私がまだ自分に内包されているものを知らなかった頃…
私は大人というのは、物事を多角的客観的総合的且つ確率で判断するのが当然で、行動は常に最悪の事態まで想定し慎重に行うものだと思っていました。
それが普通の大人だとね。

大人には責任があります。
そして、物事は殆どの場合、失敗が許されない。
だから、慎重に…最悪な事態が起きても被害が最小で済むよう完璧に準備(心の準備含む)をするのが当然であり、無責任な発言は控えるのが筋。

また、私は一瞬のうちに、それらを判断するのが大人だとも思っていましたので、影響を考えず容易に発言したり行動したりする主人のことを、良くて…出来ることをしようとしない怠け者。
または、思慮が浅く、楽観主義で無責任な空想人間。
悪くて…わざとトラブルを起こし、人に受難を振りまき苦痛を強いて、それを見て喜ぶ悪趣味な人間…だと思っていました。
なので主人には、いつも不満を抱いていました。
なんてズルい人…イヤミな人なのだろう…ってね。

だけど…うん、違うんですよね。
コレは全部、私の性格難でしかなかったんですよ。
私が大人なら当然だと思っていたことは、あくまで私にとっての当然でしかなかった…大多数ではなかった…
そして、その考え方、思考パターン自体が…私が病んでる証拠でもあったんですよね…



※最悪な事態に備えること自体は、けっして悪いことではないそうです。
私の場合は「過ぎる」のが問題なだけ。