劣等感とか疎外感とか、自分の思想からしか産まれない感情に雁字搦めにされながら生きて行く日々に、ふと生じた疲れは取れない。小野寺です。




先ほどまでの熱も冷めて、やはり冬の訪れを全身で実感しては1人で在る事をまざまざと思い知らされるのです。パートナー、とはなんぞや。




人の視線とか、長いものに巻かれろとかもう世の中の大半の人間の護衛術は腐り果ててしまっているのではないだろうか。目つきを鋭くしては擦れ違う人々に殺気を送りながら帰路につく私を誰が救ってくれるのだろう。



心臓が痛む。この痛みがもし消えることなく続いて、挙句、脈を送ることを辞めてしまっても私には後悔などないのだ。だがしかし、今私が消えてしまったとしたのなら、此の世に生きていた事など数年で欠片も無く散り果てるのは間違いではないはずだ。何も残せない者に、負け犬以上の価値などつけてはくれないのだ。浮世はどうも生き苦しい。




どうしてこんなに鬱蒼とした空気を纏ってしまっているのだろうか。今日は有ってはいけない日だったのだろう。これも記憶から消して頂きたい、死んでいった今日とでも言うのだろうか。




睡眠を取ります。そしてまた朝が顔を出す頃、寒さに震えながらもわが身に鞭打ち、足を、全身を動かして今日を渡り歩くことを辞めはしないのだろうな。なんて人生は律儀だ。




箪笥の整理を怠らない!
さようなら2度と来ることのない死んでいった今日と、私の劣等感。