話題:イジメ
私と主人は同種。イジメられっ子だった。
主人は言う。
今でも許さない。死ぬまで許さない。死んでも許さない。
主人の意思は頑なだ。それが普通なのかもしれない。イジメられた方は決して忘れない。イジメられたことを。
私だって、イジメられたことを忘れたわけではない。
でも…私は許している。
イジメることでしか、己を保てなかった憐れな子羊達よ。
私は狼で、彼らは子羊なのだ。か弱い人種。人をイジメずにいられないメンタルしか持たない人種。彼らは大人になり、いつかイジメたことを忘れただろう。
しかし私は許そう。
それが普通の人間なのだ。誰かを貶しめてしか自分を保てない。それが人間なのだ。
私もそう。醜い人間だ。
私は彼らを憐れに思う。メンタルの弱さを人を生け贄にするしか保つ方法を知らない、愚かな人種。私より愚かな人種。
きっと彼らは悔いてさえいない。
それでいいと思う。自分の憐れさを知らず愚かさを知らず虚飾に包まれ生きていけばいいさ。そうやって成長せず子羊のままであればいい。
憐れな憐れな子羊よ。
私は許そう。
成長のない君たちを。
因果応報。
私が手を下さずとも、いつかイジメた罰を受けるだろう。それが何の罰かも分からないまま…
私は私を傷つけた者達を許そう。
何も知らない気づかないまま罰を受けることが1番の罰であるから。
許しているのだから、贖罪の意味もないしね。
さて、許されない事と許されることの、どっちが幸せなのかね?
罪と向き合う時間を与えられるのと、罪と向き合う時間さえ与えられないのと…
まあ、もう私には関係ないさ。私には、とるに足りない人種だからね…

追伸
私がイジメる人を許そうと思ったのは小4。イジメにあってる最中である。
この考え方のおかげで、私がイジメによって負った傷は浅いと言えよう。