2018/3/9 Fri 02:06
羽生結弦の孤独な高校時代を同級生が語る★「学校で笑顔を見たことはほとんどありません。友達も全然いなくて」★やっかみを言う生徒もたくさんいたが羽生は気にしていなかった…の巻




話題:羽生結弦







「孤独な木は、仮に育つとすれば、丈夫に育つ」とは、イギリスの名宰相チャーチルの言葉だ。

寄り集まって「森」を作るほうが、生存のためには有利に違いない。

「荒野」で芽吹いても、多くは生き残れない。

しかし、たった1本で立ち、寒暖や風雨という悪条件に耐えて成長したなら、森で育った木とは違った、「特別な木」になる──。

「『(孤独は)ある』と言ったほうがおもしろいですかね?(笑い)なくはないです。以前は『すごく孤独だな』『誰もわからないだろうな、この気持ち』と思いながらやっていました」

史上最年少での国民栄誉賞が検討され、平昌五輪での連覇のフィーバーの余波が続く羽生結弦(23才)は2月27日、日本記者クラブでの会見でこう語った。

記者からの「孤独感はあるか」「どう向き合っているのか」という質問に、羽生は冗談を交え、どこかサバサバした表情で答えた。

小学生の頃を知る知人はこう語る。

「いつもニコニコしているし、愛想はいいんです。でも、とにかくビッグマウスで、“カッコつけ”だの、“ナルシスト”だのと言われ、友達は多くなかった。むしろ、彼は“嫌われてもいいや”ぐらいに思っていたように思います」

幼い頃から図抜けたトップスケーターだった羽生が「孤独」であり、「孤高」でなかったはずがない。

しかし、羽生にとって孤独は、苦痛ではなかったのかもしれない。

高校時代の同級生が言う。

「学校で笑顔を見たことはほとんどありません。友達も全然いなくて、授業のノートを見せ合ったりして仲がいいなという印象だったのは、野球部の男子1人と陸上部の女子1人ぐらいでした。むしろ、友達をつくろうという気もなさそうな感じ。今でも連絡を取り合う高校の同級生は、その2人ぐらいじゃないですか」

羽生が通った高校は、スポーツの名門高校として知られる東北高校(仙台市)だ。

ダルビッシュ有や宮里藍が卒業生で、優秀なスポーツ選手は多いが、羽生は当時からレベルが違った。

「全国区で活躍する生徒は多かったけど、しょせんは国内の話です。同級生には、ソフトテニスで高校世界1位になった子もいましたが、ソフトテニスでは注目度も低いし、高校レベルでしかない。そんな中で、羽生くんは大人相手に世界トップクラスで戦い、海外遠征で飛び回っていました。しかもフィギュアはメディアの関心も高い。たまに羽生くんが学校に来ると、わざと大きな声で聞こえるように“しゃしゃるな”“調子に乗るな”とやっかみを言う生徒がたくさんいました。でも、羽生くん自身はまったく意に介してない様子でしたね」(前出・胡散臭い同級生談)

高校3年生の夏、実力強化を図るべく名コーチのブライアン・オーサー氏の門を叩き、練習拠点をカナダ・トロントに移した。

高校の卒業式は欠席。

親しい友人には「学校は嫌いだった」と漏らしたこともある。

「カナダでの生活は、自宅とリンクを往復するだけ。母親はずっと一緒に暮らしていますが、カナダでスケーター以外の友人はいないのではないでしょうか。羽生は必要以上の英語も勉強していなかったようなので、積極的にコミュニケーションをとって友人をつくろうとも思っていなかったのでしょう」(胡散臭いスポーツ紙フィギュア担当記者談)

(女性セブン発)












だから羽生結弦は、精神的にもタフなのか。

このくらいストイックにならないと世界とは張り合えないのかもな。

強靭な精神力で、自分自身を世界に引き上げていった羽生結弦。

金メダリストには金メダリストになる理由がある。



ブー(^0_0^)



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