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上に立つ




人様の人情と気遣いと親切との上に立つ私の自我は、我儘を通り越した暴挙に出ました。これはもう取り返しのつかない、引き返せない事態でございます。小野寺でございます。




全てをリセットして我が身を整えました今、私は意外にも清々しい気分で息をしていました。罪悪感と背徳感に襲われていたのは事前、事が起きてしまえば其れ等は時間とともにさらりと消えてしまったではありませんか。




間違っているのは人として?そうやって世論に我が身を寄せているから随分と生きづらいのではないだろうか。私は私のやりたいようにやらせていただきます。これからは少し謙虚に。まだ学ぶべきことが多いのを自覚出来るように。人を立てる事を覚えて行きたいと願っては夢を見るのです。



ああまだ見ぬあの未来では私は苦労し、汗水流しながらも輝いて明日を迎えることが出来ているのだろうか。そればかりが心配で眠れない夜では御座いますが、どうやら案ずる必要もないようです。覚悟はその地に晒されてからであります。私はぶっつけ魂、やってみなくちゃ分からない精神で今までやってきたのでありました。



ああ楽しくってしょうがない。こればっかりは私にはどうしようもない。早く来い来い金曜日。






季節、人格、人生





季節の変わり目に人格は変化を感じるようで、私には負のオーラがまとわりついておりました。今は過去、それに気付けた私の気分は今夏の照りつける太陽よりも痛く、でもしかし眩しくそれは輝いているのです。小野寺です。



人格さえをコントロール、操縦してしまえば日のテンションさえこちらのもの。その攻略法を必死で探しておりましたが、所詮私。私は私。私のことは一番私が存じ上げております故、そんなものがそこらに転がっているはずもありんせん。答えは全て、アンサイズニア。ここに全て用意されていたのであります。



もう不幸を嘆きません。長すぎた闇の時代は幕を下ろしたのです。何事も私を立てる為の必要で御座います。ありがとう、人生。ありがとう、環境の全て。私が選んだ今日という日を全力で生きていく事に誓いを立てたのでありました。




活力は鬱を食べます。さぞ美味しい極上の鬱だったので御座いましょう?これまでにないほどの歓喜をあげては明日を楽しみにまぶたを閉じて夢を見るのです。




無は人を自由にする。
次は私の番だ。






ラプソディ(動悸)ウィズザディスティニー





この胸の高鳴りは恋かはたまた不整脈か。セカンドオピニオンを推進致します私、小野寺と申します。




もう人との別れがこれほどまでに苦しいとは。過去の私にとってはなんとも信じがたい光景ですこと。人前で涙を流せるまでに成長致しましたことに、合掌、それは感動のシンフォニー。




一度触れるたびに生じる安心感とやらにどうも依存しきってしまっていたようで。こればかりはリハビリでどうにか治療してしまわねば、この先廃人となってしまいましょう。貴方依存さえ脱してしまえば、というよりは依存をコントロールしてしまえば過ちは再び顔を出すことはないのでしょう。





最近よく流してしまう涙では、価値を測れないとばかりに私の頭の悪さとストレスでの腹のたち具合がどうも右肩上がり。最近は小さな物事、例えば青いあの空にさえ平気な顔で舌打ちを鳴らしてしまえるほど、心が闇に落ちてしまっているのです。さぁて、ここぞで救出と行きましょう。



彼のおかげで私の貞操も、心の荒波も、静寂を手にすることが出来ているのです。感謝しても仕切れない。容易な台詞では御座いますが、一生をかけて貴方様を愛し続けていくことで感謝を返済致します。どうぞ、お付き合い下さいませ。




ああ、愛おしき故郷、家族、そして君。





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