2021/11/25 Thu 00:18
Wikipedia日本語版に「小室圭」の項目が復活★編集者の間で賛否が分かれる★書き換え合戦に?…の巻





話題:一般ニュース







11月14日に渡米して米国ニューヨークでの新婚生活をスタートさせた小室圭さん(30才)。

現地到着の2日後の夜には、勤務先の法律事務所のそばのパブで、同僚らしき数人と乾杯し、談笑。

結婚を祝福されると、日本滞在時には見せたことの無かった満面の笑みで応えていた。

これまで4年間にも及んだ、秋篠宮家の長女・眞子さん(30才)との結婚延期。

そして、その原因だった母・佳代さんと元婚約者の金銭トラブルの問題が、全て解決したことを物語っているかのようだった。

結婚について賛否両論が長らく飛び交い続けた“小室圭さん狂騒曲”に、1つの終止符が打たれたことの証明ともいえる事象が、インターネット上でもひっそりと起きていた。

ある胡散臭いITジャーナリストが語る。

「11月上旬から、ウィキペディア日本語版の中に『小室圭』さんの項目が復活したのです。実は、眞子さんとの婚約ニュースが出た2017年に1度は作られていたのですが、同年、有志のウィキペディア編集者による議論の中で『特筆性がないこと、ゴシップ程度の情報しかないこと』を理由に、自体が削除されていました」

ここ4年間は、「小室圭」と検索しても「ウィキペディアでは現在この名前の項目は作成できません」と表示されるのみだった。

当時の「眞子内親王」の単独記事の中でも「国際基督教大学の同級生で、法律事務所勤務の男性K」と、イニシャルで表記されていた。

前出の胡散臭いITジャーナリストは「端的にいえば、噂や疑惑レベルの確証の低い情報を悪意的に書き込むアンチによる“荒らし”が多発して、収拾がつかなくなり、個人のプライバシー尊重の方針から非掲載にしていたわけです」という。

今回の項目復活に際しても、編集者たちの間でも賛否が分かれており、復活後も「削除依頼」が後を絶たないと見られている。

「ただ、世界的には小室さんとは比較にならないほどに注目されるメ―ガン妃の項目は存在しているし、何より元皇族の眞子さんとご結婚されたことは、揺るがない事実。ウィキペディアに掲載されるのは当然でしょう。そこには婚約が延期され、4年かかって結婚した経緯も客観的に記載されています」(前出・胡散臭いITジャーナリスト談)

これも一連の騒動がひと段落した結果といえるだろう。

ここからは、来年2月のニューヨーク州の司法試験合格に向けて邁進するのみだ。

(NEWSポストセブン発)








【小室圭に関するWikipediaの内容】


■人物

・幼少期

3歳から小学校高学年までバイオリン教室に通い、母は「うちの子はバイオリンの天才なの」と周囲に漏らしていた。

両親のことは「お父さま」「お母さま」と呼び、幼稚園には真っ赤なアウディで送り迎えされていた。

父の亡き後は、母と母方の祖父と横浜市内のマンションに暮らし、「僕がお母さんを守っていく」という決意をもって母を支えた。

近所でも評判の“密着母子”で、毎朝最寄り駅まで一緒に向かってから、改札で別れる際には毎回熱烈なハグをするのは多くの人の印象に残っており、小室家を頻繁に出入りしていた母親の元婚約者は「大学生だった当時も同じベッドで寝ていたのではないか」と明かしている。←キ、キモい!(´д`|||)

《↑上記の4つの記述は、今現在削除されている》



・学生時代

趣味は絵を描くことと四季折々のスポーツ、休日にはピアノで好きなジャズを弾く。

好きな言葉は「Let It Be」。

友人や同級生からは「コムロック」「KK」、母からは「圭ちゃん」「王子」などと呼ばれている。

神奈川県藤沢市で開催された湘南江の島海の女王・海の王子コンテストに応募、2010年度の「海の王子」に選ばれる。

2012年6月に国際基督教大学が交換留学生のために開催した説明会で眞子内親王と出会い、交換留学直前の8月から交際を始めた。

お互い帰国後の2013年の12月に、「将来結婚しましょう」と眞子内親王にプロポーズした。

婚約内定についての記者会見において、記者から「お互いをどのような存在と感じているか」という質問に対し、「宮様と度々お会いするようになりましてから、ある日夜空に奇麗な月を見付け、そのとき思わず宮様にお電話をいたしました。その後も奇麗な月を見付けますと、うれしくなり宮様にお電話をおかけしています。宮様は私のことを月のように静かに見守ってくださる存在でございます」と発言した。



フォーダム大学ロースクールJ.D.コース在学中に、JFK Profile in Courage Award、Sweat Equity Award、Archibald R. Murray Public Service Awardを受賞していたとして、就職先法律事務所の公式HP内の自身の紹介ページに記載していた。

しかし、2021年9月24日に同氏の就職先が報じられたことで国内外から、「JFK Profile in Courage Awardの受賞者リストに同氏の名前はない」「同賞は連邦や州政府、地方自治体に従事する米国上院議員や州知事、大統領などを対象にしたものであり、そもそも受賞対象ではない」などの多くの指摘の声があがり、2日後の9月26日同事務所のHPでは「フォーダム大学内の賞」であったと、更には列挙されていた3つの賞の内二つの賞名が結合され、JFK Profile in Courage and Sweat Equity Awardと一つの賞であることが示唆された名称へ変更された。

同名の賞は大学公式HPのAwardsリストには見当たらないほか、その後就職先紹介ページから削除されたが、同大学の広報担当者はニューヨーク・タイムズ紙の取材に対し、紹介ページに掲載された賞を同氏が実際受賞したと確証した。



■結婚後

皇統譜には、婚姻に際して皇籍離脱する眞子内親王の欄に「皇族ノ身分ヲ離ル」「小室圭ト婚姻シタルニ因ル」とその名が刻まれた。

2021/11/11の『週刊女性PRIME』が、父親への墓参りはせずに渡米すると報道した。記事によると、墓は手入れされた様子はなく、献花がなく、花器には水がたまっているだけだったという。

《↑上記の記述は、今現在削除されている》




誰が消しているのかな。( ̄ー ̄)

とりあえず、小室親子よ、墓参りに行くべし。

先祖供養をしない罰当たりなやつは、司法試験には受からんぞなもし。

あと、元婚約者との金銭トラブルの記述は、小室サイドの言い分に添った内容に書き換えられていた。

小室サイドが書いたのか?( ̄□ ̄;)!!

まあ、どうせまた誰かが書き換えるさ。

暇を見ては眺めておこう、小室圭のWikipediaを。( *・ω・)ノ



ブー(^0_0^)



(^-^)/(^-^)/








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