声、響きたりて



今日で私はめでたくも22歳を迎えることが出来ました、日々精進をテーマに、掲げ生きてきた21歳はなんとも愛おしい終わりを迎えたのです。小野寺でございます。




さて22歳となりましては、私はやはり人々への感謝を忘れずに生きていこうと心に決めていたのであります。全てのものに想いがある、それがわかった今だからこそ、己が信じるままに私は生きているのです。



今週末にもまたひとつ、決戦を迎える私はやはり先のことばかりを見ているのです。それもそれでよし、そう思えただけでも私は楽観的になれているのではないだろうか。




澄んだ青空が憎いのは今のうち。私が全てを手に入れた時こそ、ほんとうの空の青さを知るのです。それまではただひたすらに歯を食いしばって今を駆け巡る、そして時に笑いながら明日への希望を募らせるのであります。




愛おしい我が人生よ!
希望と夢と現実にこれほど満ち溢れている毎日があっただろうか。
今一番私を輝かせる原料になっているのはやはり、周りからの様々な想いなのでありました。




もはや私は仏にならねばならない。
ストレスの基準値はとうに超えてしまった今だからこそ私は全てを投げ捨て匙だけを再び拾っては正義を掲げる真似をするのでしょう。




それでもいいさ!
私が私である限りは、私以外私を生きることなど出来はしないのだから。





遠く南へ向く




幸せな朝をありがとう。私は自分が思っている以上に恵まれているようでした。気付かせてくれたのはやはり、彼なのです。小野寺でございます。




最近は涙を流すことが増えてしまって、困憊しておりましたが結構、その中には嬉し涙も混じっているようでして。まるでイリュージョンかの如く我が家に現れた彼のサプライズで言葉さえも流れてしまったのです。素敵、それ以上の感謝で私は崩れ落ちてしまいました。




こんなに愛おしい人も、人を愛おしく思う自分も初めてで、全ては私の実体験となって人生に積もっていくのであります。その腕に拭われた涙も、その腕に包まれた我が身も、脳内でリフレイン、木霊しては消えて、また幸せな感情を撒き散らす。



我が愛おしい人生よ。もうこれでは私がいくら頑張ったところで何も返すことは出来ない。しかし、恩くらいは返したい。その想いだけは律儀に、必死にもがき苦しみ努力致すことを私はこの日、決めたのであります。待っていてください。その日まで。



2年で流れていってしまう全ての出来事が怖かった。でも人生の中のたった2年。それくらい耐えれねば、この先のどんな困難にも立ち向かえるはずもない。私は私を生きている。どこまでもタフに、力強く生きるのだ。




ありがとう、あいらぶゆー。




記憶妄想、追憶



居た堪れない気持ちだけが募っていく。わたしはこの気持ちの処理の仕方を全く知らない。試行錯誤で動いては、何かを踏み間違える日々。私だけではどうしようもできないのは目に見えて分かっているのに、周りに縋ることに怯えるこの身は、一体どこまで持つのだろうか。小野寺でこざいます。



御立腹でごさいます。信じていたとは言わないけれど、やり方がとても汚い。道徳を学ばずして生きてきたのを包み隠さず曝け出しているにも関わらず、それを正当化している貴様に腹を立てている。一層この世に地獄という場所があったのならば、そこに放り投げてやりたい。貴様の死を心から望みます。




彼女にも大事を理解して頂きたい。彼にもそれなりに。私はだれにこの気持ちを伝えれば良い?何故人は悩みを撒き散らす割に片付けもせずに平然とその場を去ることが出来る?見返りがほしいわけでは決してないのに、此れでは余りに不平等ではないだろうか。



死んでしまえ、死んでしまえ。
こんなことなら他人の為に動かねば良かった。仕返し?そうともとれるこの仕打ちに私はもはやお手上げだ。飯を食う気力さえ上げてしまって、無気力。お金が無いが元気だけは有り余っていたのに。お金も底をつき、元気は根こそぎ奪われた。私に残されているのは使い道の無いこの身体のみ。




これから如何して生きていこうか。無様に生きて行くしかないのだけれど。必死で何かを求めていたあの時代が懐かしい。いまは只、焦って夜を見過ごして、毎日を充実させる為にひたすら笑っているしかないのだろう。




もう、眼を瞑ろう。
明日も見えない両目に瞬き合掌。

人目憚らず、夏




とうとうこの季節です。7月の始まりは小さな鬱と自由の日々から始まりました。小野寺でございます。



夢に向かって羽ばたいているか?今までの優しく気の弱い、適当に世の中を渡り歩いていた日々の自分との決別。私は自我と共に多大なストレスをも請け負った。そう考えればお安いハンデだもんで。ここらで私は私を開花させたく申し候。




しかし梅雨はまだまだ止むことを知らない。雨は気持ちを沈めてしまうのです。私は雨がお好き。ならばなんのこれしき、これっぽっちも気にならないのです。




私は私を愛そう。私は人々を愛そう。私は世界を愛そう。私は全てが愛おしい。仏、菩薩のような心さえ手に入れてしまえば、いとも容易に人生を謳歌出来てしまえるのに。ゆえに世界は美しい。たらば生きることも死ぬことさえも。




さて、私は元気です。今が多分、人生の岐路でございます。全てにおいて全力で挑まねばと掌を固く握って今日という日を死に物狂いで生きるのでございます。



今日も今日とて死んでいく。
私は私を生きるまでだ。







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