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『とりかへばや物語』

病ん病んyummy!
お久しぶりのそう、Akashiです。

突然ですが。
皆々様は『とりかへばや物語』という古典作品をご存知でしょうか?

由緒正しい貴族の家に生まれた「活発で男勝りな姉」と「大人しく女々しい弟」は、異母姉弟でありながらも瓜二つ。そこで、成人を迎えると共に姉は「男」として、弟は「女」としてそれぞれの職に就く。
しかし、紆余曲折を経て姉は「女」として、弟は「男」として生きていくこととなり、姉弟共に人臣としては最高位を得て、幸せになりましたとさーーという話です。

光源氏が理想の女性を育てていた時代にしては、かなりセンセーショナルな内容だと、これを読んだ中学生時分には強い衝撃を受けました。
一方で、アリストテレスが生きていた時代でさえ「最近の若者は云々…」という話がなされていたというのだから、いつの時代も人間は同じような感覚を持ち、同じような問題にぶち当たるんだなぁとも感じました。

だからこそ思うのです。
生物学的性差がある限り、社会的性差は絶対に無くならないーーと。

ジェンダーレスだのジェンダーフリーだの言われている時代に、何て時代錯誤なことを…と思う方もいらっしゃるでしょう。
それは承知の上で私が言いたいのは、「ジェンダーナントカ」と、敢えて言及する必要性を感じないということ。

例えば、「草食系男子」や「肉食系女子」という区分。
これは、男子が肉食系(恋愛に積極的)、女子が草食系(恋愛に消極的)という前提があってこそ。

つまり、告白やプロポーズをしたり、デートをリードしたりするのは男性側の役目で、例え強かに唆していたとしても表立っては動かず、待っているように見せるのが女性側の役目であり、そうでない新種生物を区別するために「草食系男子」や「肉食系女子」と呼んでいるわけで。
さらに言えば、この区分は「男らしさ」「女らしさ」という社会的性差が根底になければ生まれなかったわけで。富良野は寒いわけで。

だからね、たぶんね。
シミ抜きできないほど、私たちには社会的性差が染み付いているのです。

故に設けられる女子会や男子会。
女はそこで可愛らしいパンケーキの写真を撮り、男に媚びる女の悪口や同じミスを繰り返す彼氏あるいは旦那の愚痴を言い、「男って何を考えてるかわからない」と言う。
一方、男はそこで幼少から好物の唐揚げを貪り、大人になってから覚えた酒を酌み交わし、将来の展望を熱く語り合い、母親と同様に口うるさい上、いきなり不機嫌になる彼女あるいは嫁の愚痴を言い、「女って何を考えてるかわからない」と言う。

そもそも感覚がまるで違うのです。

彼氏に女子会で食べたパンケーキの写真をLINEで送っても既読無視だとか、彼氏に体調不良を訴えたら「病院に行った方が良いよ」と返されたとか、旦那に靴下を裏返したまま洗濯機に入れないでと何回言っても直らないとか、旦那に子どもを寝かしつけた後に帰宅する際は静かに帰って来てと何回言っても物音を立てるとか。
男からしたらパンケーキを食べたという報告を受けた時点でやりとりは終了、だけど女は「イイネ!」でも何でも自分に関心を持ってほしいわけで。
男からしたら体調不良なら病院で適切な治療を受けた方が良いというのが最適解、だけど女は「大丈夫?」とまずは心配して欲しいわけで。
男からしたら洗濯した後でも履く瞬間でも靴下の裏返しは直せる、だけど女は干すときから正位置であって欲しいし、同じことを何度も言わせるなと思うわけで。
男からしたら会社でも家でも神経を使うなんて苦痛、だけど女はそんなこと知ったこっちゃないし、旦那までもが世話の焼ける子ども状態じゃ困るわけで。

ーーと、こんな具合で。

元々の感覚が違うからわかりあえないのに、その差を無くすなんて無理難題。

「男らしく」「女らしく」という直接的な表現を控えろという潮流が生まれても、社会的性差に対する捉え方が穏やかな波になっても、完全なる凪状態になりはしない。

だからこそ。
これについて言及しなくて良いよーーと、私は言いたいわけです。

暗黙の了解というか、きっと誰もが頭の中ではわかっていて、だけど「ジェンダーナントカ」と言うことがトレンドだから社会的性差に過敏になっているだけ。

『とりかへばや物語』がそうであったように、生物学的性差を超越することは難しくて、だからこそ物語では元に戻る結末がハッピーエンドとして描かれていたのかもしれない。
だって、男性の身体の方が筋肉は付きやすいし、女性の身体の方が脂肪は付きやすいし、どこまで突き詰めても、どれだけ望んでも、男性に子どもは生めないもの。

生物学的性差はどうにもならないとわかっていて、敢えて社会的性差について問題提起なんかしなくて良い。
逆に、これに固執するヒトほど、社会的性差に対して厳しいのでは?だって、気にしてなければ話題にすら上がらないでしょう?

世の中には、女らしい女や男らしい男、男だと自覚している女や女だと自覚している男、女だけど女が好きな女、男だけど男が好きな男と、いろいろなヒトがいる。

それで良いじゃん!
人類皆キョウダイ!
ラブアンドピース!


例えば、男は連絡手段としてLINEするのに、女はコミュニケーションツールとしてLINEする。
女が送ってくるtwitterのタイムラインのようなLINEに、毎度毎度「イイネ!」とか、そこから話題を膨らませるなんて面倒臭い。(Akashi調べ)

例えば、女は腕枕だけで満足するのに、男はそれだけで満足するのは難しい。
それこそ男はコミュニケーションツールとして、愛情表現として、もっと濃密に触れ合いたいのに、手を繋いだり、頭を撫でたり、腕枕してあげたり、抱き締めたりする奉仕しか許されないなんて不公平。(Akashi調べ)

男の体、男の脳、女の体、女の脳、
幸福を感じるポイントはそれぞれ違う。

みんなちがってみんないいと寛容にならなければ、苦しくなるのは自分自身。

そりゃあね、私は身も心も「女」ですから「女」として思うところはありますよ。

「忙しい」という理由でLINEの既読無視や未読無視が24時間を超えた日には「へぇー。スタンプ1つも返信できない、LINEのトーク画面も開けないってことは、メシ食う暇もクソする暇も寝る暇もねぇくらい忙しいってことだよなコラ( ^ω^ )」なーんて。
(ついうっかり言葉遣いが荒れてしまいました(ゝω・)てへぺろ☆)

そんなときほど社会的性差があることを理解して、男女の処理能力は「男がシングルタスク」で「女がマルチタスク」だから「女」の私は仕事しながらでも、食事しながらでも、家事や炊事をしながらでも、何をしていようともLINEの返信をする暇を見つけられるけれど、「男」の彼は仕事中は仕事しかできないし、食事中は食事、煙草休憩は喫煙、おやつ休憩中はおやつ、ゲーム休憩中はゲーム、雑談中は雑談しかできないのよ、仕方ないと受容する。

え?棘?
ありませんとも( ^ω^ )

でも、まあ、うん。
男女で差があることを受け入れて、寛容に、血祭りに上げたい気持ちをぐっと堪えて←
お互いに「思い遣り」を忘れずに生きていきたいですよね。

ではでは。
「女」だけど「女」が煩わしくて、「女」だから「男」が疎ましいAkashiでした(^O^)/

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