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曲がりなりにも、回り道




最近の焦燥や悲壮、漂う空気に食べられるような不安は果たして何なんだろうか。誰と一緒にいて何をしていれば解消出来るのかは頭では分かっているつもりなのだけれど。小野寺でございます。





果たせない約束ならば、軽い重い関係なしに形に、口に、言葉にしないで欲しかった。昔から嘘は嫌いで、特にその中の「無自覚な嘘」は責める相手を見失うやり場のなさが本当に嫌いだった。それを克服してしまえばこんな気持ちにはならずに済んだのかもしれない。時すでに遅しとはこんなことを言っていた気がいたします。




沢山の不摂生を許してしまったこの体が悲鳴をあげているようです。しかし見向きもしない。私が大切にしているものは、それに見合った返しはしてくれないのね、と捻くれてはその凡人らに見合ったレヴェルまで自分を引き摺り下ろしてしまうのです。




私の寝込みを襲ってよ。
最悪な事に、こんなに休みが続いても1日目にして私は退屈を思い知るのです。貴方がいた日々が私を孤独にさせる。なんとも矛盾を繰り返しては私は私を1日1日生きるしか術は無いのです。




ひとりの足は私をどこに連れて行ってくれるのかしら。





その術さえ貴方が奪ってしまったのかも知れない。
(ああ本当に愛おしい、貴方に会いたい)





沈んでは跳ねる浮き輪の如く





まさかのサプライズのあの日からもう2日。明日私はまた旅立ちます、みなさまありがとう。彼に5億の鈴と赤いバラを。小野寺でございます。




素敵な夜をありがとう。成功していてもこんな風に思っていたのだろうか、ただ、彼の中の罪悪感を増長させてしまっていただけではなかろうか。そんな考えばかりが脳裏をよぎる。そこに答えなどありはしないのに。



素直さとはまさにノリとテンション。あの時素直に私がそれを口走っていたら?耐えきれずに怒り狂い、許すことができなくなってしまっていたら?最早地獄を生きていたことでしょう。





握られた手も、撫でられた背中も、全てが私の糧でございます。ありがとう、早く2年という月日を乗り越えてしまえば。そんな淡い焦りを胸に明日、向かいます。あの地、あの大嫌いな東京に。





彼もまた夢の中で。
また会えたのなら思い切り素直な言葉を送ってみる。




おやすみ愛しの故郷。
別れの時まで。










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