話題:愛情
いつから壊れていたのか?
それは私にも、わからない。
ただ、四歳のあの日の夜、私は自分が汚されたと思った。もう、マトモな恋愛など出来ないと思った。
ヴアージンロードを処女(純白)で歩くという夢は脆くも崩れ去ったのだ。
それ以降私は、自分にマトモな恋愛など舞い込むことはない。と思い込んで過ごしていた。
だからなのか、好意を寄せてくれる男性には最初のうちは感謝すらした。こんな穢れた私なんかを好きになってくれるなんて、なんていい人なのだろうと。しかし、その幻想が砕けるのも早かった。恋心なんてものは一瞬なのだと悟った。
初めて彼氏をもったのは中学生の時。私は感謝した。だが、彼氏が私の体に触れた瞬間ゾワッとした。瞬間、嫌だと感じた。この人に処女を捧げるなんて嫌だと感じてしまったのである。
貞操観念?そんなものも、私は薄かった。
彼氏がいる時は別にして、好きだと告白されれば、簡単にヤれる女だっただろう。
それがたとえ、ヤる為だけの方便だとしても、純粋に好意を抱いてくれたことに感謝してしまっていたのである。
こんな穢れた私なんかでも、抱きたいと思ってくれる。それに対する感謝すら感じていたのだ。だがしかし、男性の告白を丸っと信じていたわけではない。後半は、ただ、タダでやりたいだけなんだろ?と思っていた。
それでも結婚したのは、半分は諦め、半分は、こんな穢れた私なんかをもらってくれる感謝であった。まあ、蓋を開けたら違ったので、感謝の気持ちは直ぐに無くなったけど。
そんなこんなで、DV男とは離婚。
その後も恋愛なんて、男の自己満足だと思い続けた。

さて、そんな私にも好みというものがある。その好みをクリアしないと、私は友達にすらしないのだ。主人は、まあ好みだったかな。
で、そんな主人に、君は愛情が欠落していると言われたことがある。まあ、正しくは壊れているのだ。私が好意を抱くことはある。しかしそれは果して愛情か?と言われると疑問である。
息子にでさえ、そうなのだ。私は母親らしくはしているが、息子を愛してるのかと言われれば謎。ただ、息子には、あまり苦労はさせたくないからとか、息子の健康が心配だったりとか、そういう感情はある。それが愛情から発生しているのかは謎なのだ。なんせ私は本当の愛情を知らないのだから。でも息子は好きだ。好ましいと思っている。勿論、恋愛感情ではない。
友達とも、主人へのものとも違う感情なのは間違いないが。
ただ、そうだなー
息子に何かしら起きたら、自分が身代わりになってもいいくらいの感情はある。
果して、それが愛情なのかどうかは不明だけどね。