昔…自分の死の影響を考えていたことがある。
私は死んだら終わりかもしれないが、残されたものは、どうなる?

先ずは死体。
片付けるのは大変だろう。
どんな死に方であろうと、また、どんな立場の人間であろうと、少なからず片付ける人に精神的にも肉体的にも負担を掛ける恐れがある。
また、金銭的な問題も関わってくるだろう。
それを私の我が儘で負担させる?
この時、私は思った。
私はなんて自己中な奴なのか…と。

そして両親…姉妹…親戚…級友…担任…
悲しむ…とかは考えなかった。が、迷惑かけるのは必至だと感じた。
周りに何と言われるか?周りは何と言うか?
身勝手な子…或いは姉をもったことに対する同情か?
それとも、迷惑かける子に育てた批判か?
まぁ、どちらにせよ、負担を強いてしまうのは間違いない。
また、級友や担任にしてみれば、ほぼ、とばっちり…

私は思った。
無関係な人間まで巻き込んで、私は何がしたいんだ?
そんなことは出来ない…いや…してはならないことなのだ。
それなのに死を考える…私は、なんて傲慢で恥知らずな人間なのか…
私は自分に嫌気がさした。

それからは、死を考えなく…いや…違うな…
生きなければならない正当な理由、生きていていい理由だけを考えるようになっただけ…
まぁ、そもそも死ななきゃいけない理由も漠然としていたからね…
どれもこれも押しが弱くて、正当な理由にならない。
だから私はコレが逃げ…甘えなのだと思った。
なのに思うんだ。
私は死ぬべきではないのか?…っと。
そしてそれが、常に中心に鎮座している。

今でも思うよ。
私は、なんて愚かな人間なのか…ってね。
ずっと抱えているなんて、どれだけ自己中なんだよ…って。
でも…嫌ってても仕方ないんだよね…自分だし。
それも含めて自分だからね…
私は私を愛すと決めているから、どんな自分も受け入れて好きでいたい。
私を真に愛せるのは私だけだと、未だに思っているからね…