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思い出が必要なわけ

今月頭に祖父が亡くなりました。

ずっと体調が思わしくなく、2年ほど前に病が表にでて寝たきりになり、話すことも体を自分の意思で動かすこともできなくなりました。

それでも周りの声かけに目を動かして答えるような仕草をしたり、孫やひ孫の姿に微笑むような表情をしていました。
でもここのところ痰を取っても取っても取りきれないと私の母が話していて、前にも似たようなことがあったので、季節の変わり目だからかなぁと話していましたが、脈も早いとのこと。

これは、そろそろということなのだろうか

そう思っていた矢先に祖父の訃報が届きました。


旦那と娘と息子も一緒に戻り、棺桶に入った祖父と対面しました。
ドライアイスのせいか、死んでしまったからなのか、いつもの温かさはなくとても冷たかったですが、頬の柔らかさは変わらなかったです。
昼寝をしているような表情で、顔色が悪いことを覗けばそのうち目覚めそうな感じがして、棺桶に入ってるのが不思議な感じがしました。

火葬場にも行き、骨もひろいました。
お墓にも入れました。
泣きました。
とてもとても悲しくて泣いたはずなのに、何故か今も祖父が死んでしまったという実感がありません。

実家に帰ればそこに祖父が居るような気がしてしまいます。

祖父の笑った顔や困った顔、祖母と喧嘩したり、母や叔父をしかっていたり、草笛を吹いてくれたり、抱っこしてくれたり、一緒に昼寝をしてくれたり、昔のことや地域のこと社会のことを教えてくれた瞬間、時間は今も鮮明に私のなかに有ります。

祖父母と一緒に祖父の船で魚釣りに行ったのは、もううん10年も前の事なのにとても楽しかった思い出として残っています。


いつか私も死ぬのだから、それまでに子供たち(できたら孫にも)に居なくなっても思い出したら温かな気持ちになれる思い出をたくさん作れたらと思いました。
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