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【報告】7月25日からこれまでのこと

話題:家族



これまでブログ更新等のサイト運営をお休みしていてすみません。

iらんどのブログの方でもご報告させていただきましたが、同居している主人の父が7月25日〜8月17日まで入院してまして、サイト運営が手付かずになっていました。

それまでのことを書こうかどうか迷ったのですが、やっぱりいろいろと記録も兼ねてご報告させていただきたく。

ちょっと長くなるので覚悟してくださいね( ˙-˙ )

▽▽

大昔にiらんどのブログ上などでもお話しさせていただいたこともあるんですが、義父は元々腎不全で20年ほど人工透析をしている身です。

近頃体調が思わしくなかったのもあり、先月25日に検査入院をしました。
よりによってiらんど大賞贈呈セレモニーの日です……( ºωº )(※一応プレゼンターとして末席に参列させていただいてました)。

入院の付き添いには主人と娘に行ってもらいました(私もなんとか都合つけて付き添いしようと思ったのですが「せっかくのセレモニーなんだからそっちに行け。迷惑はかけるな」と逆に怒られる始末でした)。

元々一泊の検査入院の予定だったのですが、検査結果が思わしくなく即日緊急手術をすることに。
私がその知らせを聞いたのはセレモニーが終わった後でした。
(ちなみに検査が始まったのが16時頃、緊急手術は夜とのことでした)

セレモニーの終わったその足で病院に直行、旦那・娘と合流して処置が終わるのを待ちました。

義父は人工透析の合併症で狭心症を引き起こし、以来心臓カテーテルの手術を何度も繰り返していました(今回の緊急手術も心カテです)。

ですが、それにも限界があるらしく(例えば動脈硬化が著しくて血管の狭窄部分まで管が入らないなど)、今回の心カテの緊急手術は中止し、主治医の先生との相談の末、開胸による心臓のバイパス手術に踏み切る運びとなりました。

心臓自体は元気なのですが、とにかく血管に問題があり、心臓の弁も正常に機能していないとのことでした。

病名としては、不安定狭心症と大動脈弁狭窄症。

主治医の先生から「重篤な状態」とはっきりと言われ、手術に際し、脳梗塞等のリスクも伺いました。命に関わる大手術だということも。

仕方ないこととはいえ、不安で不安でたまらず娘とひっそりと泣きました。

私、父大好きなんですよ。もちろん主人も娘も。
もしものことがあったらきっと立ち直れないぐらい寂しくなるし、だけど覚悟は決めないといけないのかと思うと本当に辛くて。

手術まで気を紛らわそうとするもやっぱり気持ちは晴れなくて、どうしても空気は重苦しくてなってました。


そして8月2日に手術。

早くて6時間、遅くても8、9時間にも及ぶ大手術ということで、家族用の待合室で待っていました。

そして、8時間にも及ぶ大手術を無事に終えました。

執刀医の先生には感謝の言葉しかありません。

手術後、父は数日ほどICUにいて体も固定された状態でしたが、一般病棟に移りリハビリや検査の日々。

手術を終えた数日は言葉も覚束なくぼんやりとした様子でしたが、だんだんと話せるようにもなっていつもの義父らしさが戻ってきたように思います。

大手術や長い入院生活の影響からか、一時期は棟内歩行でもしんどいようだったのですが(お見舞い行く度に娘と手つないでリハビリ兼ねてゆっくりゆっくり歩いてたんですよ(*^^*)車椅子乗った時は押してあげたり。娘のこういう世話好き&おじいちゃん好きなとこ大好き)、それでも快方に向かい、先日無事に退院しました。

状態としては治癒に近い状態。寛解状態含む(寛解=病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。コトバンクより)。

一泊の検査入院の予定が、大手術含み24日間にも及んでしまいました。

日常生活には支障を来しながらも、やはりいつもの父に戻ってくれてよかったと心から思います。

退院後も、介護とまではいかなくとも父の世話はきっちりとやっていくつもりです。

もちろん、根を詰めたりせずゆとりも忘れずに。

いろんなとこ歩き回る機会が増えたのでポケモンGO始めたしね(笑)。
(10qタマゴでサワムラーかえったからやめられなくなったよ…)
旦那と夜のポケ散歩するのが楽しい♪

13日には毎年恒例の小田原観光にも行ったし(new小田原城も見れたしポケモンも乱獲してきたw)、14日の娘の誕生日にはラゾーナ川崎でのKalafinaのフリーライブイベントも行けたぞ!「blaze」神曲……!cw曲の「夏の朝」は本当に心が癒されました。

出かけられる日は限られてしまいましたが(まぁ元々そんなに外出しない奴だし)、映画も観に行ったりして鋭気を養っております。

気持ちの面でも落ち着いたので、遅れを取り戻すように執筆にも勤しんできました。きちんと形になったら公表できればいいなぁと思います。


ただでさえ疎かだったブログ更新がますます疎かになると思いますが、寂しくなったらどこかで何かを呟くかもしれないので、どうか寛容に受け止めてくださればと思います。


眠空

【趣味】羊毛フェルト始めてみた

話題:お久しぶりです


羊毛フェルト。→◎◎

縫い物苦手、編み物できないのTHE女子力皆無界のキングオブ不器用のワイがやりたいと思った手芸クラフト。

ダイソーでキットを買ってレベル1から始めてもみたよ。



\ぽぽぽぽーーんぬ/

作品名「口の端が赤くてナポリタン食べた後っぽいうさぎ」


一日で(しかも午前中で)でけた!!見本とはだいぶ違うけど、でけたよ!!

細かい作業かと思ったけど意外とザクザクとおおざっぱにいけるし微調整もきくしで、とにかく無心でザクザクザクザクとニードルで刺しながら形を整えていくのは楽しかった!\(^ ^)/

なんかね、すごいですね。まとまっていくんですよ、ザクザク刺してくうちにだんだんと。

フェルトの毛をぐいぐいと中に押し込んでいく形になるんでしょうけど、けっこう固まっていってあんなにやわやわだった羊毛フェルトがぎゅっと締まるんですよね。うん、楽しい!


でも指もけっこう刺した(泣)。

1箇所血が出るぐらいいっちゃったので絆創膏する羽目に。

ホント気を付けないとあかんヤツ。


レベルに合わせていろんな動物作って、ゆくゆくはスイーツとか作っちゃうぞ☆


やってる暇あったら小説書けよという話だけど、ボケ防止とか行き詰まった時の趣味なのでどうか許してくだちい(´pωq`)


三題話3/お題bot*(@0daib0t)様より

話題:SS



ベルマークで水槽をもらうことになった十文字中学1年3組は、その日の学級会で早速水槽で飼育する生き物についての学級会議が行われた。


「私は、くらげがいいです。くらげじゃなきゃ嫌。くらげは世界一可愛くて綺麗な海の生き物なので、くらげがいいです」


高飛車で高慢な立ち居振る舞いや縦ロールの髪型から“お嬢”と呼ばれているお嬢様系女子のお嬢は、会議が始まるなり「はい!はい!」と挙手して意見した。意見というより我が侭である。

それに対して、しっかり者で男勝り、漆黒のロングヘアのクールビューティーでみんなから“リーダー”と呼ばれているリーダー系女子のリーダーは──。


「くらげは飼育が難しいと思うので、私は反対です。大反対。私はメダカなど、育てやすいものがいいと思います。私はメダカを推します。くらげを教室で飼おうなんて、無謀にも程があります。真面目に考えてください」


と、決然と挙手をして反対意見を述べた。というより、人格否定も含んだ罵倒である。

それにお嬢はムッとしてもう一度挙手をし、再び意見した。


「くらげの飼育が難しいなんて誰が決めたんですか? きちんと調べれば育て方だってわかるはずなのに、無難にメダカで攻めようなんて安直にも程があります。びびってるんですか?」


「びびってるってなんですか? 水槽はみんなの物です。可愛いからとか綺麗だからとか、そんな勝手な理由で意見を押し通せるとでも思ってるんですか? そんな身勝手に巻き込まれるくらげだって可哀想です」


お嬢とリーダーはとても仲が悪い。

犬猿の仲、水と油。とにかくソリが合わない。

侃々諤々、喧々囂々。

中学生にもなって、小学校低学年みたいな二人の言い争いはいつものこと。

男子は「またか」とため息をついては呆れ、女子はお嬢派とリーダー派の真っ二つに割れて睨み合いをする始末だった。

やがて“1年3組にやってくる水槽で何を飼うか論争”は平行線をたどり、くらげ派とメダカ派で二分したまま収束は見られなかった。

男子の中で地味に「ザ……ザリガニ……」という意見も遠慮がちに出たが、女子が白熱しすぎていて誰の見向きもされなかった。


そうして迎えた、その日の昼休み──。


────
─────……


校庭に、セーラー服姿のまま対峙する二つの集団があった。


「そもそも、最近のあんた気に入らなかったのよ。リーダーとか呼ばれて調子に乗って、クラスの中心人物にでもなったつもり?」


腕組みをして、お嬢は対立グループの中心に立つリーダーを鋭く睨[ね]めつけた。


「『気に入らない』はこっちの台詞。一般中流家庭で金持ちでも何でもないくせにお嬢とか呼ばれて調子に乗って徒党まで従えて。そのいい加減なキャラ設定も我が侭も、大概にしてほしいものだわ」


リーダーも負けじとお嬢を睨み返し、小脇に抱えていたボールを二、三度、威嚇するようにバウンドさせる。

そんな挑発的なリーダーの態度に、お嬢は目を伏せて余裕の笑みを漏らす。


「……あんた変わったわね。昔はオドオドして、私に金魚のフンみたいにまとわりついてたくせに」


「あんたこそ。昔は泣き虫でしょんべん垂れだったくせに、随分偉くなったものね」


同じように唇の端を吊り上げて笑うリーダーは、一層乱暴にボールをバウンドさせる。

そして、リーダーがパシッと両手でボールを掴んだ瞬間──。


「「これは戦争よ!」」


二人は声を揃えた。


「いい!? 勝った方が問答無用で飼いたいものを飼う!」


「異議無し!」


ついに、戦いの火蓋が切って落とされようという時だった──。



「やめーーーーーい、二人とも!!」


「おぶっ!」
「ぶほっ!」


ゴチンッ!と、かつてない衝撃とともに二人の脳天に降ってきたもの。


それは、先生の拳骨だった。


────
─────……


職員室に呼び出された二人は、担任の加代子先生からガミガミと説教を食らっていた。


「くらげかメダカか? バカか、そんなもん話し合いで穏便に解決しろ。それに制服着たままで激しいドッジボール大会なんかしようとするな。何事かと思うだろ? せめてジャージを着ろジャージを」


((そういう問題!?))


肩を並べて意気消沈とうなだれながら、二人は同時に心の中でツッコミを入れた。

とはいえ、確かにセーラー服姿の面々が校庭で対峙する光景は異様だったのかもしれない──。そう思うと、二人も粛々と聞き入れざるを得なかった。


加代子先生はため息を付いて眼鏡を外し、頭を抱えた。


「お前らの小学校低学年時代の担任だった白川先生な、私の大学時代の後輩で、今でも懇意なんだよ。だから、その頃のお前らの話も聞いてる」


お嬢とリーダーは「そうだったの!?」とでも言うように目を丸くして顔を上げた。


「お前ら、本当は仲良かったんだろ? クラスで友達がいない者同士、二人一緒にいることが多くて」


((……友達がいないとか先生がはっきり言っちゃうんだ……))


二人は肩を竦めて加代子先生を見上げる。


「──確か、二年の時の遠足だっつってたか……。水族館で、お前ら班が別々なのに班行動なんかそっちのけで二人仲良く手ぇ繋いで、くらげの水槽をキラッキラした目で眺めてたんだってな。それがやたらと印象的だったと……。そんな風に白川先生おっしゃってたぞ」


「……………」

「……………」


二人はしばらく黙っていた。

そして「昔のことです」と呟いたのも二人同時だった。


「ほら、やっぱり仲いいじゃないか」と加代子先生が笑うと、二人はムッとして目を合わせそうで合わせない。


すると加代子先生はもう一度ため息をついて──。


「……なぁ、結羅[ゆら]、莉良[りら]」


と、改まってお嬢とリーダーの名前を呼んだ。


「お前ら二人とも、くらげが好きなんだろ? 結羅は大好きなくらげを側に置きたい一心で、莉良は大好きなくらげを守りたい一心で」


「……………」

「……………」


二人は口を噤んで、思い出していた。

水族館の遠足の日のことを。



──ゆらちゃん、見て見て、くらげさんきれいね──

──ホントね、りらちゃん。白くてきれいね──



班のメンバーに馴染めなかった二人は、こっそり班から抜け出して手を繋ぎ、くらげの水槽にべったり。

エメラルドブルーの宝石のような色彩の中を自由にそよぐくらげを、目を輝かせて見ていたのだ。


「これは、くらげへの愛情をどう表現するかの争い事だ。同じ物を見てるのに揉め事が起こるのか、同じ物を見ているからこそ揉め事が起こるのか。──肝に銘じろ。戦争なんてそんなもんなんだよ」


加代子先生のそんな話を聞いていると何だか泣きたくなって、じわっと涙が滲んだ。


加代子先生は「お前らホントに似たもの同士だな」と笑った。


お嬢が泣き出したのを皮切りに、リーダーも泣き出した。

お互いに意地を張りすぎて堰止められていたものが、溢れるように。


────
─────……


やがて、1年3組にやってきた水槽。


「ザ……ザリガニ……」


そこに投入されたものを見て、お嬢は顔を引きつらせた。


「……結局、間取って男子の意見が採用されることで事態が収束したってわけね……。これぞまさに折衷案……」


リーダーも、水槽を眺めながらつまらなそうにため息をつく。


四角い水槽の水底に砂が敷き詰められ、5pほどの深さに水が張られている。

その中には一匹のアメリカザリガニ。男子の誰かが持ってきたものだ。


「私、ザリガニだけはないわーと思ってたけど」

「……私も」

「……………」

「……………」


今は放課後。

教室にはお嬢とリーダー以外には誰もいなく、時折外から部活動の掛け声が聞こえるだけで閑散としていた。


「……ねぇ、リーダー。餌あげてみなさいよ」

「嫌よ、気持ち悪い。甲殻類が物食うところなんか見たくないわ」

「ホントにあんたびびりね」

「はあ? 誰がひびりよ。そんなこと言うならあんたがあげてみなさいよ、お嬢」

「私だって嫌よ、グロいもの」

「……なんなのよ」

「…………」

「…………」


二人はしばらく黙ったまま、ザリガニを見つめていた。


二人が“変わった”のは、小学校高学年になってクラスが離れ離れになってからだった。

新しいクラスには友達がいない。このままじゃいけない。だから虚勢を張って高らかに声をあげ、そうすることで“自分についてくる者”が出来た。

徒党はやがて派閥となる。

中学に上がり、二人が再び同じクラスになっても混じり合うことがなかった。

例えるなら淡水魚と深海魚。水の異なる生き物が共存しないように。


──しばらくして、ザリガニが水槽にへばり付いて触覚を動かし始めた。
円らな目を二人に向けて、餌をせがんでいるようだった。


「……しょうがないわね」

「あげてみようかしら」


二人は同時にため息をついたが、顔をどこかにやついていて、世話の焼ける子供に萌えているようでもあった。

二人で一緒に餌袋を開け、備え付けの匙でその固形を水槽の中へ投入する。


するとザリガニは、ハサミを使って器用に餌を掴み、口へと運んだ。

ちゃぷんと小さな水音をたてる、水棲生物。


「……い……意外と可愛いかもしれないわね」

「そ……そうね。意外と可愛いわ」


そこはさながら、小さな水族館。

二人は目を輝かせ、頬をピンクに染めてうふふと笑った。




『 ゆ ら り ら。』
ーおわりー 



【くらげ、戦争、セーラー服】
Twitterお題bot*(@0daib0t)様より


続き→アトガキ

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3/16【備忘録】

話題:歴史

※ホントは日曜日に下書きした記事なんだけどupを忘れてたという(備忘録のくせに)、そんな記事。

▽▽

「長居は悪事のもとゐなり」

藤堂高虎「高山公実録」

読売日曜版・名言巡礼より。


主君を何度も鞍替えしたり、外様だとか(これはリアルな役職だから悪口じゃないか)、世渡り上手だけど忠誠心がないとか散々言われてるけど、高虎に関して忘れちゃいけないのが

・主君をよく替えていたのは血気盛んな10代の頃だったこと

・21歳の頃に秀吉の弟・秀長の家臣になってからは二代役20年間は仕え続けてきたこと

・主家が断絶してからは高野山に登って武士を捨てようとしたこと

・秀吉没後は徳川方に転じ、豊臣の旧臣が取り潰される中、藤堂家は江戸時代最後まで生き延びたこと(豊臣方から徳川方に行ったこの辺りが忠誠心がないって言われる所以なのかな)

・高虎が家臣に残した「遺訓二百ヶ条」には「新参者は古参の衆に家の作法をよく教わり、守りなさい。ただし行いを正しくしてもうまくいかない時は、悪しき家だから立ち去るべきだ。長居は悪事の元である」と説いていること

・つまり、何度も転職を経験した自身、家臣が去るのに対しても寛大だったこと

・悪しき家を見限り、善き家を見定め、能力を評価してくれた相手には力を尽くすという信念を曲げなかったこと


……というね、数多の誤解やマイナスイメージを覆すほど、再評価に繋がる逸話がどんどん出てくるわけです。

最近のゲームとか見ると、高虎の描かれ方ってやっぱかっこいいしね。

ちなみに「高山公実録」は高虎自身が書いたものじゃなく高虎没後100年以上経ってから藤堂家がまとめた文書で、「遺訓二百ヶ条」は側近がまとめた高虎の遺訓集なんだって。


高虎の場合は、主君を渡り歩く腕自慢の変節漢というより処世術の長けた公明正大な知恵者というイメージ(槍の使い手らしいから強いのだろうけど)。そういう所が魅力なんだろうな。コロコロ鞍替えした不忠の将なんかじゃなく、むしろ公平無私。

他にも築城の名手、普請や地域経済の基盤を築いた、実務的で合理主義な町づくりの鬼(?)としても有名な高虎。

こういう人が復興支援に尽力してくれたら心強いなぁと思う。

それと、高虎のあのプロペラみたいなの付いた兜。あれかっこよくない?伊賀上田城に展示されてるようですよ。行きたい。

津餃子も食べたい。


近年、高虎にスポットを当てた小説も多々あり。





どちらもかっこいいタイトル。

ちなみに安部龍太郎先生は、私の一番好きな戦国武将・蒲生氏郷を主人公にした小説も書かれています。



レビューでこちらと葉室麟先生の『冬姫』と併せて読むことをお勧めされてた方がいたので、冬姫も貼る。




安部先生は『等伯』といい取り上げられる題材が絶妙だったり歴史観を大きく変える作品を多く書かれてる印象。

戦国に思いを馳せていると歴史小説が読みたいと思う今日この頃。


思い立ったので、今自分が好きな戦国武将、あるいは詳しく知りたい武将を列挙してみる。

・蒲生氏郷
・大谷吉継
・今川義元
・長宗我部盛親
・榊原康政

ちなみに北条五代は全員好きです。特に氏政が好きなんだけど、あまり共感は得られないだろうなぁ……『真田丸』を観てると特にw

3/11【備忘録】

話題:東日本大震災


備忘録と題してはいるもののそれは自分の中のことであり、甚大な被害に遭われた方にとっては無理に思い出そうとしなくていい出来事であると同時に、無理に忘れようとしなくていい出来事だと思う。

それを踏まえての【備忘録】。

被災地・岩手県宮古市は母と縁の深い地であり、宮古の高校に通い、青春時代を宮古で過ごしたという。

そんな思い出の地が津波被害に遭った時。その光景を見た時は本当にやり切れなかったと口にしていたのをよく覚えている。

身近な方々から「何か出来ることはないか」と千羽鶴をいただき、それは今でも実家に大切に飾ってある。

私には東北の血が半分流れているので、テレビなどで東北訛りを聞くと胸があたたかく、そして懐かしく感じる(旦那曰く、母の影響からか時々東北のイントネーションが出る時があるらしい)。

仙台や会津などの旅行の思い出、岩手に住む親戚のこと、そしておばあちゃん家のことを思うと、やはり東北が好きだなと思う。

それだけのことと思われるかもしれないが、そんな大好きな地が蹂躙されるのは心が痛かった。

心が痛いからこそ、震災から5年経って直面している被災者の方々の現状を受け止め、知っていかなければならない。

全てが無理強いではない。それなのに、無理を強いられ心を蝕まれている人たちがたくさんいる。
それは生活のために、遺された家族を支えるために。


そんな中、3月6日付の読売日曜版、名言巡礼に取り上げられていた言葉に感銘を受けた。

「むごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ」
「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」

(井上ひさしの戯曲「父と暮せば」より)

大切な人たちを亡くし、自分だけが幸せになってはいけないと自責の念にかられてしまっている人への言葉。

遺された命にも、大切な人が寄り添ってくれていた命にも意味があるのだと感じる。


風化させないように、知ってもらうために、ゆっくりと一歩ずつ。
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