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第一歩

昔出来たことが、今では出来なくなっている。それは不思議で、とても切ない。そしてもどかしい気持ちで胸はいっぱいだった。

昔と違って、今はたくさんの友達に囲まれて楽しい日々を過ごしている。彼等友人と出会う前のわたしは、恋人との関係に無我夢中で周りが見えずに常に彼に夢中だった。でもそれも、きっと10代ならではのことなのだろう。特に気にしたことはない。
けれど、その恋人と長く付き合っていたせいか、自分の中での「彼がいない生活」を見失っていた。そう、戻り方は解るのに戻るのが怖い。彼がわたしの生活からいなくなって再び1人になって、そして…その先を考えるのが凄く怖かった。

わたしは彼がいない世界に、ぽつりと立たされて。誰もいないところからまた1人スタートするのが怖いんだと思う。


「こどもが出来た」


わたしと彼の関係が決定的に壊れたのは、わたしのこの一言だった。

もう、今ではあまり思い出したくもない。吐き気だってするし、子宮がキリキリと痛むのだ。

彼と長く付き合うにつれて、彼は避妊をすることがなくなっていた。避妊具もつけずに行為に至る。わたしはそれを疑問にも思わずに、受け入れていた。彼もそれを重く受け止めずに、行為を続けた。


「ゴムはないの?」
「お金無いし…。あってもすぐ使いきっちゃうだろ」
「そうだね。無い方が気持いいし、それでもいい」


お互いは無知でもあり、無謀でもあり、子どもであった。

行為をする回数は一般の恋人同士よりも多いだろう。わたしが1人暮らしをしているぶん、彼が家に泊まることも普通にあったもので、共に寝ればそういうことにもなるのは誰でも把握できることだろう。


「ウソじゃないの?」


子どもが出来た、と言う言葉の返事だった。


「え?」
「だって…別れ話もしてたし、別れたくないからって言うことからの嘘じゃないの?」
「ちがう…。それに別れ話はわたしからしたんだよ。別れたい人にこんな冗談言わない」
「…悪いけど、信用できない」


わたしの頭の中は、絶望でいっぱいだった。陽性反応が出た瞬間から頭はパニックで、唯一彼に相談したと言うのに。
わたしは泣きながら電話を切り、仕事中の母親に連絡をした。



それからは、本当に地獄のようだった。



両親の怒り。彼の困惑。彼の両親の心境。それらを通り越して、わたしは「切迫流産」に悩まされていた。

子宮への激痛が常に付きまとい、精神的な苦痛も痛みもわたしと毎晩一緒にいてくれた。
痛みで起き上がれずに、食事は食べても吐き気が催し。痛みで常にイライラしては、布団から起き上がれずに家から一歩も出れない状況。そして家にずっと一人ぼっち。友達に相談も出来ない。

正直、おなかにいる「赤ちゃん」がただの「痛みの元凶」にしか感じなかった。恐ろしいことだった。

初めての産婦人科での検査。怖くて母親に付き添ってもらった。エコー検査で見る丸いもの。先生は「子宮でしっかり受精してますね」の言葉。頭が痛くなりそうだった。

妊娠って、もっと幸せなものじゃないの?子どもが出来るって、もっと喜ぶことなんじゃないの?

常に激痛が伴う。薬は効かずに、両親たちは心配した。そして2人は言った。


「おろしたほうがいいと思う」


わたしは学校に通いたい。やりたい仕事だってある。友達ともまだたくさん遊びたい。
別れ際に出来てしまった彼との子どもを望まずに産んで、本当にわたしは幸せになれるのか。子どもはそれで幸せなのだろうか。

でも、わたしたちにどんな理由があろうと、子どもには関係ないのだ。わたしが一日中痛みを感じてる今も、お腹にいる赤ちゃんにも相当は負担があるに違いない。辛いのはわたしだけじゃない。おなかにいる赤ちゃんだって、生きようと頑張っているんだ。
そう考えると、簡単に自分の人生だけを望んで赤ちゃんを殺すなんてわたしには出来なかった。




でも選択をする時間もない。このまま痛みに耐え続けていたら母子共に危険な状況になることが分かっていたからだった。


「来週の、金曜日に病院行こうか」


母親に再び連れられた病院。先生は言った。


「どうするか決めましたか?産みますか?」
「……産みません」
「わかりました。それでは手術する方向で」
「はい」
「子宮から取り出すにあたって、必要なことがあります。それを今から説明します」


取り出す…一体なにを、考えたが、その先はもうあまり深く考えないようにした。手術の内容は、とても残酷で。先生の対象への切り替え方も現実味があって怖かった。

手術をする日にちが迫るたびに、わたしは家の近くの大きな川に夜中にふらりと出歩くようになった。真っ暗な中、大きな川が流れていて、少し肌寒い。手元にあるスマホには、手術に抵抗があるわたしを父親が怒るように連絡を寄越していた。
父が言うこともわかる。わたしの人生だって大事。父親の彼からしたら一刻も早く身体を安全な状態にと言う意味もわかる。けれど痛みを伴うに連れて、おなかで赤ちゃんが生きていると感じるのだ。痛みを意識する度にわたしは、母親であることを意識するのだ。

息は白くなるし、手足も冷たくなる。首元のストールに顔を埋めて歩き、落ち着かせる音楽をイヤホンに流させ、泣きたくなったら足を止めて泣いた。
少し歩くと橋があった。人1人しか通れないような狭い橋だった。わたしはそこに立つと何となく想うのだ。


「このまま赤ちゃんと共に死んでしまえたら」と。


このまま手術をして、わたしはどうなる。後悔と懺悔で押しつぶされそうになるだろう。それを支えてくれるはずだった父親はわたしがいつまでも悩んでいることを苛立ち、勝手にしろと連絡を立った。彼はずっと、何を考えてるか解らなかった。産んでほしいと言いながらも、おろしてほしいと両親には言う。彼はわたしにどうしてほしいのだろうか。貴方は何も感じないんだろう。この地獄のような痛みも、胸の苦しさも、家で1人おなかの子と共に過ごす孤独な日々も。そう思うと、わたしは両親にも彼にも捨てられ、終いにはおなかの赤ちゃんにもいなくなられたらわたしは本当に一人ぼっちだった。

そう思うと1人が怖くて。お腹の子がいなくなった後、崩壊しかけている今の生活から抜け出し、今までの生活に戻れるかが不安で。怖くて。寂しくて。

共に死んでしまえたらと。思うんだ。

でも分かってる。ゆらゆら揺れる水面を見て、落ち着いてるはずなんだ。赤ちゃんはそんなこと望んでない。きっとわたしの幸せを、母親の幸せを願ってくれるだろうってことくらい。

でもねわたしは貴方を幸せにしたかったのよ。











手術は成功した。
途中、麻酔が切れて半分だけ意識が回復し、覚えている感覚。子宮には麻酔がしっかり効いているのか、膀胱をぐりぐりと強く押されている感覚が続いた。
麻酔が切れるまで、病院のベットに横になっていた。聞こえる、患者さんの声。そして先生の声。


「順調に育ってますよ」
「本当ですか、嬉しい」


わたしも、いずれはあんな風に妊娠を喜べる日が来るのだろうか。子どもの成長を見守れる日がやってくるのだろうか。それを想像しつつも、罪悪感で涙があふれた。


手術が終わった後は、しばらく出血が続いた。彼のお見舞いには、元気な顔を見せることが出来た。でもね、同時に思ったの。


「このままわたしと別れて、新しい彼女を作って。幸せに過ごすだろう彼が」


憎かった。
同じように苦しめばいいと思った。お金で解決だなんてさせてくなかった。

あの子のことを、忘れてほしくなかった。

だからわたしは彼の胸の中で言ったの。


「好きじゃなくてもいい。傍にいて」


そして彼は言った。


「君が元気になるまで一緒にいる。両親同士のことが解決した後も一緒にいるよ」


わたしは彼に甘えた。甘えてしまった。そして彼も、わたしに甘えた。再び快楽の底へ自身を入れてしまった。

わたしたちは一緒だ。無知で無能で無謀だった。また同じことを繰り返し、互いの首を締めあうのだろう。
最初はそれでもいいと思った。彼さえ傍にいてくれれば。気持ちが無くても、傍にいてくれれば…。

気持ちはドロドロと黒ずんで、自分の価値を下げる。付き合ってもいない女と性行為をするような男に、わたしは彼を貶めてしまったのだろうか。

後悔しない人生なんてない。常にわたしは後悔し続けている。








でも最近そんな彼から離れようと思ってる。クリスマスも近い。彼も12月は忙しくなって、わたしは友達との予定がギッシリだ。寂しくない。きっと彼がいなくても寂しくないはずだ。

心の傷も、もう癒えてきたころだから。ここにはその進展を記録していこうと思う。
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