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違いを生きる

前、授業で「同じとこ探しゲーム」をやったことがあるんだ。
5人くらいのチームで、全員に共通するとこを探すの。

そしたら、ないない共通点!
ボランティア論っていう授業だったから、割と趣向の似た人が集まってるかと思いきや。

その時さ、似てるようで似てる人なんていないんだな。
別々の違う人なんだなって思ったんだよ。

そう考えると、もともと違う人間同士なのに、違うとこを見つけてはいじめがおこるのは不思議だね。

大阪の通り魔事件を受けて思うこと

「助けて」って言われたとき助けにいけるかなって。

できないな。
直接助けることは。
きっと。

成人男性に力で勝てない、勝つ算段がない。
それより先に足が竦んで動けないかも。

でもそんなのはいやだ。
見殺しにしたくない。

じゃあ何ができる。
何を出来るようになってたらいい?

悲しいニュースを見るたび思う。

力か。
柔道剣道護身術

でもできるならばそんなことのないように、世界から変えたい。

特に後者はむづかしい。
わたし一人がやんややっても変わらないことかもとも思う。

でも何かせずにはいられない。
考えることを止めてはいけない。

無力な私が唯一今できること。

あと、冷静に的確に迅速に通報。

思うこと

少年法で減刑した分の刑期は、親が負担するべきだと思う。

裁判で話し合う議題だと思う。

過程を見ていて!

ずっと違和感を感じてた。

わたしは自殺は否定する。でも責めない。そこは他人が口を出せる問題じゃないと思うから。

生きたくても生きられない人もいるのに…とか言う人がいるけど、じゃああなたは死ぬほど苦しくて自殺を考えてる人を救う手立てがあるのですか?と問いたい。

順序が逆だと思うんだよ。

自殺ダメゼッタイ!って言っても、その人の苦しみは解決されてないよね。

自殺のニュースが出ると、自殺の行為自体に焦点が絞られた討論されたりするけど、話すべきは、自殺しようと思わない世の中の創造じゃないのかな?

その人を救う道はなかったのか。
サインはなかったのか。
原因は。

洗い出して、じゃあ、どう予防するか考える。

そういう話しこそ討論する意味があると思うんだけど。


九州大准教授自殺のニュースを読んで、そんなことを感じた今日この頃。
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