話題:メンタル

息子が鬱病を発症した。最初は不安障害だったのに。
将来を悲観しての鬱病発症らしい。
だから症状は違う。一緒なのは睡眠障害だけ。

息子は人を信用しすぎる傾向があった。あまり信じないようにと忠告はしていたのだが、本来の性格なのか、はたまた児童期に他の大人が人を信じるように教育したからなのか、そんなことは分からない。
ただ人をあまり疑わない性格で、人に思い入れをしやすい性格であった。
だけど大人になるにつれ、息子の周りには息子を裏切る人が続出した。
息子はショックを受けた。
その頃から、息子の人生の歯車は狂い始めたのだろうな…
その上、息子はマニュアル人間で、目上の人に逆らえない性格である。
いわば奴隷体質なんだよね。
真面目で、本人は一生懸命に立ち直ろうと頑張ってきたけどさ。頑張りすぎちゃったみたい。
私の葬式後の手順は、もう考えてあるから大丈夫だと伝えたけどね(もう考えて悩んでいたんだから、私の方がビックリだよ)
まあ息子は、そんな感じ。
生活が落ち着けば、次第に落ち着くとは思うけどね。
私に絶対の信用をおいてるから、私の言葉は信用するしね。まあそれは、私が息子を裏切ったことが1度もないからだけど。
(約束は絶対守ってきたし、表面上は親身だからね。まあ私から裏切ることは絶対ないけどさ)

でだ。反面、私は人を信用しない。しなさすぎる人。まあ父親の教育の賜物だね。両親姉妹共々、信用してませんよ。だから実は、人間関係でのショックは、それほどでもないんだよね。またか。で終わるから。
しかしなぁ、これには1つ問題があってだね…絶対的な絶望的な孤独感から抜け出せないんだよね…
ホントは助けて欲しいのに、助けてって言えないしね。
まあ言う気もないんだけど。
そんな私だが、情が深くないかと言うと、そうでもない。
実は、ペットロスを起こすくらい情が深かったりする。
愛犬が半年で死んだ時は、泣く以外何も出来なかった。遺体から三日間離れられなかった。その後も数ヶ月、何も出来なくて廃人と化していた。
立ち直るのに、メチャ時間かかったのを覚えてる。あれ以来、私はペットを飼わない。もう世話する暇もなかったし、もう失う苦しみを味わうのが嫌だったから。
まあ犬は好きなんだけどね。深入りはしないかな。もう、あんな思いしたくないよ…

さて、本題に戻ろうか。
人を信用しすぎる息子と人を信用しなさすぎる私。
幸せなのは、さてどっち?
どっちも病気には、なったけどね。
まあ一番いいのは、ほどほど。なんだろうけどね。適度に信じて、適度に信じない。たぶん、それが一番幸せ。
どっちに偏り過ぎても、心には良くないよ。って、ただ、それだけの話。
でも実際、どっちが正しい道なのかね?
どっちも生きづらい気は、するけどね。
ハハハ…