真っ直ぐ行っても愛は行き止まり

2020.2.3.Mon 16:15


メンタル

辛い。
しんどい。
考えるのがだるい。
穏やかに生きていたいのに、やはりメンヘラに平穏などないのか。
でもわたしには弱音を吐く権利などない。

いつもニコニコ優しいもねこちゃんでいなくてはならない。
それは昔から。ずっと変わらない。
わたしが少しでも心身の不調を訴えれば、嫌われ、呆れられ、邪険に扱われ、邪魔者扱い。
当たり前だ。だって、そんなもねこはめんどくさいから。嫌われる。

昔から、テストで100点をとっても褒められることなどなかった。
だから、初めて100点をとった子はお小遣いを貰えたり褒められたりしていると聞いたとき
なんでウチは?違うのか?100点をとったって、褒められるどころかウザがられるのに?
と、理解ができなかった。理解が追いつかなかった。

中学時代、虐められて不登校になったときも
「なんで休むんだ」
と責められ、
「休むならちゃんと理由を言え。そしたら休んでいい」
と言われ、勇気を振り絞って微かな声で、言葉で放った応えは
「弱いお前が悪い。学校に行け」
だった。

確かに、仕返しのひとつくらいしとけばよかったと今なら思う。
でもその時の自分の精神状態や周りの環境で
そんなことできるわけなかった。
だから、必死に振り絞った声は、でも、呆気なくあしらわれておしまい。

お決まりの
「私のほうがこう生きてきた」
「お前は甘えだ」
「私はもっと辛い思いをした」

という言葉たちに縛られて、わたしは幸せなんだと暗示をかけて
でも、外に出れば幻聴と幻覚で頭がおかしくなりそうだった。

そうだ、他の子たちは保健室登校を許されていたのに
わたしだけは保健室登校を許されなかった。
教師からは嘲笑われ、肩パンされて、階段から落とされそうにもなった。
ただ、保健室の先生だけは、薄く引いたわたしの傷を見逃さなかった。
けど、わたしは、猫に引っかかれた、と嘘をついた。
しんどくなって泣き出したわたしだったが、部活の先輩がたまたま保健室に来た時は必死に涙こらえて笑ったのを覚えている。
先輩に

「もねこちゃん目赤いよ?泣いてた?」

と聴かれたから、思わず「寝ていた」「たくさん欠伸をしたせい」と嘘をついた。

保健室の先生と、部活の顧問と、部活の先輩は味方でいてくれた。
だからまだマシなほうだと思ってた。

でも、誰にもどうして辛いのか、何故しんどいのか話すことはなかった。

こうやってブログに書くことだって、不幸自慢だと思われるんだろうなと思いながら書いている。

別に、わたしが世界一不幸せなんて思ってない。
ただ、ただ、わたしだって辛いと思うことくらい許してほしかった。
いつだって。今だって。

もう、涙なんて枯渇してしまった。



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