うよ。
私は、なんて愚かな人間なのか…ってね。
ずっと抱えているなんて、どれだけ自己中なんだよ…って。
でも…嫌ってても仕方ないんだよね…自分だし。
それも含めて自分だからね…
私は私を愛すと決めているから、どんな自分も受け入れて好きでいたい。
私を真に愛せるのは私だけだと、未だに思っているからね…

メンタル)生と死を考える 2

昔…私は価値ある人間であろうとした。
ほんの少しでいい…生きていていい資格を持った人間でありたかった。
社会人になって…税金を納める…それは、少しだけ私に価値を与えた。
納税者という価値。
私が納税者でいる限りは、きっと国も認めてくれるはず…私が生きること…
だけど、私は、それすら失った…

主人の妻でいる価値…
一時期は、それも私を楽にした。
直接的な納税者ではなくなったけれど、納税者をサポートする人間にも価値があると思った。
だけど、今はどうだ?
家事をするのがやっとの私に、主人の妻でいる資格がどこにある?
主人に何のアクションも起こせない私に何の価値がある?
いや…そもそも、私は主人にとって、どうなんだ?
マイナスにしかならない人間なんじゃないのか?
今の主人を見て、そう思う。
私は無力だ…
今の私は、去年、主人が言った通り…お荷物でしかない。
それは、ただの被害妄想か?
それとも、ただの強迫観念か…

そもそも、私は何故、人の機嫌を気にするのか?
何故、必死になって機嫌を取ろうとするのか?
コレが、自分にとって大事な人であるとかなら、まだ理解のしようがあるのに…

私は思う。
なんとなくだけど…それは、私が価値ある人間であろうとするせいではないのか?…と。
私はきっと…怖いのだと思う。
死んでもいい人間と思われるのが。
いや…もっと積極的に…死ね…と思われるのが怖い。
死を願われる人間になることが怖い。

嫌われるのは別に構わないんだけどね…寧ろ、嫌ってくれって思うことすらあるし。
いや…違うかな。
私の生死で一喜一憂されるような関係でありたくない…が正解かな…

メンタル)生と死を考える 1

最近の私は、少し変だ。
といっても、自分で、いつもと違うと感じているだけで、表面的には、さほど変わらないと思う。
いつもと同じ朝が来て、いつもと同じ夜が来る。
主人は今尚、自堕落的で…それを注意する気も今は失せている。
ただ…思う。
こんな生き様で、主人は後悔しないのだろうか?…と。

昔から…よく考えていた…生と死。
思えば…私は死ななくていい理由…生きていていい理由ばかりをひたすら考え生きてきた気がする。自分に言い訳するために…

私の中には、二つの感情が常にあった。
死を願う自分。死にたくない自分。
相反する感情…
しかし、その感情は、決して拮抗してはいない…少なくとも意識的には、そう。
私は死を願う自分を嫌悪している。
死を望むのは甘え…逃げ…だ。
そもそも、何故、死を願うのか?
私には、その問いに返す言葉がない。
なのに、私は、自分に言い訳をし続けなければならないほど、死を考えている。
死ななくていい理由を考え続けている。

一時期…私には正当な理由があった。
親としての義務…責任…それが胸を張って言える生きていていい理由だった。
それが私にとって、どれだけ支えになったことか…楽にしてくれたことか…
しかし、そろそろ、その理由も期限切れ…
次の理由は見つからない…正当な理由が見つからない…誰に問われても納得してもらえる理由が見つからない…
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