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まさかの展開


話題:お泊まり。

まさかすぎる。
いろんなことがあって、憧れの先輩のお家にお泊り、2人きり。

緊張しちゃった。
今、先輩お風呂。

先輩のお家綺麗すぎる。
もう、もっと酔っ払っておけばよかった笑

何かあっても文句はございません笑

やばい!
ほんと綺麗すぎるー

厳密に言うと、会うのは2回目なのに、泊めてもらってる。
紳士でイケメンで素敵すぎて、ほんとにやばい先輩。

付き合ってほしー笑

そろそろ出てくるかな。
やばい、緊張!w



ほしにねがいを


話題:ひとりごと

おはようございます。
目覚めスッキリでもないけれど、1日が濃くて充実していて、いい感じ(^^)

好きだった親友の彼と、明後日はでーとです( ̄▽ ̄)☆

今、原宿にいるよ、って話をしたら、そういえば初めて一緒に出掛けたのは、原宿だったね、と。

『原宿の思い出は、お前だけやで』

って話してた。
あ、彼は大阪のひとです。

ちょっとだけ甘酸っぱい!笑


そういえば、髪の毛切りました。
半年ぶりくらい。

迷子になって、30分も遅刻して、汗だくで。
美容師さんは自身も撮影のモデルを務めるほどのイケメンで。

泣きたくなったよね笑

帰り際、おでこにくっついてしまった前神を小指でそっと取り除かれるときに、頭ポンポンされる並みにやばかった笑


そうそう、そんなことが言いたかったんじゃなくて、ブログ始めてから、どうやら5年の月日が経ってたらしいです。

高校3年の夏、友達に勧められて始めました。
思いをぶちまける、ある意味でのはけ口であり、等身大すぎる自分であり、その瞬間を生きたわたしを記録する場になりました。

ブログ始めた頃は、5年後なんて想像できなかった。
むしろ、5年後生きてるかしら、って思ってた。

息をして、物を食べて、眠ることで精一杯だった。
その次の人間関係とか、なにかを生み出すこととか、そんなステップにはいなくて、ただ、その日その瞬間を生きてることを積み重ねてくのが、やっとだった。

次を見出すまでに、時間はかかったけれど、多少、今は前を向いてると思う。
あのときと、結局似たような悩みも抱えてはいるけれど、見てる視点、物の考え方、付き合う仲間や置かれてる環境は違うから。

あ、あとね、クリスチャンになりました。

これが、1番びっくりされるんかな?

嘘じゃなくて、ほんとに。
牧師さんに洗礼を受けます、って話をして、精霊様を授けてもらいました。

何が違う、って、目に見える変化だとかがあるわけでなければ、いきなり周りに神様信じれば救われるよ!って誘導尋問しだしたりもしない。
ただ、神様って存在がいる、って信じることが、わたしにとっては大きな支えだな、っていう、ただそれだけです。

わたしが神様を信じるようになったプロセスを話すと、だいたいみんな納得してくれるので、話します。

わたしは、元々お母さんっこでした。
妹が生まれるまで、わたしだけのお母さんでした。
でも、妹が生まれてからは、わたしが妹と比較するようになりました。
お母さんは、平等に愛してくれたかもしれないけれど、わたしはとにかくお母さんに愛されたくて、なんでも努力する子に育ちました。

要領は良くないけど、努力でカバーして、常に成績は上位。

でも、高校で、努力でカバーしきれない壁にぶつかったとき、わたしはこの世になぜ存在してるのか、わからなくなって、病気になりました。

大学入ってからは、『わたし』そのものを愛してもらいたくて、必死に自分を主張して、得意なことへ、積極的に飛び込んで引き受けていく選択をしました。

するすると成果は上がっていって、今やfacebookの友人は800人越え。
出会った人数は、そのゆうに5倍はいるんじゃないかしら?

でも、仲間からは、あなたは認めて欲しいんだね、って言われる。
それでもいいよ、とは言われるものの、わたしは人に認められるために生きてる、ってことに気付いたとき、またしんどくなった。
人は、完璧でも絶対でもないから、人に認められるためには、移り変わっていく人の気持ちや気分や価値観に、永遠に合わせ続けなきゃいけない。
結局振り回され続ける。

人に完璧を求め続ける限りは。

そのときに、教えてもらったのが、神様。
神様信じれば救われるとか、そんな上手い話ないと思った。
人は、結果しか見ないのだから、何もせずに認められている、愛されているなんて、そんなはずはない、って。

でも、ひとつだけ、神様は絶対で変わらない存在だ、ってことは、わかった。

神様は、万物の作り主で、万物を愛している。
そして、一人一人の人生の設計者なんだ。
だから、どんなに辛いことがあっても、神様はわたしを愛していて、今のわたしには見えない先のことまですべて計画して、意味があってこの試練を与えてるんだ、って。

・神様は変わらない、絶対者である
・神様はわたしを愛してる

このことを信じることができたら、わたしは立っていられた。

それでも、神様は目に見えないし、神様を信じることは、わたしにとっては困難なことだった。

でも、信じて救われるなら、信じるだけならタダだな、って思ったの。
そうやって、聖書を読んでみたり、礼拝に通ったりしていて、そしたら次第に神様を信じざるを得ないところまで、追い詰められてった。
ものすごく苦しくて、悩んで、神様しかすがれない、ってなった。

神様信じたら、万事がうまくいく、なんて言ってる人がいたら、それはちょっとついていかない方がいいと思う。
神様信じて、悪いこと起こらなくなったら、とっくに戦争なくなってると思う。
そうじゃなくて、何かが起きても、神様に委ねてく、って考え方が大切。

神様の計画の中で起きてることだから、この出来事をどう捉えて、神様はわたしにどうなってもらいたいのかを汲み取る。

可愛い子には旅をさせよ、って言うでしょ?

愛することと、甘やかすことは違う。
神様は、支え合って生きる世の中を作られるために、必要なことをひとりひとりに与えてる。

親が子を叱るように、神様にお叱り=罰を与えられることだってある。
必要な役割と賜物を与えて、わたしたちに支え合って生きることを望んでおられる。

こうしたことが、だんだんと腑に落ちてきて、神様を信じたことで、救われたわたしの体験もあって、クリスチャンになろう、と決めた。
神様がわたしを愛してくださったように、わたしもあなたを愛してます、って返答をしようと思って、洗礼を受けたの。

そんな経緯。
別に、信じたくなかったら、無理に神様を信じなくたっていいけど、
個人的には、人が本当の意味で自由に生きるためには、絶対の存在があることって必要だと思うんだよね。

信念を自分に置くのか、周りに置くのか、神様に置くのか…ただ、それだけの違い。
わたしだったら、絶対にぶれないもの=神様に、信念を置くけどね。

以上、ながいながーいひとりごとでした。
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