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献花



今日、京都に献花に行ってきました。



献花について、ずっと悩んでて。
世間では献花及び献花台の片付け問題等でマイナスなイメージが多い気がして。
それというのも、私自身地元近くの、今年かなり連日ニュースになるほどの献花台の前を通る機会があって。
そこの前の道を通るのもなんとか避けたかったし、実際献花をしている人を見て、何故関係ないあなたが?自己満足なのでは?とか色々思ってしまって。

そもそも献花とはいつからどんな意味を持って始まった文化なんだとか色々調べて。

そんなことをふわふわ考えてた折、京アニの献花台が今週末までと知って。
姉が行きたい、と言いだしまして。

色々考えたけど私自身もそうだけど、区切り、というか自分の気持ちの整理として花に気持ちを込めて手向けるのは別に悪いことではない、との考えにいたりまして。夏が終わる前にどうしても献花台からでも伝えたい、自己満足と言われても、私にも姉にも自分にとって必要な儀礼に思えたというか。

片付け問題については申し訳ないが会社側が担ってくれてるとの事でその気遣いに乗らせてもらいたい、と思ったのでした。


しかし晩ご飯までには帰らなきゃだし、朝早く行きたい、となったので徹夜でGO。起きてたら行くという条件で無事二人とも起きていられたので行ってきました。


京都についてすぐに駅ビルでお花を購入。
行くまでは涙ぐむ…を繰り返して六地蔵駅に着いて。
(今は京阪側の駅前に献花台設置されています)
今までJR側からしかショップに行ったことなかったので、京阪から行ったのは初めてでした。

献花台、という言葉に気圧されてたんですが周りの景色もあまり見ずに警備員さんにうながされて。
人がいた気もするけど焦点を合わせず歩いていたからわからない。
泣いてしまうかとも思ったんですが綺麗に(おそらく警備員さんや係の方が並べてくれている)整理されている花束たちの横にただただ自分の花を置くことだけに集中していました。
縁のものや、色紙は見たら苦しいので本当に自分の気持ちだけを祈ってその場を離れました。
ちょうど人が少ないタイミングだったので、集中できて、またすぐに置いて離れる事が出来たのかも。

現場は行っている方もいるみたいですが近づかないようにお達しが出ていたので本当に献花台だけ。
私は献花台だけでじゅうぶんだった。
でもあの道を歩くとどういう景色があったのかはちらっと見えた別屋の看板で想像出来ました。

私達がいった時はたまたま人が少なかったけど、近くのバス停でぼんやり献花台をバス待ちながら見てたけど途切れることはなかった。
老若男女、花を持って神妙な面持ちで歩いていく景色はやはり悲しかった。
当たり前に電車やこの道を使っていたんだと改めて実感してしまい、やはりここに来て受け止めるのは大事だったと思ったのでした。


献花後は今回の件を祈祷してると聞いた醍醐寺へ。
醍醐寺の広々とした境内と霧かがかった山からの爽やかな風でやっと張っていた肩肘をおろしました。
その後は観光しにきたわけではないからと、とりあえずご飯とおやつを食べて帰ろうと大好きな岡崎のうどん屋さんに行って、四条富小路の居心地のいい町屋カフェでかき氷を食べて。
(このかき氷屋さんで姉が本当に久しぶりにはるりんまんじゅうと写真撮ってて泣きそうになった。
どこへ行くにも綺麗な景色や美味しいものに出会ったらぬいやまんと撮ってた姉が、私が仙台で至誠館アクキーと撮ってるとき何も取り出さなかった事にショックを受けていたから。)

途中雨で靴が水没したので新しい靴買ったり。
駅に戻って新幹線に乗りました。

場所までつらくなりたくないから。私はやっぱり京都が好きだし、次に来たらちゃんと観光もするよ。
好きな場所、好きな作品を絶対につらいことに結び付けたくない。


本当は献血も駅でする予定だったんですが寝不足でレットブルでなんとか立ってる状態だったので秋に来た時、改めて健康な時にすることに。


本当にスケジュール的には無茶だったんですけど空いてるのがロデオのために空けていた今日しかなかった。

止んだり土砂降りだったりの雨の中の、京都でした。
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