話題:素直な気持ち

昔は、知らなかった電車も駅も土地も、いとも簡単に検索してはルートを導き出せてしまう。(多少の方向音痴が狂わせたりはするけれど)最短も最安値も簡単におしえてくれる。ひとりで電車に乗るのがこわかった時期を過ぎ、ひとりでどこへでも行けるようになったのに自由よりも不自由さを感じてしまう。地下鉄は今でも苦手だ。車窓から見える真っ暗な世界は地上の光を忘れさせるほどの孤独や虚無を感じさせる。行き先の決まった旅なんて、結末がわかった物語のような味気なさがあるのに、到着することを待ちわびている自分がいる。



江國香織の赤い長靴という小説を再読しようと思ったのは、近所の図書館がしばらく休館することを知ったからだった。本棚を眺めながら、その一冊に目が留まった。こんな本持ってたっけ?そんな疑問とともに手に取り、読み始めれば、以前読んでいたことを思い出した。読んでいた当時と環境の変わった今のあたしを納得させる一冊だったことは、神のお導きなのか否や。一緒にいないときの方が旦那をすきだと思う主人公にひどく共感した。

最近、彼の職場で残業をしないスタイルが確立したおかげで、彼の帰宅はとても早くなった。互いにフルタイムで働いていていながら、定時上がりのあたしとおなじくらい(むしろ、早いくらい)に家にいたりする。そんな彼をおもしろく思っていない自分がいることに気づいたのは休日だった。家事に追われ、自分のやりたいことをなかなかにやれず、迎えた週明け早々、寝坊した。休日があったにも関わらず、疲れが取れるどころか疲労困憊気味で身体のあちこちが痛む。彼が早く帰宅するようになってからと言うもの、どうにも自分の時間がないように感じてしまう。となりにいては、録画して(たのしみ)いたドラマやアニメを観ていても、茶々を入れられ、終いにはふてくされたりするのだからストレスが溜まる。彼が帰ってくるまであった数時間の自由は、すべてが彼のための夕食作り、洗濯、掃除に奪われてしまう。帰宅して、休むこともなく取り組む、よし観るぞと座った瞬間に帰宅されると素直に「おかえり」と言えない自分がいる。
一緒に住む前は、帰る場所があることをさみしく思い、ずっと一緒にいたいと願っていてのに。今は、ひとりの時間がほしいと願っている。わがままなのだろうか。狭い部屋のなかで個人を尊重できる空間作りや時間は必要であると実感するのは、彼だけがいればいいと思っていた恋愛体質だった若い自分から脱皮したような気持ちよさがあった。
それでも、早く帰ってきた彼をあたたかく迎え入れられない自分を認めることもできず。冷たくあしらってしまったかなと後悔したり反省しては、彼のすきなものを食卓に並べる。ひとりになりたいと思いながら、長くひとりの時間があるとさみしくなる。早く帰ってきてと願いながら不安を押しつぶすのに、彼を見た瞬間、ひとりになりたいと思ってしまう。この矛盾も含めて、愛なのかもしれない。彼と一緒に暮らすアパートがあるから、あたしは孤独にも強くなれたのかもしれない。帰る家が一緒なのは、うれしいことで、降りたことなかった駅も、乗ったことなかった電車も、歩いたことのなかった土地も今ではふたりの拠点のように馴染んでいた。