通夜



ふと、検索ワードを見てみたら『コルダ』とか『デレステ』とかでこのブログに辿り着いてくれた方がいて!
めちゃくちゃ適切なのに!連日こんな話題ですみません。でも私の日常なのでお許しを…。
コルダやデレについても連日話してるツイッターの方を見てもらえると助かります。日記の中からヒットしそうなワード検索すればひっかかると思われますよしなに…。


さてさて日常。
今日はお通夜でした。
完全に家人が遅くまで留守にするので、生まれて初めて犬をペットホテルに預けてきました。
預けてくるとき、なんで!?って顔でついてこようと暴れるし、預けた後に体調崩すこもいるときいてめちゃくちゃ心配です(;_;)
ご飯全然食べないし、室内だとトイレしないし…
なによりさみしい…犬と一緒じゃないと眠れない…
明日告別式終わったら光速で迎えに行きたいと思います。


そんなわけでお通夜当日。
この五日間のなんとあっという間のことか。


昨夜までうだうだ言ってたメモリアルボードは無事に業者の人が運んでくれる時間ギリギリに完成。
まさかこんなにあるとは…って言われるくらい力作になりました。
『祖父が趣味のカメラで撮った景色』『若き青年の日々』『結婚〜子供達』『仕事時代』『孫家族三代』に分けて。
もちろん訃報に接してから急ピッチで寝ないで作り上げたものなので、まるで前から用意していた風になってはダメだけど。
ギリギリまで飾りの折り紙折ってたので本当にギリギリでしたよ。

私たちはついつい家族写真を大きく使っちゃったけど、仕事関係が貴重な資料すぎて弔問客の方みなさん見てたからそっち大きくすればよかった…でも我々からすると孫に笑いかけてる写真の方がレアすぎてつい(笑)

仕事関係といえば。
祖父が勤めていた場所が場所なので、とある方からの使者が、弔問客の方が来るより早くいらっしゃった。
ひぇぇ公用車…ひぇぇ香典…とか緊張してるうちに使者の方は去っていった。
自分が仕えた人からの香典が目の前に飾られ祖父は嬉しかったと思います。
ちなみにその使者の方はどうやら祖父を知っていたようで。メモリアルボードの仕事関係の写真をじっくり見ていた。
すごい経験をした。
そういえば叔父は祖父の仕事についてめちゃくちゃ詳しかったので尊敬していたんだなぁと思った。


従兄弟達といっぱい喋ったり、自分にこんな親戚いたんだなぁと親戚席を見たり、お通夜は終了。
精進落としでは相変わらず我が家だけ肉魚卵抜きをつらぬいてたので目の前にワンコそばなみに出てくるお寿司に苦しんでました。
結局かんぴょう巻きを大量に食べたよ〜。


実は姉も私ももし祖父が生まれ変わってるならこの前見た蝶な気がしてるので、もう食べてもいいかなとは思ってるんだけどとりあえず初七日は…食べない。姉に倣う。


皆食べ過ぎで苦しすぎて(本当にスタッフさんが食べても食べても運んできた。泣笑)、孫たちは五人で歩いて帰りましたとさ。


明日は告別式!
夏も、一連の行事も終わります。
ちょっと疲れてるけど起きられるかな〜〜

29日。納棺の儀



高熱〜祖父の訃報〜から体調が優れなく、こんな時間に起きています。
書きためてたせいで、ぐちゃぐちゃのテンションのものを連投してすみません。


人一人亡くなると、こんな忙しいんか?って位、ばたばたしています。

今日は納棺の儀とやらをしてきました。
斎場が母校の大学の近くなので見知った町にホッとしたり。
綺麗にしてもらっている祖父を穏やかな気持ちで見ていたわけですが、姉が、姉が描いた絵の中で私が一番気に入ってたものを入れたのを見て大泣きして怒られた。
家でも散々「入れないでくれ、絵はすでに描き手の手を離れた時点で鑑賞者のものである、この絵は私が修士制作の小説の題材にもしたとても思い入れのあるものだ!」と喚いたんですが姉の意思は変わらず。
渋々納得したんですが、実際目の当たりにして悲しくて泣いた。(で、姉にまた描けるしって怒られた。芸術は創作者にとって一期一会だばか〜)


手続き等は母、叔父に委ね、あとはひたすら先日の日記にも書いた通り、祖父のメモリアルボード作り。
ネットで調べたら簡単な思い出の写真をまとめたものっぽいなと思ってたんですが、家族の希望もあってかなり大きなパネルの六枚立て。
台紙切りを従兄達にも手伝ってもらい。


あと数時間で式場に運ぶから完成させなきゃなのに終わってないし、誰も起きてないし???
ここ数日で本当に膨大な量のアルバム探し、アルバムの写真を撮影して再プリント、パネルを買いに、折り紙や飾り作り、写真選定、貼り付け…までやった。
あとは説明文書きと飾り付けですかね、詳細名称わかんないのと、貼り終わった写真を替えろと言い捨てて寝た母のせいで終わる気がしない。

この作業と、親族への気疲れもあってか、なんかすごくすごくぐったりしています。
残暑の中、肉魚卵とかなまぐさ食べてないせいもあるんですかね〜
逆に炭水化物しかたべなくなったので太る太る。
とても疲れてしまった。


ただこの作業をやっててよかったなって思うのは、本当にこの数日で祖父の顔を一生分くらい見てること(笑)
生前まったく顔を合わせていなかった。
こんな顔するんだなぁ、こんな仕事してたんだな、の写真を延々と見て作業をしていると、不思議と祖父へのいやな感情が薄れていくような。
亡くなった当日の私の実に名状し難い複雑怪奇な祖父への愛憎は、忘却の彼方へ霧消していくような…そんな気持ち。
パネルの中の一枚に選んだ、祖父の膝に乗ってにっこりわらう女の子とうれしそうにわらう祖父の写真を見てると余計に。


そんなせっせと走馬灯(のような年表パネル)を作りなう。
作業BGMにひぷまい聞いててたのしい。
夕方からはお通夜。
なにもかも初めて。


初めてといえば家族が出払うので、我が家の犬、初めてのペットホテル。
かかりつけの病院がやってくれているんですが、犬と離れるのが不安すぎる。

28日の話。慌ただしく



祖父が亡くなり、とにかく慌ただしい日々を過ごしています。

喪服を買いに行って、数珠を買いに行って、就活の時に買ったまま入ってなかった黒い靴を修理に出して、ひっきりなしにくる弔問客や取引先からの対応に追われ。
更に告別式に使う?ためのメモリアルボードを作るため祖父のアルバムをひたすら確認する作業で1日潰れました。
とても多い祖父&姉の写真に、孫写真は平等にせねばなんかないのか!って叔父一家にきいたり(なかった)

写真を見てると知らない祖父がいっぱいでてくる。
母はさも昔からこうだったのに後半おまえは大層ひどい態度を取ったみたいな言い方をするけど、私にとっては笑顔の祖父すら知らぬ顔なのである。
立派な仕事をしたらしい、カメラが好きだったらしい(知らなかった)、先々代の犬を抱っこしてこたつに入るらしい(考えられない)、小さい私の写真を自分のアルバムに脈絡なく貼るらしい(初めて見た)

私は本当につらい時期があったから、美化は絶対にしないけど、こういう時代もあったのだと思う。
もっと早く知りたかったなとも思う。
お棺にいつも使っていた茶碗を入れればと言ったら、それはお前が祖父に怒って投げて割ったと言われた。とてもとてもショック。私だって私なりに悲しいのだ。


やっぱり写真、アルバムはいい。
大学時代アルバムをプレゼントした友達も、ネットを通じた友達も、みんなアルバムを喜んでくれた(たぶん)
本当なら皆にアルバムをプレゼントしたいと思っているけど自分の写真は好きじゃない…という子もいるし悩む。

最近は撮る機会はすごく増えたけど逆に印刷しなくなった。
もっとどんどん印刷したいものですな。



姉が祖父は仏教だったからしばらく生物を食べぬといって、大星由良之介だぁと思いつつ私も真似てみたり(お粥とりんご生活が伸びただけだし)

喪服を姉と買いに行くとき、蝶が私達の周りを回って庭に入っていって、あの祖父が蝶になぞなるかいなと半ば思いつつ姉は思うところもあったようで、しばし沈黙。
蝶といえば不思議な事に季語は夏なんですよね。
雷も夏の季語。
さみしい夏の終わりがたたみかけてくる。

さくらももこもね、多くの人と同じようにさくらももこでエッセイの楽しさを知った身としては、彼女の新しい文章はもう読めないのかぁと悲しくなりました。


で、通夜や告別式などの一連が完全に終了するのが31日。本当に夏の終わりなわけで。
それまでずっとバタバタしてます。
体調は今日やっと完全復活なのでツイッター低浮上はそんな理由。
翌日はステコン〜
行くか行かないか迷ったんですが、9月1日、従兄達も学校始まるし日常が始まるんだから行けば?と。
しかしネイルや美容院の予約は取り消しました。
着る服そんなにないので普通に予定していたおしゃれはしますが。最初は気が引けてたんですが、しっかりした場所ではきちんとした正装を厳しく言い渡していた祖父なので逆にしっかりした服を着ろと言われ。

ただスケジュール的に体力が持つかなぁ。という心配。


そんな八月末。

39度と、祖父逝く。B


間が空いてしまいましたが25日の続き。


※私の気持ちは暗くないのですが、タイトル通り、暗い内容ですので苦手な方は気をつけて。



車で祖父が家の前を通ると聞いて総出で準備をしてたんですが10分だけ家の中で寝かせられると言われて慌ててスペース作りと布団準備。

従兄弟達にすら見せるのが恥ずかしい在りし日の面影なしの汚い部屋…(主に姉の本とグッズと本と本)
もう時間がない!と本の上に椅子を乗せたりずらしたりしてなんとか。


そして庭から運ばれた祖父を10分間、家族で囲みました。
母が泣き、叔父が泣き、姉が泣き……。
この記事を書くにあたって一番書きたかったことはここなんですけど。
私は涙は出てはいるけど泣けなくて、一人だけ扁桃炎カバーするためにマスクをしていたけど実は心の底から泣いてないのが周りにばれてしまうんじゃないかとそればかりヒヤヒヤしていた。

いや、私だってかなしい。
98歳という大往生に対して肉親の情なりにかなしかった。

でも声をかけるのは母姉叔父ばかり。
母と叔父の悲しみは語る迄もなく。
元々他人だった叔母も、離れて暮らしててあまり会話した事もなかったであろう従兄弟達の感じもどこか偉大な祖父が遠くへ行ったという実感のないさびしさもおかしくはない。

だが、姉だ。
姉は孫の中でおそらく一番泣いていた。初孫として、同じ家に暮らし同じごはんを囲んだ者として本当に普通に悲しそうに泣いていた。
え〜じゃあ私が間違っていたのか、と。
私が物心ついた頃からの祖父のイメージとしてはとにかく苦手、であった。
何か国に仕える立派な仕事をし、厳しく、こわい、いやなイメージ。
毎日毎日母か祖母と大声で怒鳴りあい、晩年は介護で大変迷惑を被った。
母は、あんなに世話になったのにと言って私を詰るけど孫娘にそういうイメージを植え付けたのはどうかんがえても幼き頃からの母からのすりこみである。
一度小学生の頃、あまりに母が祖父に怒鳴るからこれは祖父の方が可哀想ではないかと、祖父の部屋に忍び込んでまあじいさんはわるくないよと態度で示そうとした時がある。
その時は子供はでてけ!と怒鳴られた。その時から私は祖父に同情はしなくなった。
晩年だって私が祖父に怒ったのは、母に下衆な勘繰りをした時と、姉を憐れんだ時と、介護で後生だからやめてくれと頼みを聞き入れてくれなかった時だけである。(一番最後は私が悪いのは理性ではわかってます)
自発的にキレた時はなかった。いまになって何度も母に悪者扱いされるなら耐えればよかったとも思う。
話が逸れた。
とにかく、私にとって祖父はいいイメージではなかった。
晩年は私を父がいなくて、進学コースからはずれて、可哀想という憐れみの目で見てきた。もちろん気付いた頃からいない父の不在は私になんの影響も与えていないし、学歴コンプは幸せな大学生活によって消滅した。それなのに「かわいそうになぁ」「がんばれよぅ」という祖父に私は言葉に出来ない複雑な感情を抱いていたのだ。
ぼんやりと姉と祖父と先代の犬の散歩に行ったのが楽しかったという記憶はある。だから、言い換えるならいいイメージもあるけれど九割位はいいイメージではなかった。
姉も一緒だと思った。
姉も、祖父を忌み嫌うものなのだと思ってたから心底驚いた(いや、昨今の祖父母に対する態度から薄々わかってはいたが)
三歳の差が生んだ記憶の差だろうか、姉には幸せだった祖父と孫の記憶があるのだろうか。なぜ優しい言葉をかけられるのだろうか。

衝撃と焦燥とずるいという感情で黙って泣いているうちに、祖父が家に帰ってきた10分間は過ぎた。
葬儀社の方が運んでくれ車庫まで見送った。
また慌ただしく片付けるとごはんを食べてない事を思い出し、ドッと疲れが吹き出してきた。
扁桃炎の薬ものまなきゃ、と思った。

疲れが出てきたのは皆も同じなようで従兄弟達は帰っていった。

私はお腹が空いた気がして21日に作ったカレーやらなんやらを食べて実に4日ぶりにちゃんとした食事をしたけれど、胃にはもちろん優しくなく、気持ち悪くなって朝まで眠れなかった。


とにかく25日、98歳の大往生の日だった。

39度と、祖父逝く。A


今日、もう日付変更線もゆうに越えて朝焼け、昨日。
2018年8月25日の話。


タイトル通りの話で暗いのでそういうのが苦手な方はご注意を。
Aはただの記録です。事実の順列なため、読む人いるのか?というくらい読みにくいです。




朝起きて、相変わらず病床だった私。
横にはふわふわの柴犬がもたれかかって寝てて。
頭痛がおさまり、相変わらず喉の痛み。


姉が神様(商売をやっているので庭に小さなお稲荷さんがあり、そこにガラスのコップで毎朝水をあげている)のコップ割っちゃって手切った〜なんかコップない〜とか言ってて目が覚めたような。
姉がうどんを作ってくれる(母は私が体調を崩しても最近は冷たく先日頭痛で寝てる時、割れるような頭痛の中問題集をとけ!って怒られて泣く夢まで見たが姉は優しくしてくれ、おかゆやりんごのすりおろしや汗を拭いてくれ、不肖妹この御恩決して忘れぬぞ)というので薬を飲むため無理やり起床。


薬を飲むだけ飲んだら土曜日だし〜と二度寝。
犬とごろごろしてたら何やら部屋が慌ただしい。

先日体調を崩して介護ホームから病院に入院してた祖父の加減がよくないから来てくれと連絡があったとか。
ただ母がちょうど外出しておりいなくて何度も母の外出先に電話をかけながら姉は準備。で、ギリギリに母が帰ってきたので母と姉は叔父の車で叔母と従兄弟と出発。
私はまだ喉が痛かった上に数日風呂に入っておらず、病み上がりも病み上がり。
姉は来いと行ったけど、母は風邪症状の人は病室入出禁止だからと、犬もいるし私は家待機。


どうしたもんかと思いながら、毎日大量にくる宣伝メルマガの購読解除をぽちぽち地道にやってました。
お粥生活中に昨日見たブリティッシュベイクオフ(英国の料理対決番組)のドーナツがめちゃくちゃ美味しそうだったな、治ったら絶対ドーナツ食べるぞと思いつつぽちぽちしてた。

すると姉が泣きながらすぐ来てと電話をしてきたので着替えと戸締まりをして、自分の薬を持ってタクシーに。
家を後にする時、姉が食べようと醤油をきれいに塗っていたトウモロコシがまるまる一本トースターに残ってて夏だなぁなんて思ったりして。

場所がLINEで送られてきたからタクシーでチェックしながら空がくもひとつない真っ青な空で、秋に戻ったなんて言われたけど完璧夏じゃん。というか残暑。寒の戻りっていうけど暑の戻りとはいわないなぁと、そんな事を思いながら友達にメール。
熱で断るつもりだったプールに祖父の訃報を加えてメール。


病室に着くと、祖父はまだ脈を打っていて。
私はあれだって泣いてたからてっきり…さっき友達に亡くなったって言っちゃったよ…って脱力。
寝たまま脈を打つ祖父を不思議な感情で見つつ、末の従兄弟と大叔母達も来たり。
従兄弟と、大叔母達とあうのなんて盆だけで今年はもう終わったし会わないと思ったのにねーなんて話して。
祖父の病室から見た緑の銀杏の並木道が妙に補整されててきれいだねーなんても話して。


姉にあんな連絡するからもうだめなのかと思ったよって言ったらばか、これからもうじょじょに…って言われたんだと怒られ。


待合室でおにぎりを食べたり(四日ぶりの固形物)、ロビーのハイテク自販機に従兄弟達と驚いたり。
最近は本当にお盆にしか集まらないから従兄弟とこうしていると昔のお正月みたいでたのしいなと思ったり。

私はちなみにほぼ声が出せない状態だったのでかすれ声でした(病み上がりでまず出歩いたのが病院か、と)

ややあって、とりあえず様子見で今日は母と叔父が泊まり込むからそれ以外の皆は帰りなさいとの事に。
まず大叔母達が。
次に私と末の従兄弟が。
その次に姉と一番上の従兄弟が帰ることに。

私は犬も心配だったし、すぐ帰って。
姉が帰ってくるまで家の事をせねばと帰って洗濯物を取り込み、第二陣を洗い、食器を洗い、家中の雨戸を締め。
そして寝込んでる間、メールやLINEやりぷを溜め込んでいたので(みんな返信いらないですって気持ちだったろうけどこの後の事態はわかってない時だったし私は返したかったので)またもぽちぽち。
更に体調もよくなってきたので復活報告。
更に寝込んでる間更新されていたネオロマのグッズ情報を見ていました。
この日ステコンのチケットが家に届けられていたぽいけどもちろん受け取れていない。
すべて別々発送、日曜公演だけ当日引き換えって本当にどうしてなの東武さん?いままさに不測の事態を迎えてる私にとって、色々な事態に本当に対応出来ないからやめてほしいって思ってる。
現状今となってはステコンも雲行きあやしいですが。
で、そろそろ犬の散歩に行こうかなって思ったら突然の夕立。
夕立というかものすごいどしゃぶり。
さっきまであんな晴れてたのに??って思ってたら雨の中姉帰宅。

雨が止んだら散歩行くわー、じゃあお姉ちゃんは晩ごはん食べてるね等と話してたら母から電話。
なんでもいいから従兄弟を拾って早く来いとのこと。

従兄弟も従兄弟で晩ごはんにケンタッキーを買いに行ってしまったというし、こちらは雨のせいでどの会社に連絡してもタクシーはつかまらないし。
電話でのタクシーを諦め、通り雨が止んで濡れた歩道を走って駅まで行き、そこで従兄弟と合流して四人で駅で拾ったタクシーで病院へ。

皆転がるように走って病院のドアをくぐったんですが昼間は静かだった祖父の病棟はずーっと何かが途切れたような音がナースステーションに響き渡ってて。
それを無視するように皆で病室へ。
病室には母と、叔父と、叔母と、実習帰りの真ん中の従兄弟が。
皆、泣いてて先ほど息を引き取ったと。
昼間は赤く見えた祖父の顔が今度はずいぶん黄色く見えました。
そもそも親戚が母方しかわからず、お葬式も人生に一度祖母方の遠縁に昔一度出たきりの私にとっての生まれて初めての身近な死。
母や叔父や姉の悲しみからは遠く、みんなの涙に誘われるままでる涙の意味もわからず、ただただ不思議な感覚でした。
まだ熱でもあるのかってくらいぼんやりとした死。
悲しみの中に隠せないホッとした感情。
そんなぼんやりした時間の中、大叔母達が来て慌ただしく葬儀社を決め、慌ただしく話し合いをしました(主に葬儀場の場所決めや祖父を家に一度帰すか帰さないか)。

母を含めた大叔母達は誰一人(歳のせいもありましょうが)理論的に会話をすすめられないまま孫達は一度外に。
おじいちゃんの前で葬儀どこにするなんてあんなにギャアギャア言い合えないよって悲しそうに言う姉や真ん中の従兄弟を見て、なんていい子に育ったんだろう…とぼんやりとした感情の私はぼんやり思ったり。


なんやかんやで葬儀社さんがうちの家の前を通ってくれる事になったので家の準備をするため祖父についている母と叔父以外総員帰宅。
雨が上がってる空はもう23時とかで月がえらく綺麗だった。


長くなるので切ります。
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