8/5に書いた20th渇望愚痴+8/7の追記



何かをすごく楽しみにするとうまくいかなかった時の反動がすごくて一気にズーンと全てのやる気がなくなってしまう。やばい。
こういう何も手につかない時はグダグダつまらないことを日記に書くに限る。


てなわけで相変わらずコルダ20thイベを渇望する人間の考察(愚痴)です。
たぶんコルダジャンルの人が読んでも煮詰まりすぎてて意味わからん文章だと思うのでまだ、ジャンルが違う人が読んでもただただかわいそうな長文になってます。

(つまりメンタルしんでるので自ジャンルについてぐちぐち言う)





コルダの20th原画展が小規模ではあるけど決まったー!やったー!呉先生だ!描き下ろしだ!!!!!!わーい!!!


と、ひとしきり喜んだ後に急激に落ち込んでしまった(泣笑)
白泉社も、ビズログもコルダの20周年をどんな規模でも言及してくれるのに公式だけがなにも言ってくれない。

9月はコルダのなんのイベントがいきなり入ってもいいようになんの予定も入れてなかったんだけど、ボチボチ色々誘われるようになってきた。
その度に「もしもコルダの公式イベが入ったら直前でもキャンセルしていい?」って聞いてからOKしたり断ったりしてるんだけど、むなしい。

もしかしたらもう終わったコンテンツなの?
自分の楽しかった期間のものだから固執してるだけなの?って怖くなってしまう。
もちろん終わったコンテンツではなく、スタオケはきっちりイベントとかもちゃんと動いていて。

ツイッターでも昔呟いたんだけど、スタオケはちゃんと現行展開してるのにコルダの20thリアルイベントがないって病んでるのは私がおかしいんじゃないか…ってずーっと悩んでたんだけど、コルダのフォロワーさんに会うとやっぱ皆「なんでイベントしてくれないのか」って話になるから私だけじゃないんだ…って安心もしたのよ。

本当になんで公式が動いてくれないのかだけが謎。
公式が動いてくれないからみんなどんどん別ジャンル行っちゃったよ…



◆そもそも何故コルダ好きたちはイベントが好きなのか

これについてはコルダの歴史がそうさせたからじゃん!!!としか言いようがない。
5周年も10周年も15周年(15周年にいたっては約三年間もアニバーサリーイベやった)イベントをして、周年記念を大事にしてきたジャンルだから、ファンも節目を大切に思うようになったんだよね。私の考察だけど。
そもそもネオロマは一時期イベント屋として言われてしまうくらいイベ頻発するジャンルで、それでも私はそこが長所でもあると思ってたのはイベントで披露される曲やシナリオがキャラを壊さず、さらにキャラの魅力を掘り下げるものばかりだったからイベントシナリオも展開の一部に感じていたんだよ。
そのシナリオに私たちは泣いたり笑ったりした。
(今思えば、コンシューマーゲームであるネオロマにとってイベントシナリオは今でいうソシャゲのイベントシナリオみたいなものだったのかもしれない)


もちろんそれ以外にも理由はあって、
特にコルダは横浜が舞台だからイベントに行く=聖地巡礼でもあるんだよね。
そこを歩きながら同じジャンルの人と過ごす時間ってのが公式イベントのおかげで割と頻繁に可能にできるジャンルだったんだと思う。

月森くんの私の大好きな歌詞を引用すれば、
「同じスリル感じ 同じ時間をすごして通う言葉が少しずつ増えてゆく」のようにこのジャンルにいた人たちには積み重ねたものがあったと思う。
(でも途中からハマった人やイベントに行かない人にはハマりにくいジャンルだったとも思う)

だからイベントは大事だったし、パシフィコで行われるイベというものが大切にしてた。
これは客側だけじゃないと思ってたんだよね。

2022.12.29の襟川女史の「来年はコルダの年!として様々な企画をご用意していますので是非ご期待してください」のインタビュー記事。
株主総会でのイベント展開への言及。
キャスト陣の折に触れて度々の20周年の言葉(きーやんの色々やるよ20周年だもーんに泣いた。でもきーやんはたぶん案とかあって言ってるわけではないのはわかってるw)。
他にも実際に白泉社やビズログとかは20周年なにか公式もやるだろう!と合わせて色々企画してくれたかもしれないし。

割と私がおかしいんじゃなくて、
誰も彼もがコルダは20周年になにかやるだろうと思ってたんじゃないか。
これに関してはほんと、たくさんのイベントを打ち出してきて、我々をイベント好きにしたコエテク側の功罪だと思うんすよ…。


◆私が固執してるだけじゃないのか
マージで何度もこれは思う。
16歳(14)からずっとコルダと共にあって。
コルダ3に関しては19歳(3発売の年)〜29歳(15thアニバfinal)まで20代を一緒に駆け抜けた。
いつもコルダがそばにいた。
だからあまりにも人生になっちゃってて、自分の人生も進まず、なかなか他のジャンルにもハマれないから私が固執しておかしくなってるだけなんじゃないかなー、スタオケにちゃんとハマれない理由を探してるだけなんじゃないかなーって。

でもやっぱり何かが発表されたり配信されたりすると皆イベントは?ってなるし、フォロワーさんに会ってもそういう話になるから私がおかしいだけじゃないんだ…って意味わからんホッとし方する。

ことあるごとにイベントしてきて、何度も周年イベやって、バンバンコンサートとかもやってくれて、イベント好きにさせたのはそっち(公式)のせいじゃん!?ってなる。

でもまだ私がいくあてがなくて管巻いてるだけ説もある。
(あとコロナ禍以降唯一のリアルイベ行けてないせいか)



◆何故公式はイベントをしないのか?
わかる。まず、では何故?なんだよね。
きっかけはコロナだとは思う。
コロナ禍で他のジャンルと同じようにイベントがなくなって配信をするようになった。

2019.3月の緊急事態宣言発令後のコルダの公式発信イベント・番組を覚えてる限りちょっと書き出してみた。

・2021.2.21スタオケ1st Festival(配信のみ)
・2021.11.13常ラザ(配信&現地イベント)
・2022.6.4地上波特別番組(放送のみ)
・2022.9.10スタオケ1.5th Anniversary (配信のみ)

ねえやっぱり周年大好きだよね?????笑

こう見てもコロナがおさまったといわれてた2021年秋の常ラザ以外が配信なのは別に不思議ではない。
これに横浜スタンプラリーやナンジャやカフェやグラッテがちょこちょこあったので決してイベント展開がなかったとは言えない。
実際、スタオケから入った人でイベント少ないやってくれないって人は見ない。リアルイベがないことを嘆いてるのは無印〜または3〜入った人ばかりである。

ここでちょっとほかのネオロマのイベント事情をみてみたい。


2020.8 遙か7初陣(無観客配信のみ)
2020.9 遙か二十年祭(無観客配信のみ)
2020.12 アンミナプレサミット(無観客配信のみ)
2021.1 遙か3MIXライヴ(有観客予定→無観客配信のみ)
2021.3 遙か二十年アンコール祭(無観客配信のみ)
2021.4 遙か鬼祭り(有観客、配信あり)
2021.5 ネオロマダンディズムLIVE(有観客、配信あり)
2021.7 アンミナ1st フロステ(有観客、配信あり)
2022.8 遙か7出陣(有観客、配信あり)
2022.10 アンミナフロステ2(有観客、配信あり)

結構やってる!!笑
ん〜〜〜こう見るとコロナ禍の流れに合わせて順当に有観客にしてる。
これ、2022.9月のスタオケ1.5が配信のみだったの逆に謎だな??マモのスケジュールに合わせやすかったからか??当時もそんなこと言われてた気がするな?
アンミナや遙かが順当に有観客やってるし、アンジェも遙かも二十周年イベやってるから余計なんでコルダは…って思っちゃうのかも。

まあアンミナと遙か7は2021年発売して、それに合わせてイベントやってるわけだから別におかしくないんだけど。
(逆に何も発売されないのに毎年、いや数ヶ月に1回イベントがあった今までの方がおかしいのは過分に自覚していたけれど)

あと書いてて気づいたけど、私コルダも含めて上記の有観客イベたぶん一個も行ってないんだよね。
遙か3の有観客チケットは買ってたけど無観客になったし。
遙かかはもう4以降のナンバリングは追わないことにしたから7のは行ってないし、アンミナも現地イベントいくほどではないし(フロステ1は配信だけ見たような気もする)。

だから余計にイベント〜〜〜ッッってなってるのかも。
書き出してみて気づけてよかった。
今思えばマジでなんで鬼祭りとダンディズム行ってないかわからないね。
(たぶんもう1〜4の展開待ってます的なコメント聞くのが辛くて遙かは現地行かなくなったからかもな…。配信も買ってないかも?忘れた)
行ってたらもうちょいイベント行きたい欲は晴れてたのだろうか。
ていうか今のイベントに飢えた状況なら飛びついて現地行ったと思う(笑)


でも書き出してみてひとつの仮説をさらに立てたい。

実は書き出したイベント、常ラザも含めてどれもパシフィコで行われたものは一つもない。
まあ今までネオロマの会場になったことのない場所も多いのでコロナ禍の制約下で借りられる会場が限られていた…ってのもあるかもだけど、7とフロステの話をすればどちらもKT Zeppで行われている。

そうKT Zepp。
本来なら2019年の遙かでのこけら落としと共にネオロマイベが多く行われるだろうとされていたコエテク所有ビルに爆誕したZeppだ。
今ではなきZepp yokohamaのかわりにいろんなアーティストに使われてる会場。
たぶんパシフィコを借りるより、こっちでやったほうが会場料は圧倒的差があるんじゃないか。

実際これが立つと決まった時、ネオロマイベはこれから全部そっちになるかもしれないし、コルダ15thFinalは最後のパシフィコイベかも(だからどうしても行きたい)と言われていた。

で、
コルダの20周年をやりたいと言われている声の中には…というか私の体感の9割では「パシフィコでコルダの20周年をやりたい」という声が多い。

やっぱ思い出の地だし、キャパ的にもちょうどいいし、なんならコルダ4ではゲームでも最後の地として背景も名前もまんまパシフィコ横浜として出てきた所縁深い場所だからだ。

コルダイベやって欲しい人たち、私も含めオブラートに包まずに言うなら周年イベやって欲しい古参怨霊たち(褒めてる)は圧倒的にパシフィコ開催を願ってる。

それで仮説だが、
KTZeppで開催したい社側の人と、パシフィコでやりたい側の人の意見が割れてるんじゃないだろうか。
この辺のバランスが取れていない気もする。


まあ上記の仮説を会場問題として、
何故やらないのかの理由としては
・会場問題(イベントチケット代は青天井でいいからパシフィコでやれ)
・コロナ禍の損失におけるイベント開催忌避(でもやってほし〜)
・キャストスケジュール問題(毎回キャスト揃ってやりたいと舞台上で何度も言ってきたんだから20周年は前から日にち決まってたんだから早めにおさえとけ)
・もうイベント企画部など指揮する人がいない
・周囲やファンの希望がルビパ側にまっったく伝わっていない(これが一番ありそうで本当にこわい)

あたりだろうか。

うーーん、とかしこまって書いてみたけど如何にもこうにも。
私は、私自身を納得させるための仮説を自分のためにいくつも、馬鹿らしくても考えださにゃならんのだ。



◆人は流れる
ルビパにはオタクはジャンルを移動するという意識はあるのだろうか。

もちろん人生の成長によってオタクを卒業する人もいる。
アンジェで入った人、エトワで離れた人、遙かで入った人、八葉シャッフルで離れた人、声優交代で離れた人、コルダで入った人、コルダ3で入った人、コルダ3で離れた人、ネオアン、下天、遙か6で入った人、アンミナで入った人、スタオケで入った人、スタオケで離れた人…。
ネオロマでも数年ごとにいろんなオタクの流れを見てきた。
特にこの数年でよく見たのは、アンミナでアンジェ再燃した人と、スタオケで入った人&離れた人だ。

再熱や入ってきてくれる分にはじゃんじゃんどうぞよろこんで!!って感じだが、わたしがなかよくしてた人たちはほとんどスタオケで離れた人だ。

今までコンシューマー派だったからソシャゲにハマれなかった人、スタオケにハマれなかった人。
もちろんスタオケにハマれなかったわけじゃなく、そもそもそろそろネオロマから離れそうで別に新しく好きなジャンルができた人もいれば、コロナ禍でコルダ4までの展開がなくなったから移動した人…もいる。

ネオロマは今までタイトルの新しいナンバリングが出ても、イベントをやることによって過去ナンバリングにも光を当ててきた。
(遙かやアンジェを引き合いに出されると申し訳ないが少なくともコルダはそうだし、だいたい常にどのナンバリングが動いてた)

コルダ香穂子世代は、ある意味発売から年数が経っても漫画、アニメ、100コル、ドラマCDシリーズ、周年商法…があったから一度も過去のジャンルではなかった。
でも小日向世代は15thFinal、コロナ禍を機にぷっつりと梯子を外されたような気持ちになってしまっている。
コルダ3の10周年に言及がなかった時に嫌な予感はしたけど、小日向世代も特別で大好きなんだよ。

そして今、この数年で仲良かった人が結構別ジャンルに行ってしまった。さみしい。
いや別に他のジャンルがいま熱いってだけでネオロマが嫌いになったわけじゃない(なった人もいると思う)し、そんなの個人の自由だけど、やっぱ一気に一緒にイベントに行ったりコラボに行く人がいなくなっちゃうのはさみしいものがある。

これはほんと運というか仕方ないし、
声かけたら今まで仲良くしてた人とかは皆んな優しいからのってくれたりもするだろうけど。
TLには結構いるんだけど、何故かずーっとコルダ!ってジャンルのリアルで遊べるほどの人っていないかも。
これもコミュ力とか運とかだよね…
(というか、イベントとかコラボとかも一人の方が自由に動きやすいって一人行動を好んでた自分のせいである)

だから公式の動かなさと、周りのジャンル移動がほぼ同時期(この2年くらい)に重なって、さらに自分の人生のうまくいかなさでずーーーんとなってしまってる。


ゲームを何度も焼き回して低クオリティやキャラの解釈壊してまで、何年も同じジャンルを公式が盛り上げ続けるのと、綺麗に終わるのどっちがいいんだろ?とかも考える。
(いやネオロマは新タイトル出して新陳代謝して現行作品推してるからうまくやればそうならないんだけど)

流れる人を繋ぎ止めるために、ジャンルはなにをするのがいいのかは難しい問題なのかも。



◆9.19
コルダの日、どうしようかなーと考える。

9月はコルダのためにほんとに予定を空けてたけど、なんにもなさそうで虚無(原画展入ったので!2日は初日に行く!!)。
だったけど、せめて当日は横浜に行こうかなと考える。

だったらもう横浜に泊まるか!
じゃあ18-19で泊まろうかな…って思ったんだけど、実は私、20日も別件で夜に横浜行くんだよね。
だったら19-20で泊まった方がいいか…?

せっかく泊まるならニューグランドでクラシックパスポート押したい。
でもニューグランドは次のホテルプランではじめて泊まろう!とも思ってたし…。
でもパスポートの期限も迫るし…。

あと一人で泊まるか、友人と泊まるか。
せっかくならコルダの鑑賞会とかしたい。
でも横浜のホテルでコルダの鑑賞会しよ!って現在コルダがいちばん熱いジャンルの友人が思いつかない…
それがまたさみしい。
一人で泊まるか、誰かと泊まるか。
もしフォロワーさんが何か企画するならそっちも行きたいし…
ぐるぐる考える。
コルダの日、私は何をしてるだろう。


同じ意見の同じジャンルの人と語り合いたいからこういうのをツイッターで長文でだらだら語れる人になりたかったんだけどさすがにそんな勇気はないのであった…。



『ここまで8/5に書いてて、病みすぎ長文やべえと投稿してなかったもの』

……………………………………………………
ここから8/7。追記。


公式から20thの記念グッズやらコラボやらの発表きた!!!!!!


公式から20thのコラボやあれやこれや出てめちゃくちゃ嬉しいよーーっっ!!!!

て気持ちと、
サイトにcoming soonがない…これで終わりか?って気持ちで情緒不安定wwwwww

でもとりあえず、
いったん素直に!素直によろこんどくか!

「君たちはどう生きるか」感想追記+通常日記



君たちはどう生きるかの感想追記。
追記っていうか、ね。
(内容のネタバレなし)

基本私という人間は、自分のファーストインプレッションがあるくせに他人の感想に流されてころころ意見を変えそうになっちゃうので鑑賞したものの他人の感想をじっくり見ることはないのだけれど、ちょっと色々気になったからツイッターで他の人の感想を検索してみた。

ら、あーー!ってめちゃくちゃ腑に落ちたものがあった。
ツイートの内容は、「自分はアニメーター(絵描き)としての宮崎駿を期待していったからめちゃくちゃ刺さったけど、妻は脚本家としての宮崎駿を期待していったから刺さらなかったぽい」
というもの。

めちゃくちゃ納得した。
私も多分脚本家としてのジブリを期待してたんだと思う。
映画や舞台とかも基本的に私が一番重視するのはお話の内容なので。
改めてこうやって言語化されるとすっっごく腑に落ちた!

私の周りでもイラストを描いてたり絵が好きで内容より絵画性重視の人の方が好評だったからなるほどなぁ。
ちなみに背景や作画やワクワクする絵だったことは私もそう思うのでめちゃくちゃ納得なのでした。

あと、今回は駿の生い立ちを知らないと楽しめないかも的感想を見て、それもなるほどなぁと思った。
生い立ちを私は知らないんですがなんとなくあの時代の誰かの背景が感情移入されてそうだなあと思ったのでさもありなん。


*****************


はてさて最近の私。
体調がなんか悪いかも…?ってこと以外はなーんにも変わらず過ごしています。

内装工事とお盆もひと段落ついて、まったり過ごしたい(願望)

人生最推しジャンルがスタオケのイベント以外何も動かないのでダイエットもストップし、お金を全て犬とのお出かけに全振り。
夏は暑いから避暑地にしか行けないけど、今月は
内装工事の関係もあって色々お出かけ出来た。
夜のドッグランとかも行けたらいいんだけどなぁ、19時とかはまだお犬たちには暑いんだよなぁ

そんなわけで気持ちはオタクのつもりなんだけど,最近は
犬!高速!車!ラジオ!カメラ!標高高い花畑!
みたいな趣味の人間になってきておりやす。


ガッと落ちれる推しが欲しいなぁー

ミリオン10thはゆるゆるエンジョイしてるから楽しいけどね。コラボに一緒にいけるようなミリPの友人が欲しいけど探す気力と、私がゆるい情熱でやってるから同じくらいの情熱の人を探す気力がない。。


そんな最近ー。

「君たちはどう生きるか」初日に見てきた。



※普通にネタバレしてる
※あらすじ書いてるわけじゃないから見ないとわけわからん感想かもだけど
※映画以外の話もしてる
※前情報全くなし&見終わった後に他の人の感想も全くみてないまっさらな状態で書いてる。
※とにかくまずはまっさらな最初の気持ちを書いておきたいだけだからジブリの考察とかまともな感想は書いてない。


お盆中日。
例年の如く、お坊さんが来たり親戚が来たりする日。
去年か一昨年に、中日の暇なタイミングで2時間映画館に逃避しに行くことに味を占めたので今年も映画に行くことにした。(去年はゆるキャン)
さて何を見ようと思ったらちょうどジブリ公開日。
それならばっと、見てきた。


映画館激混み。
まさかと思ったけど全員ジブリで、開場時間に並んでシアターに入ることに。
席決まってるんだから〜最初並ばなかったんだけど並ばないと入れない列だったので大人しく並ぶ。
早めにチケットを取っていたので自分のいつもの席である一番後ろの通路側に座れた。





以下、感想。


真っ先に思ったのはパンズラビリンス、ブレイブストーリー…みたい…って感想。
ハッピーエンドだから別にそこまでじゃないけど、黄泉比良坂というか、異世界でのー産道と言うかーを経て、忸怩たるものから逸脱して成長するかんじ…
あと幽霊塔のイメージもびしばし。
駿の幽霊塔の本も持ってるから雰囲気はめちゃ好きだ。


・起は面白かったし、さすがジブリやはり引き込まれるなあと思った。(ただし戦中にする意味はあっただろうかとは思う)
承までも面白かったけどそこまでが長くだれた。転結も背景が綺麗だから見れたけど長いなぁと思った。
ジブリじゃなくても、見たことあるなぁ、とも思っちゃったからかなぁ。
てゆうかジブリならマーニーで見たなぁとも思った。
エンタメだったな〜壮大だったな〜とも思いつつも映画ではありきたりなテーマでもあるから薄いなとも思ってしまった。意味はわかるけど抽象&抽象の嵐。
類似作品を見たことがない人にはとてもいいと思う。


・船(おそらく死人)がバーって浮いてるのすき。
何故なら紅の豚で飛行機がバーってなってるのが美しく悲しくて好きだから。
(つまり紅の豚ですでに見たことある)


・「あれはわしらには救えぬものじゃ」の部屋が出てきた(わかる人だけわかってw)


・あと私の苦手な生き物が同じぐらい苦手な人には辛いシーンがある。私はリアルなイラストも苦手だからそのシーンは超薄目になった。


・なんでこんなに鳥??と思ったけどジブリで鳥って新鮮だからなんかよかった。


・眞人は、あ、うんなんかジブリって勝気な主人公好き、ね!!わたしもすきっちゃすきだよ!
ただヒロインだと可愛いと思うのに男の子だとこ、こいつ…!ってなる
って感じ(笑)
マーニーの杏奈ほどムカつかないけど、アリエッティの翔君よりは達観してない。
アシタカ系…かな。


・起承転結の起、ほんと面白かった…というかジブリで久々にワクワクした。
眞人の起の心の動きが丁寧でとても良かった。
重苦しい音楽、言葉少ない綺麗な顔の少年、応対は丁寧で我々が
彼は新しい母や疎開という境地を是と思ってるのか非と思ってるのかわからない……と見せかけて石でガン!血ドバー!で視聴者にも忸怩たる気持ちをみせてくる、ここまでの過程が良かった。

・でもワクワクの理由のひとつは、やはりあらすじを知らなくてこれから何が起こるのかどういう話なのか全くわからなかったからだと思う。
事前に告知やコマーシャルしないでジブリ最新作!だけで勝負したのは個人的には大正解だったのではないだろうか。
席もほぼ満席だったし。
あらすじ知ってたらおそらくワクワクしなかったし、私は初日に見に行かなかったor映画館にすら行かなかったかもしれない。
ただし諸刃の剣で、何が起こるんだろうワクワク!からあ、これ見たことあるなそう言う話ね〜って落差は辛かったかも。

・米津の歌詞はまんまだった。
協力アニメ会社ちらほら驚き。

・これもエンターテイメントしてて千と千尋以降こういう映画もう無理なのかなと思ったけどまだ作れるんだ!という感動。
後半の綺麗な景色やインコのシーンとかあの辺を長めにみたかった。


・が、もしも“宮崎駿の最後の作品”とするならばテーマ的にも面白さ的にも私は風立ちぬのほうが良かったなぁーというかんじ。
風立ちぬはああ、駿はこれが描きたかったんだろうなぁ!!って強く思ったし。

今夜の金ローのコクリコたのしみだな。(口直し的に言うな)(が、なんかコクリコで口直ししたい的な気持ち)




ここからは映画の感想ではなく、その後の私の景色の記録。


実は前半のワクワクから後半長くて(先が読めてしまって)自分の中でだれてしまって早くトイレ行きたいなぁ〜などと思っていた。
というのも先週ほんとに忙しくてほぼ眠れない→からの今週お盆バタバタ!の前に人生初不正出血。で、昨日まで腹痛でしんでたのだ。(現在進行形で良さそうな婦人科を探すミッション中)
はぁ、なんか婦人科系の病気になっちゃったからトイレ近くなっちゃったのかなぁ。膀胱強い方だったのになぁ〜映画とか観劇とか行きづらくなっちゃったらどうしよ〜不安だなぁ。
今回の映画のオチとして「ナツコ、いい赤ちゃん産んでね」だったからもしかして今は物語としてしか捉えてないからなんの感情もわかなかったし、ほーんとしか思ってなかったけど今後自分の感情としてこういう出産系の物語にもなにか嫌になって見られなくなっちゃうのかなぁ(友人がそうなったから)、そういうこと考えると鬱だなぁ。

などと思いながら映画館の外へ。
そうだ電源切ってたからスマホの電源入れなきゃ。
あ、ポスターの写真撮ろう〜パシャ。

わ、おんなじ映画館から出てきた人オードリー東京ドームのTシャツ着てる!
やばい同じTシャツ着てこなくて良かった〜あの人もリトルトゥースなんかな。初日にジブリくるリトルトゥースかぁ、サブカル極まってるゥ


あ、LINEきてる。
LINEをひらくとまさかの友人の妊娠報告。

エッ!!こんな人間讃歌みたいなナツコが赤ちゃんを無事に産んだ!みたいなエンディングみた直後にこんなことある?!?!
伏線回収!?!?
今日初日でまだこの映画を見た人間がまだ少ない中で直後に妊娠報告読んだの日本で私1人説ない!?!?
こんなことあるんだすげ〜
おめでとうの返信。


…いまは全然驚きと喜びの気持ちと反応しかないけどこの先わたしは友人の報告に拒否反応が出るようになったりするんだろうか。
こんなこと考えてる時点でもうダメなのかなぁー。どうなんだろ。わからん。

(お気づきかもだが急になった婦人科系病気の不安を誰にも言えないせいでそういう話があるたびにブログに帰ってきてない??いや、ちがう!純粋に映画感想かきたくて来たんだ!次こそは普通の話だけでブログに帰ってきたい)
(現在進行形で体調不良だから神経細くなってるのかな)


などなど考えながら熱帯のような空気の中をかきわけて泳ぐような気持ちで帰路。
駅に行く方の道でまたリトルトゥースをみかける。
先のことはわかんないけど私は2月には絶対オードリーのイベントを見に東京ドームに行くと思う。
君たちはどう生きるかっていうより、私はどう生きるか、私は2月に東京ドームに行くのだッッ!!!!

夏至に人間ドックにいった



去年もドックに行ったけど、特に問題はなかった。
ただ姉の同級生が乳がんで最近亡くなったのを聞いて、やっぱそういうのを聞いたタイミングでマンモとか受けたいなと思ったから今年も受けてみたのだった。

うっかり問診で過敏性腸症候群の話をしたらバリウム検査がドクターストップで中止になってしまった。
当面自分の胃腸の無事を信じるしかない。
だから当日すぐわかる結果はほとんど少ないはずだった。

ふと検査項目を見たら、婦人科検診があった。
もうほんとなるべくやりたくないのでオプションでつけなかった気がするけど最初から含まれてるコースだったかぁとか心で舌打ちしながら検査室へ。

まあここの人間ドックの婦人科の先生はとても優しく、去年も好印象だったので去年よりは楽な気持ちで受けた。

ら、子宮筋腫がみつかった。真ん中あたりらしい。
先生も「去年は全くなかったのに」と言っていて私は少し狼狽えた。
珍しくないし、命に別状はないし、そんなに悲観するほどではないのかもしれないけど、「去年は何もなかった」という事実が重くズーンときてしまった。
だってそしたら去年までは確実に安全に妊娠する確率が今年よりは高かったってわけだ。
いや別に年齢を重ねるごとにその確率は下がってるわけだから筋腫があろうがなかろうが〜かもしれないが、なんだかショックを受けた。

ショック。
今まで健診でひっかからなかった(ひっかかっても再検査で問題なしも含む)人間に明確に何かマイナスな×がついたショックもあるのかもしれない。

なぜか子宮筋腫ときいてまっすぐに妊娠の有無を考えた。
別に今の私に妊娠の可能性は億にひとつもなく、ここ10年先を考えてみたってその未来のビジョンには全く辿りつかない。
どうしても欲しいのかと聞かれてもわからない…って答えるほど曖昧だ。
妊活、いやそもそも婚活?をする気も現状全くない。
この先の可能性だけで言えばほぼほぼ0に等しい。

だけど、子供は好きで、もしも自分にいたら優しく育ててみたいと思ったことはあり、「子供苦手だからいらないんだよね」派ではないという事実が私にショックを受けさせたのだろう。
去年までに産めてたら…、去年まではなかったのか…という虚無。
別に単純にそんな話じゃないのはわかってるけど、真っ先に自分の中で浮かんだのがそうだったのだから、日記では好き勝手言わせて欲しい。

原因ってなんだろうって考えたけど原因はないらしくただ思案のみだ。
この一年で変わったことは体重が10キロ減った後にリバウンドで4キロ増えて増減を繰り返したこと、法事ストレスでストレス面は大打撃があったこと、車に乗って座ってる時間が増えたこと…くらい。加齢とか?
ーーーー考えても仕方ない。


そもそも、だ。
去年子宮筋腫がなかったことの方がおかしいのだ。
私は婦人科系がやばい、その症状は普通じゃない(ある意味筋腫があるような症状はもっと前からたくさん当てはまっていた)、だからレディース専門の人間ドックを受けろと周囲から口うるさく言われたから去年受けたのだ。
だからこそ、去年異常なしでちょっと嬉しかったのだ。
結局異常あるんじゃん!っていう、なんかジタバタ。

しかし自分の婦人科系症状の異常って気づくの難しいなぁと思う。
他人と比較しないもんね。
私の場合毎月必ず数週間前からコルセットなしで立てないレベルの腰痛、来たら腹痛、毎日ロキソニン、下痢、偏頭痛ってのがもうずっと前からだったから、皆そうだと思ってたのだ。
でも家族に毎回そんなに痛がるのおかしいって言われて「えっ!?」と驚いた。
あとは外出したときの膨腹感、これは地味に毎回すごく困ってる。友達と泊まったりすると翌朝の朝ごはんはお腹がパンパンであまり食べられない。気圧や高低差のせいかなとか思ってたんだけどね。

正直もうだいぶ前から詰んでたのかもしれない。

とりあえず詳細な結果が届くまでこのショックに浸るしかない。
結果が届いたら届いたで婦人科を探すことになるだろう。ドックの先生には一度婦人科で診てもらえと言われた。
ただでさえ婦人科系の医者にトラウマがあるのに、安心して診断してもらえるお医者さんをいちから探さなきゃいけないのが気が重い。
はっきり言えば面倒じゃ。

そんなことより頭痛科外来探したいのに。

メンテナンスしなくても、生きていられた若き日々へのさよならをひしひしと感じている。


しかし、なによりも自分の健康について私がまだショックを受けるほど関心があった事に、一番驚いたのであった(笑)



(日記離れ宣言してから久々の日記これー!?だけど、なんとなく書き留めておきたかったので。生理的な話すみません)

謎のショックを受けながら帰路、白いリボンのツバの広い麦わら帽子を買った。
一年で一番昼の長い日に夏に心を向けようと思ったのだった。

更新が減った理由(再投稿)+などなど!


久しぶりの日記。
ここを知ってるリアル友人たちから最近「ブログもう書かないの?」って言われる事が増えて、
そういえば書か(け)なくなった理由の愚痴を長文で書いて去年末に投稿したんだけど即日消したんだよなーと思い出して。

書いた件がちょうど解決した(はず)なので、消しちゃったけどログはあったから理由として残しておこうかなと再投稿。

一度読んだことある人はなんで愚痴を何回も読ませられにゃいかんのじゃって感じになるので、まあ読まずに。めちゃくちゃ長い。ただの記録です。
せっかくだから加筆修正なしに当時の気持ちそのまま。


最後に追記だけ足した。



※以下、
2022年、年末に投稿した
「ブログを更新しなくなった理由」
………………………………………………

世間はクリスマス?
私は混む前にクリスマスぽい所出かけてたのでもうクリスマス気分は終了している笑


久しぶりの日記である。


なんだかこの数年で私のSNSの在り方が大きく変わった気がする。
おそらくコロナ禍やスマホデビューといったものが転機になっているんだけど、特に今年はある悩み事が解決に近づいた大きな分岐点だった。
(クリスマス辺りから年末モードになりなんとなく振り返りたくなる)
そのことについて急に書いておきたくなった。




そもそも、私はブログに記録する事が好きだった。
どこに行って、誰と遊び、なにを食べて、なにを楽しみ、その時どう思ったか…それらを詳細に書いておけば記憶が薄れた数年後でも、日記を読み返しさえすればありありとその日の楽しかった記憶が最近のことのように思い出せるからである。


生活の変化とかで中々ブログが更新出来なくなりつつも、楽しかった記録は常に書きたいなーという気持ちだけは変わらずに持っていた。

しかしある時期にその気持ちに変化が生まれた。

それは、数年前。
同時期に別々のコミュニティの友人達にSNSで「私とは遊んでくれないんだ(ニュアンス)」と空リプされる事が多々あったからである。
もちろん、空リプ…というか、各々自分の愚痴として呟いているだけなので私宛てのコメントでは勿論ない。なので私の被害妄想説がだいぶ強い。
いまだに私は自分の被害妄想だろう!と強く思っているが、あまりにも同時期に複数の人のSNSでそのようなコメントを見たため、「これは私に言ってるんだ…」と激しく病むようになってしまった。

私が共通の友人と出かければあーあ、と言われたり、一緒に行くのを約束していないライブに友人と行ったと書けばその直後にライブ行きたかったなと言われたり、私は友人いない、どうせミュートされてる……etc
そんなツイートを沢山目にした。
(そもそもフォロワーをミュートしないし、しかも何度も遊んだ事がある友人をしないでしょ普通)(って悩みすぎて第三者に相談したら普段から自分がミュートするからそう言うんじゃない?と言われ納得)

気のせい、被害妄想である、私が気にしすぎてるだけ、と答えのわからない問答を自分で繰り返しながらも、私はSNSに「自分が楽しく遊んだ証拠」を残す事がどんどん怖くなっていった。


もしかしたら友人らは全然違う界隈の愚痴をぽろっと呟いただけかもしれない。
それで私が勝手に友人らに悪印象を受けるのは絶対によくない。
でも無意識に、反射的に、それらの友人のつぶやきを自分のつぶやき時間と合わせてスクショしていたので何度も眺めて検証しようとしては、その度に私は心が折れてしまった。
あまりにも私のツイートと呼応して書かれたような愚痴にばかり思えてしまったのだ。

楽しかった日の思い出が、その直後にマイナスな呟きをする友人達のツイートによって落ち込む思い出になってしまっていた。
しかももしかしたら私がなんの気無しに楽しくツイートした事が、友人を傷つけることになっているのか!?と思って気持ちがぐちゃぐちゃになった。


更にこのブログも、ツイッターだけじゃなくここに遊びに行ったことを書くことすら「見張られてる…!」と思うようになってしまっていた。
やがて私は「私の楽しい外出が友人に監視されている」という強迫観念みたいなものに取り憑かれてしまったのだ。


もちろん、これの回避方法はすごく簡単なことで私がSNSにどこに行ったとか何をしたとかを書かなければいいだけだった。

……ただ、それがものすごくストレスになった。
私は文章を書くのが好きだ、写真を撮るのが好きだ、そして前述した通り記録を残して読み返すのが大好きだった。

おそらく自分で思うに、17〜19歳くらいの人として虚だった時代に、過去の写真や過去の日記を読み返して楽しい思い出を思い返す事でなんとか自我を保っていた事があったから、人より強く思い出というものに執着するようになったのかもしれない。
(今考えるとウケることだが、進学校のエスカレーターから外れた16歳の頃の私は毎日毎日小学生時代の写真やビデオを見ていた。怖w有り得ん)

よく記憶力がいいと言われるけど全く逆で、詳細に記録したものを見返して記憶を呼び覚ましていただけなのだ。

なので記録しない、ということはイコール、あとから読み返して思い出す事が出来ない…というわけで私は人生の楽しみを奪われた!とすら思って確定ではない友人達へものすごく負の感情を抱くようになっていた。
(もちろん私の被害妄想説は大きいし、被害妄想じゃない場合でも仲の良かった友人にそれを言わせてしまった時点で私に非があるのかもしれないが)
(相手に見えてるのがわかる所で愚痴るような人間性だから誘われないんじゃないの?とか酷く冷たく思うようにもなった)


なので、友人に見張られてる怖い!という気持ちと記録に残したい!という両方の気持ちがないまぜになって、「日にちをずらす」「誰と行ったかを書かない」「絵文字だけツイートで詳細をボカす」「一緒に出かけた友人に共通のフォロワーにバレるから私の名前を出さないでくれと頼む」とかを頻繁にやるようになった。
しかし結局空リプのようなことはあったし、私は詳細な記録は出来ないしでストレスは溜まる一方だった。


嗚呼!私が、私がSNSをやりたいという欲求さえなければ…!
家で紙の日記とかやるか?
もしくば誰も読めない鍵付きのブログとか?
でも承認欲求…というか誰かに見てもらいたいという気持ちもいきなりゼロには出来ない!つらい!こんな気持ちにさせた友人がきらい!私が見ている場所で私に対して愚痴った人とはもう会いたくない…!!!!!!自分の交流範囲の少なさを棚に上げて私に依存しないで!!!!!!


と、SNSとの向き合い方に頭がおかしくなりそうだったタイミングで、

コロナ禍になった。


友人とはおろか、人と会わない時代になった。
当時コロナ禍になった(語弊を恐れずに言うならば)恩恵を私は確実に受けたのである。
(もちろん亡くなった人がいる中でこの言葉選びがよくないと自分でも思う。病気自体に対する恩恵ではなく、あくまで生活スタイルの変化のみに対して…と記しておきたい)

本当にちょうどその当時この問題でひどく疲れていたので、全ての予定が消え、SNSもびくびく使わなくてよくなったので私は憑き物が落ちたようにえらく元気になった。
人に会わなくていい!もう誰との予定も入れたくなかった!自由だ!
くらいの気持ちにほんとになっていた(スケジュール詰め込み過ぎともいう)

おかげでのびのびとしたスケジュールを取り戻し、この問題は一度私の中でなかった事になった。
日々を書く気持ちもだいぶ戻ってきて、ブログもまた書けるようになった。


が、それはそう長くは続かなくなった。
ステイホームからウィズコロナっちゅーわけで、嬉しく悲しくももまた人流が動き出した。
私はまた人に誘われ、お出かけするようになった。(この問題で病んでいたのでこの数年自分から誰かを誘った事がほぼほぼなかった)
しかしコロナ禍であるから会いたい人とだけ会うことができた。


しかしまだ警戒していたのでSNSにことこまかに載せたわけじゃないのだが、またしても空リプ的なことをされてしまった(何度も言うが私の被害妄想かもしれない)
もういやだ、SNSだいすきだけど何も発信出来ない……


そんな気持ちが消えなくなった頃。
私はスマホデビューした。
それがこの話になんの関係が?と思うが、大アリである。
スマホという文明のおかげで私は「手軽に大量に写真という記録を手元に残せる」ようになったのだ。
日記に書きたい!ツイッターに呟きたい!でも誰と遊んだとか書いてまた空リプされたら怖い!という時に「ただ自分のメディア欄を眺めればちゃんと記録になってる」というのは私にとってかなりの文明開化であった。

しかも私はその写真をマメにフォトアルバムにするから、何回も好きな時に思い出を振り返れたのである。


さらに、
「せっかく出かけた写真を他人に見てもらいたい」という名状しがたかった欲求+「それが友人のせい(八つ当たり)で出来なくなった」ストレスも、
「おさまってきたとはいえコロナ禍で外出ちょっと…という価値観の人もいるし、不特定多数に見てもらわなくてもいいか!」
に変化したのである。




そんな気持ちの変化が続いていく中、さらに私の中で大きなビッグバンが発生する。
それは最近「思い出に縋らなくてもいいか」という気持ちが生まれ始めたこと。
いっぱい記録して、いっぱい読み返して、何度でも幸せだったあの頃に帰りたい………昔から私はそういう思考回路の持ち主だった。

でも最近は過去を過去として受け止めはじめたのだ。
歳のせいだろうか。はたまた愛してるジャンルが興盛を失い過去ジャンルのようになっていくのをみつめて捨てられなかったグッズを捨てられるようになったからだろうか。
もしくは諦観かもしれない。




かくしてこの2022年。
中学生のようなSNSの悩みから解放されつつある。
私はツイッターやブログに出かけた話をほとんどしなくなった。
(まあ今年以前のコロナ禍はほんとに出かけてなかったからだけど)

もちろんすごく楽しかったり、珍しい体験をした時だったり、イベントごとだったりは呟いたりしたけど、以前ほど詳細には書かなくなった気がする。
(それでも今年も空リプされてついには共通のフォロワーに心配されたりもしたが)


更にこの数年は車が家に実装され、犬とのお出かけが圧倒的に増え、家族のことだしプライベートすぎるから…と犬とのお出かけはほとんどツイートしなかったのも大きかった。


そんなわけで私は、SNSに記録をしないことがストレスじゃない人間になった(たぶん)
ツイッターやブログの浮上率はガクッと落ちたが、楽しかった気持ちの上から泥を塗られることがないというのはとても爽快で嬉しいことだった。



ところで先日私に空リプ愚痴(推定、気のせい?)をした事のある友人の一人から遊びに誘われた。
その際、「これこれこういう事情でSNSにも浮上しなくなって、人と遊ぶのも嫌になっちゃったんだよねー」と断ってみたら「私それやってたよねごめんね」と言われた。
自覚あったんかーーーい…
胸のつかえは取れたか?
否。
断れてよかった〜と思っただけである。

許しそうになるたびに楽しい思い出に泥を塗られたスクショフォルダを見返す。(精神的によくないから早よ消せよ)
被害妄想かもしれない、これを言わせた時点で私も悪いのかもしれない、
だがやはり、私はこれをされたのが本っっっっっっっっっ当に嫌だったのだ。許せないほど無理だった。いまでも無理だ。
改めてそれに気づいた。
相手側にも言い分はあるだろう、嫌いじゃないからフォローを切れない私にも問題はあるのだろう、今回は断ったがこれから先この件の友人達と遊ぶことはあるだろう。
だけど思う。
遊んだとしても100%遊べてよかったにはならない。長年病んだのでトラウマになってしまったのだ。50%義務だ。私はもうこの友人達と50%義務の気持ちでしか遊べないのだ。(そして私はそれが悲しい)


たぶんだが、思い出にすがらずにちゃんと人生を楽しめてる人なら、なんて事なかったんだろう。
SNSに書かなきゃいいだけなんだから。
私の周りでSNSやらずに人生エンジョイしてる知り合いちらほらいるし。
もしくはうまく使い分けできる人でも困らなかったんだろう。
空リプ愚痴友人をフォローしないアカウントを作ればいいだけだし、なんなら苦手な友人をフォローしてるアカウントを消せばいいだけだ。
私にはそれらが出来なかった。
ブログもツイッターも過去の大事な思い出だから手放せなかったのだ。
もはや狂気じみた執着心。
全てのバックアップを取るか、ブログも印刷したいとまで思っていたのだ。
だからこそ、友人達の発言が大きなストレスになってしまったのだ。



でも今年その執着心が薄まった。
それはきっといいことな気がする。
人目を気にしなくなったというか、どうでもよくなってきたのかなぁ。(ほんとにいいことか!?)




そんなわけでSNSとの付き合い方に大きな革命が起きた2022年。
さみしい気もするけど、気楽にもなった。



だが、もちろんブログに詳細を書き綴りたい欲は全然消えてはいない。
ただ執着心が薄まっただけで、書かないことによるストレスが減ったという話であるから、書きたい欲はそのままにあるのだ。

ツイッターに横浜お出かけの話とか載せてハマ好きフォロワーさんと共有したかったが、友人の目が怖くて載せられないこともままあった。
が、それが→「まあいっか」に変化したのだ。

なんなら書こうが書かまいが私の自由だし、いい歳なんだから友人関係で悩むほど幼稚じゃないし「なんでもいいや!」の域になったのだ。


今年は絶対に書き残したいことがいっぱいあったがあまり書けなかった。
(犬連れ初お泊まりとか、初サークル参加とか)
強迫観念もあったが、単純に書く時間がなかったのである。

ブログ、また色々書ければいいなぁと思っている。


さて、そんなこんなで自分のSNS価値観がちょこっと変わった今年。
来年はどんなふうにSNSと付き合っていくんだろうかね。




(長文な上に読みにくさMAX文体だけど、私が頭の中で思考を整理するときの口調でブログリハビリでもありました)



………………………………………………
↑までが、去年の年末に書いた記事。

さすがに万が一この記事を当該友人達が読んだら傷つくかもしれないと思ってすぐに消した。

が、
今年に入って私の我慢の限界(家のストレス下の中、どうにか遊びに行けた幸せな日のツイートに全く同じ行為をされ堪忍袋の緒が切れてしまった。大人気なかった)がきて本人にキレry…その気持ちを伝え、話し合いのもと解決したので再投稿の気持ちになったのである。
被害妄想だと思い込もうとしてたけど被害妄想じゃなかったし。

この件の影響でツイッターもだいぶ見る専になってるし(かなりの頻度で見てはいる)、あまり詳細なツイートはしなくなってしまった。
SNS楽しくなくなっちゃったのかなぁ。わからん。
いや見るのは楽しいな、やっぱ。


そんなわけでブログの更新頻度が減ってしまった。
でも長年愛着を持ったこのブログの最後の記事がこんな記事なのは本当に嫌である(笑)
だから私はまた書く日があると思う。
というか、わざわざ再投稿しようと思い立ったんだから私の中にブログに対する熱が依然としてあるのだろう。


なので、またひょっこり来ます。よしなに。
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