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優しさがいらないなら、何のために頑張るのさ?

話題:がんばる自分をやめてみました。


ずっと、ひとりで頑張ろうとして来たもんな。

今さら、見返りのない優しさなんて痛いよな。


うんうん。


凄まじく胸のあたりが痛くて。

でも、それは肉体的な痛みではない。

ただの感情に胸が苦しくて、これが心なのだと知る。



意識的にそれが心なんて、いちいち気にしないしな。


改めて、心があるんだなぁって思った。


心を犠牲にすることが人のためだと、正しいのだと信じて。

人のために自分を犠牲にする。

そうして、人の優しさに違和感を感じて受け取れなくなって。


自分なんかが、

どうせまた、

偽善、

優しさなんていらない



じゃあ、何のために頑張るの?



人の為に頑張れた理由は、優しさを届けたかったから。

幸せでいてほしかったから。


あの人もまた同じ気持ちで優しさをくれたなら。


うん、痛いよね。


今までひとりで頑張ってきた自分は何なんだろう



気付かないうちに頑張りすぎたね。


世間では自己犠牲が正義だから。


本当の優しさは自分を犠牲にすることじゃない。



大切な人の自己犠牲は苦しくならないか?


優しさを受け止めることもまた優しさ。


それが痛いのは、生きることを頑張りすぎたから。



昨日、デパートによったら花屋があった。

普段なら入らないが、通路の真ん中にあったから見ていた。


そんなことを考えていたから、あまりの美しさに思わず涙腺が緩んだ。


そこに存在することが美しいのだ。


デパートの蛍光灯も、並んでいる雑貨も、衣類も。


全部が優しさで出来ている。


安らいでほしい、

楽しんでほしい、

幸せを届けたい



見渡してみると、
人の手を加えた優しさを感じた。

そんなこと主張もせず。

全部のものが生きてみえた。


生きることは素晴らしいって、たぶんこういうことなんだ。


まあ、「生きるって素晴らしい!」
って言われたら、

「は?ラリってんの?」
って、返す人間だが。


生きるより死ぬことに腹を括る方がよっぽど楽だ

デパートに入る前は、そんなこと考えていた。


生きるって、もっとふわっとしてるのかもね。


腹を括るとか、ガチガチじゃなくてさ。



心を開いて生きるって、
ものすごい痛いじゃないすか。


こんな何気ない風景にも、生きるを感じたから、ちょっとだけ良かったと思えたよ。

こんなバカみたいな生き方でも。



心を大事に開けば開くほど、痛くなるよね。



俺にはやはり、この生き方しかないんだなぁ。

生きることは素晴らしいに散弾銃ぶっぱなしたい

生きるのだりぃ

もう存在していることがだりぃ

心ってこんなに痛むもんだったのかよ

まじだりぃ


死にたいわけではないが
ここに存在していることがキツイ


なんですかね
なんなんですかねコレ

過去のいろいろが絡まってグチャグチャでこびりついて

たくさんの自分が
現在の問題を、辛さを、苛つきを訴えてくる


ラスボス的展開キタコレ!

なんて脱線する余裕もなく

また新たな階層に進んだんだんだろな

地下へ、地下へ


内面のもっと奥深く



そらぁ、無意識でこれなら
意識的に抱え込んで死んだら幽霊にもなるわ



どれだけの感情を手放せるだろ


そのためにはこの激痛と向かい合うこと


もうまじでしにてぇよ

生きるって苦行すぎんだろ

アタマがやられる


こんなこと書いてる時点でヤられてるか


くそイライラする


他人の感情が入ってきてるみたい
自分じゃないみたい


でも、まだ光は失ってないよ


自分を救いたい


自分なんか消えてしまえに飲み込まれながら

なんとか俯瞰する


そうだね
何もなかったね


劣等感、サヨナラ、孤立、茅の外

いつもそう


だったらもう、友達も恋人も家族もいらない

辛いだけだ


そうやって籠って
それでも良いって受け止めて

そうだね
味方して欲しかったね

安心したかったね

居場所が欲しかったね


その繰り返しを何度も何度も



しにたくなるわ


だりぃ




すがる人がいるってのも辛いもんだな、きっと
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