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穏やかな寝息が聞こえる寝室で、マルーがベッドから起き上がった。
まぶたを擦っているとふと、壁時計が目に映る。短針が“四時”を通り越したところだった。

彼女はもう一度ベッドに身を委ね、布団を被り、目を閉じる――。





……辺りで誰かが、寝返りを打っている。

……ベッドの下から、波打つ音が聞こえてくる。

……壁時計が、正しく秒を刻んでいる。

……何気ない音が、マルーの耳に容赦なく入り込んでくる。





「んあああっ!」

マルーは自ら掛け布団をはがし再び起き上がる。すると、今まで気になっていた音達が、途端に黙り込んだ。
静まり返る寝室はまるで、眠りを妨げるような大声を出したマルーを咎めているよう……。

視界も頭もすっかり冴え渡ってしまったマルーは、ベッドから起き上がり、そっと寝室を後にした。



暖色の光に照らされた階段の方へ、マルーは歩を進める。

階段を上って見えたのは、中途半端に残った昨晩の料理達と、樽を小さくしたようなマグカップの数々。そして、テーブルに突っ伏した男達だった。
宴の残り香が漂うこの食堂で、男達のいびきの中を、マルーは忍び足で通り抜けようとすると。

「おっ! 昨晩の嬢ちゃんじゃねぇか!」
「早起きか……偉いな」
「おはようなんだよお!」

途中で三人組の男の声が上がった。
それぞれがマグカップを持ち、マルーに手を振っている。

マルーは三人組の元へ歩み寄ると挨拶を交わした。


「よく眠れたか、嬢ちゃん?」

一人の男に尋ねられたマルーは、伏し目がちに首を横に振る。尋ねた男がおっと、と漏らす横で、もう一人の男が前のめりに驚嘆した。

「どうしてだよお! 波に揺られながら眠るのは最高だろお?」

「落ち着け。おそらく彼女は船旅の経験が浅い。故に慣れない環境だ。ぐっすり眠れないということも、無理はないだろう……」

前のめりになった男が口ごもると、始めに呼び掛けた男が、そうだ! と手を打った。

「それなら嬢ちゃん。眠気覚ましに稽古でもしに行くのはどうだ?」

「稽古、ですか」

「名案だ。朝から精神を整えることは良いことだ」
「身も心も冴え渡るぞお!」

「今なら向こうにスカーレットさんがいるはずさ。昨日の続きをしてもらいに行ってこいよ」

そう言った男は、甲板へと続く扉を指し示す。

マルーは小さくお礼を言うと、三人組の張りのある声に見送られながら、扉に足を運んだ。



そっと扉を開けると、高めの金属音が規則正しいリズムで耳に入ってきた。

「よーしそのまま。そのリズムだ――」

スカーレットの声もする。どうやら誰かに稽古をつけているようだ。
マルーは扉を開け放ち、甲板に出た。


空はまだ暗い。しかし、僅かだが赤みを帯びており、晴れ渡った朝がやって来ることを予感させる。


「おっ! マルーおはよう!」

不意にスカーレットに呼ばれたマルーは空から視線を下ろした。訓練で使っていたであろう斧を、ひょいと担いだスカーレットが近付いてくる。

「おはようございます、スカーレットさん」

「マルーも早起きか! 偉いねぇ!」

「いや。何だか目が冴えちゃって……あっ」

マルーは、スカーレットの後ろに目が向く。そこには、双剣を下ろして佇むアスカがいた。
マルーの視線に気付いた様子のアスカが静かに微笑むと、マルーは小さくお辞儀をした。

「そうそう。うちのアスカが鍛えてくれって言うもんだから、肩慣らしついでにね――あっ、そうだ!」

突如スカーレットが、担いでいた斧を甲板上に突き立てた。

「良い機会だ。私の一番弟子 VS. 期待の新星! っての? 見てみたいなぁ」

斧に寄りかかりつつ言い放った彼女は、アスカとマルーを交互に見る。

「私は構いませんが」

「さっすがアスカ! 分かってるねー――マルーはどうかな?」

「え? っと……」

マルーは二人から目を反らし、来た道を見やる。

「あ、武器? いいよー取りに戻らないで。確かあの辺に――」

スカーレットが察したような口調で言うと、甲板の端に置かれたとある箱へ近付き、その中をあさり始めた……。


「怪我されたら困るからね。この訓練用の武器を使ってよ」

やがてスカーレットに手渡されたのは、剣に見立てた棒状の、木製の武器。
見た目は剣道で使う竹刀に似ているが、刀身は、片腕分の長さ程度。
仲間のボールなら、普段通り片手で振り回してしまいそうだが――マルーは両手でしっかりと束を握った。

それから、佇んだまま動いていないアスカを見据える。彼女は、刀身が短めの訓練用武器を、両手に各一本ずつ持っていた。


「よし! 準備は出来たね?」

いつの間にか二人を静観出来る位置に移動していたスカーレットが問いかけると、マルーとアスカは頷いた。

「ルールはそうだな、どちらかが為す術なくなった、って私が判断したら止めだ。始め、の合図で始めてくれ。……それじゃあ」

両者見合って、と、スカーレットは二人を隔てるように片腕を出した。



静寂が、水平線に朝日を呼ぶ。

それに合わせるように、スカーレットは、前に出していた片腕をそっと上げた。


「――始め!」

片腕が振り下ろされた瞬間、マルーに吹きかかる強い風! 思わず目をつむり、一歩引いてしまったところを、振り子のようなリズムが叩きつけてくる!

後ずさりしながらも片目を開けたマルーに映るは、左右の武器を交互に振るアスカ。突き刺すような視線で、今この瞬間の矛先だけを見つめる様は、真剣だ。


まるで、生死をかけて戦っているような――。


そんな顔を見ているうちに、マルーの背は壁に貼り付いた。
アスカの攻撃は止んだものの、左右それぞれの武器をマルーに押し当ててきており、どうにも動けない。


「どうしたものかなぁ、マルーちゃん」

唐突に聞こえたスカーレットの声。
いつの間に近付いていたスカーレットにマルーが顔を向けようとすると、「おっと」と片手の平を向けられた。

「まだ「止め」とは言ってないぞ? 今は相手に集中」

言われてしまったなら仕方がない――マルーはアスカに向き直る。


「気になることはさっさと突き止めちゃった方が良いんじゃないかなー、なんてね?」

という言葉でアスカが更に武器を押し込んできた。アスカを見ると、スカーレットに顔を向け、思い切りにらみつけていた。

「あぁごめんアスカ! 勝負中の口出しは嫌いだったね」

そうして笑うスカーレットに、アスカは未だ厳しい目を向けている……。

「そう怒るなって! ホント、気にしなくでいいからさ!」

どうぞ、続けて? と、スカーレットが少しずつ離れるところを見守ったアスカは、視線をマルーに戻し、長く、息を吐いた。


「どういう事です? あの言葉、明らかにあなた向けのものでしたけど」

「……」

「あの人が口出しするときはいたって、今この瞬間に心が向いていない時なんです」

力を緩めないまま、アスカが話を続ける。

「あなたの気が乗っていないことは始めから分かっています。ですが、今は勝負です。しっかり向き合っていただかないと、提案して下さったスカーレットさんに失礼ですよ」

「……失礼なのはアスカだよ」

マルーは一歩、大きく踏み込む。

「スカーレットさんと一緒にグラディエーターとして活躍して、そのおかげで強くなれたんでしょ? そんな事、隠す必要ないのに――!」

マルーはアスカを一息で押し退け壁から離れた!


「あの夜どうして嘘をついたの?」

武器を構え直したマルーが言い放つ。


「聞いたよ私。男の人達とスカーレットさんから。小さい頃、闘技場で型破りな成績を残してみせたって――」

話が続く中、二人は距離を保ちながら横へ、横へと弧を描くように動いてゆく。

「その時の装備も短剣二本だけ。縦横無尽に駆け巡って、敵を翻弄させて――これ、今のアスカと全然変わらないでしょ? 人違いのはずがないよ!」

「そのような話のみで、何故私だと言い切れるのです? 口だけでならいくらでも嘘は吐けますよ」

「それじゃあスカーレットさんが話した事も嘘なの?」

「いいえ。あなた言いましたでしょう。男の人達からの話も聞いていると」

「それがどうしたのさ」

マルーの答えに、アスカは伏し目がちに息を漏らした。

「忘れたのですか? あの人達は私達を襲ってきた人達ですよ? 何故そんな人達の話も信じられるのです?」

「それはだって、真剣だったから!」

「真剣さなど演技できますよ。心の内がどうであろうと」

「そんな言い方しなくたって――」

「らちが明きませんね」

言うなりアスカが武器一つで風を巻き上げた! またもや目をつむってしまったマルーは、体の重力がひっくり返ったような感覚を覚え――。


「そこまで!」


気がつけばマルーは、アスカの股にすっぽりと収まっていた。
おでこの上から覗き込んでくるアスカは、強い目付きをしている。


「あぁあー。まんまとやられたねー」

言いながらスカーレットが、いつの間に落としたのか――握っていたはずのマルーの武器を拾い上げ、こちらに近付いてきた。

「両脚で肩周りを絞められちゃっているし。あと利き手を見てごらん?」

しゃがんだスカーレットの言うとおり、マルーは利き手を見てみると、その手首にはアスカが刃を添えていた。

「これが真剣勝負だったら今頃、マルーちゃんの手首はあの辺で転がってるよ? ……始まった戦いにはやっぱり集中してもらわないと――手首が無いなんて大ケガは勘弁だろう?」

といっても、と、スカーレットは腰を上げ、それからアスカを見やった。

「やりすぎだよアスカ。加減っていうのを知らないのかい?」

「彼女には必要ありません」

一言。やっと構えを解いたアスカが立ち上がった。

「お人好しが過ぎるとこうなると、分かってもらう為です。それに、倒すときは二度と戦えないように致命傷を与えるべきと、私はあなたに教えてもらいました」

「そりゃあ確かに言ったけど――」

口ごもったスカーレットに訓練用武器を手渡したアスカは、甲板から去っていった。


「やれやれ。相変わらず口が固いね、アスカは」

アスカを見送ったスカーレットは、マルーを起こす為に手を貸した。


「悪かったね。私の勝手に付き合わせちゃって」

「いえ……私こそごめんなさい。全然戦いに集中してなくて――」

「聞きたいことを聞き出せないまま、もやもやしていたんだろう? 仕方ないさ」

なだめるように言ったスカーレットに、マルーは言葉を続けられなかった。










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