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吉良知彦の逝去

今年最大最悪のニュースで、この訃報以来私の体調は極めて優れません。人間が生きている以上いつかは訪れることだとしても、あまりにも急だし、直前までツイートしていたこともあって、こんなこと予想もできなかった。
悔やまれるのが、私はついこの一ヶ月前に「最近ZABADAKへの興味を失いつつある」とツイートしたところ、吉良知彦さんはすかさず引用リツイートで「やばい」と返信。1ファンの意見などどうでもいいでしょうに、わざわざ返して頂けたことが嬉しかったけど、よりによって「興味を失いつつある」なんて書いたものでのやり取りが最後になってしまうとは。

いまはKOKIA、霜月はるか、みとせのりこなどが若い世代に認知されていると思うんですが、この幻想世界のような不思議な音楽のルーツはそもそも80年代末期から90年代初頭にかけて、吉良知彦と上野洋子がZABADAKとして作り上げたものだと思います。新居昭乃や遊佐未森、もう少し時代を遡って谷山浩子も。決してメジャーにはなりきらなかったけれど、確実な需要がそこにあったから、ZABADAKの世界が長い間愛されてきたんだと思います。

とかなんとか偉そうに語れるほど自分自身は歳を重ねておらず、私がZABADAKと出会ったのは2008年。初めて聴いたのは『光の人』。
どこの世界の、いつの時代の子とかもわからない物語を歌う、その世界観と、吉良知彦のあまりにもセクシーな歌声にびくりとしたものです。もっとも、その歌を聴いたのは『光の人』に合わせて「ピカピカの実の能力者=光人間」である『ワンピース』の黄猿が延々写し出されるだけのシュールな動画だったのですが。

とにもかくにも、いったいこの歌手はなにものなのか、ZABADAKとはなんなのか、と探し求めて、最初に手にしたアルバムはライブアルバムの『prunus』。就活で上京した際に秋葉原のブックオフで見つけたのを覚えています。当時は大学生で、Amazonなんて使ったことはなかったので、自分の足で探すしかなかったのです。今でも私が持っている全てのCDの中で最も大事な一枚になっています。

それからは、柴田淳や谷山浩子と並んでZABADAKは私が最も好きなアーティストのうちのひとつになりました。
もちろん、1993年まで加入していた上野洋子のボーカルにも魅了されましたが、やはり私は『駆け抜ける風のように』『嵐』『子午線のマリア』と吉良知彦の歌が聴いていて心地よかった。
2015年のアルバムのリードタイトル『ここが奈落なら、君は天使』。最後まで、吉良知彦の歌声は力強かった。

本当に本当に残念だし、もっとたくさんの歌を聴きたかった。
それでも吉良知彦の残した幻想のような音楽、その系譜はずっと受け継がれていくと思います。

ありがとうございました。
吉良知彦さんの意思を、奥さんの小峰公子さんが継いでZABADAKは活動を続けていくそうです。
これからも、楽しみにしています。
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