2016-9-15 04:27
ちょっと暗い話。(※私の精神は元気ですのでご心配なく!)
誰にも言ってなかった話(出欠の関係上、俳句の先生と編集長にだけは話してた)
学院祭レポを探してきてくれた方すみません、まだ8月のブログが続きます。
それと最近、私が全くメールを返せなかったり9月以降のガッツリした用事(すでにチケットを申込んでしまったり約束しているもの以外)を断っているのも記事タイトルの件で家を離れづらいというのもあります。
身内だと正直に話せるからいいんだけど、他の人だと断りづらかったりして。
身内には甘えさせてください。ごはんと横浜にはすぐに行きます。
以下、暗い話。
パソコンやスマホからだと記事リンクたためていない事に最近気が付きました。すみません。
本当にただの自分の気持ちまとめなのでリターン推奨です。
これを読んでくれる人に人間性を疑われても今の本心を書きたい。
8月上旬、祖母が倒れて病院に運ばれたと、姉からメールが入りました。
ちょうど遊びに行っていたのでその連絡に気付いたのは帰りの電車。
水を差したくないから連絡しなかったと私の帰り間際に送ってくれたそうで。
翌日も遊びの用事があり、私は断るつもりでいたんですが、私が家に居た所で何も変わらない、と母と姉に送り出され、私は結局遊びに出かけました。
この頃は特に平日は仕事詰めで、土日に入れておいたずいぶん前から約束を楽しみにしていたのを姉はおそらく知っていたのかもしれません。
結局土日遊びに出かけ、平日にもう一本〆切を抱えていたので、私が祖母の見舞いに行けたのは祖母が倒れて一週間後の14日でした。
その間、母と姉は車がないのに叔父に車出してもらったりタクシーだったりで少し遠い病院(救急車で運ばれた場所)に毎日通っていました。
初めて行った時の姉は、泣き腫らした目で帰ってきてショックでかずっと黙っていました。
母と姉は毎日行ってるのに遊びに行って、仕事を理由にして(でも本当に仕事は修羅場だった)一度も行かなかった私を、何故か母も姉も責めず。
私はというと、行きたくないという気持ちと、母と姉への罪悪感だけを持っていました。正直に言ってしまえば、私はその時祖母への心配は微塵も感じていなかったのかもしれません。
もっとぶっちゃけてしまえば、祖母がいなくなった事で平和な家での生活を手に入れた事に安堵すら覚えていた気がします。
14日。
叔父が車を出してくれるというので姉が慌ただしく準備をしてました。
私はいよをひとりぼっちにしたくない(母はもう病院行ってた)のを理由に行くのをこの日もやめようかと思ってたんですが、やっぱり行くことに。
頭をよぎったのは、見舞いに行って帰ってきた時の姉の泣き顔でした。
私は一週間も、祖母に何が起きているのか把握すらしていなかったのです。
お見舞いに行って、ベッドの上で見たのはいっぱいチューブを繋がれて意識を失い、暴れてチューブを取らないように手にカバーをつけている祖母の姿でした。
病名は脳梗塞、救急車で運ばれて以来、たまに目を開けて口を開くものの喋ったり意志疎通はもはや難しいものになっていました。
この時、叔父や母や姉が必死に呼び掛けているのを見た時、私はサアッと自分の頭が冷えるのを感じました。
私は日頃死んでくれたらどんなにいいか、本人にも頼むから死んでくれと言ったこともあったけど、それが本心であったのだと、気付いてしまったんです。
そんな自分にかなりのショックを受けました。
心のどこかにはちゃんと祖母を好きな気持ちがあるはずなのに、もう寿命いっぱい生きてるじゃないかって気持ちが本心だったのだと。
私が喋って歩く祖母を最後に見たのは6日の朝四時頃。
遊びに出かける予定のため台所で仕事をしていた私にいつものように認知症の症状で大声で色々わめいてきました。
その頃毎日そんな感じで私は祖母が起きたら仕事中でもPCの電気と部屋の電気を消してまた静かに寝てくれるのをじっと息を殺して過ごしていました。
でもこの日に限って電気を消したのに台所に私がいることがバレ、わけのわからないことを言われ、私はへとへとになっていました。
〆切が近いのに毎日いちいち仕事を中断しないといけないこと、徹夜で仕事をしさらに数時間後には出かけるからもう仮眠を取りたかったこと。
そしてなにより引き戸で大きな音を立て、大声で叫ぶのでいよまるが起きてしまい、いよまるの寝不足がこの時、深刻な悩みだったこと…でイライラが募り無理矢理台所から追い出しました。
その日、犬のために祖母に危害!孫娘の凶行…という新聞の見出しが頭に浮かびそんな事にはならないように我慢しなくちゃ、と思った事をよく覚えています。
それが最後でした。
泣く母達を見ながらどこか冷静でいたのは、本当に祖母からようやく解放された安心感の方が強かったからなのだと思う。
人非人だと思うけど、日々私は本当に限界を超えていたのかもしれない。
祖父母の世話が一番大変だった大学院時代はうっかり授業中に泣いて先生に暴露させられたりもあって余計落ち込んだし。
祖父母自身だけでなく、介護に疲れた母のストレスをぶつけられることが、なによりも嫌だったし。
いつのまにか祖父が老人ホームに入り、少しだけ、でも確実に負担が軽くなったと感じた私は、母に祖母もホームにいれようと言った事がありました。
私がまだギリギリ祖母を人間だと思えるうちに、家族の愛情があるうちに入れてくれと懇願したけど、私には到底理解出来ないとてもふざけた理由で母はそれを拒否。
ならば私はもう祖母を人間としてはみない、極力関わらない事で平静を保つ…そういう風に過ごしていました。
だから、本当に泣いている皆の方が不思議でした。
悲しさより、もうじゅうぶん生きたし大往生だよ、その年で今まで病気しなかった方がおかしかったんだし、昔の優しい思い出もあるし、もうじゅうぶん。
本当にそんな気持ちでいたら、姉から私も声をかけるように言われました。
抵抗があったけど、私は大きな声で呼びかけてみました。
するとずっと眠っていた祖母がうっすら目を開けてニッコリ笑ったのです。
母は喜んで私だとわかったんだね、っていうから私はその時初めて涙がでました。
抑えようとしても泣けて、あれ、自分はまだ祖母が好きなのかなって不思議に思ったり。
それから今日にいたるまで。
祖母は9/3に97歳になって。
私は毎年恒例のケーキを銀座まで引き取りに行き、従兄弟一家と大所帯でお見舞いに行きました。
誕生日までもってほしい、誕生日までもったなら敬老の日まで、敬老の日までもったなら年明けまでもてば4番目の孫の成人式。
一年もったならあと三年もてば100歳になる……
ふ、とそんなことも考えます。
私といえば変わらず平日はかかわってるプロジェクトの仕事に追われ、土日は遊びに出かけていました。
結局今日にいたるまで4回位しかお見舞いに行っていないんじゃないか。
もちろん毎日お見舞いに行く母と姉のかわりに、いよまるの面倒&家を無人にするわけにはいかないから留守番担当という大義名分(建前)もあるんですが。
実は私は全通しましたが姉はお見舞いに行ってからきたので星見もじれっ隊も遅刻してきた位。
何も言わないけどおそらく母も姉も、そんな私を軽蔑してるんじゃないかとさえ思う。
そして私はそんな自分を自分でも不思議に思っていたりします。
最近は目を開けることも少なくなり、意志疎通は本当に出来なくなりました。あの時、私の声に目を開き、私を見て笑ったのはなんだったんだろう。
私はもはや寿命を静かに全うさせればいいのにって思うけど、母も姉も叔父も倒れた時は話せたのに病院の処置のせいでどんどん意識が弱くなっている!と必死に色々手を尽くしている。
母は祖父母の面倒(+それに疲れて家を省みなくなった姉妹)で一切外食すら出来ず遠出することも出来なくなって。
毎日大量に出る祖母の洗濯物にガミガミどなって、
いつか、「だって両親ともこんなに長生きするとは思わなかったんだもの…」とまで言ったのに。
姉だって私と同じで毎日朝方大声で起こされる事にも、それで睡眠時間が壊れた事にも、勝手に大事なものがなくなることにも疲れていたはずなのに。
姉なんかあんな病院早く出させて家で看病したいとまで言ってる。そしたら今まで以上に私達は家から出られなくなるのに。
姉は祖母が倒れなければ今頃応募作品を描いている予定だったのに。
私はむしろ不思議なのは二人の方だと思ってしまう。
それでも私の方がおかしいんだろうか。
私だってこうとなっては祖母が憎いわけじゃないし、あとは苦しまずにいてほしいと思うのに。
毎日病院に行く母は、毎日行く事に最近では疲れているようにも思う。
(面会時間いっぱいマッサージをしたり話し掛けたり音楽をきかせてる。)
むしろ私は母の方が心配。
母と姉が病院に行ってる間、いよと二人で家にいて、あれ、この家ってこんなに広かったっけって久々に思ったりもしました。
仕事をしながら洗濯物取り込んでご飯作る、二人が帰ってきたらいよの散歩……そんなわけで決まっているイベント以外なかなか家から出られず。
私の気持ちを見透かしている姉は、私が友達とご飯行きたいっていうとお前がいても変わらないし行けばいいじゃんって言うし(そして気が滅入らないよう言葉に甘えたフリして出かけてしまう人非人な私)
以上が最近メールをすぐ返せない気持ちの問題だったり、急変もあるかもだし中々先の予定がたてられない理由だったりします。
これが私の正直な気持ち。
祖母がいなくなって安眠出来るし、怒鳴り声がなくなった安堵感。
もうゆっくり休んでほしい、でも少しでも長くという家族としての気持ち。
これ以上、家で介護なんて冗談じゃないという気持ち。
年が年なのに手を尽くそうとする親族を冷めた目で見てしまう気持ち。
どれも全部私の気持ち。
そんなわけで私は元気なんですが、家は少しバタバタしています。
果たして私の方がおかしいのか、本当にいつのまにこんなに冷たくなってしまったんだろう。悲しさより解放感の方が勝っている自分が一番悲しいのかもしれない。
水夏、葛藤してるね。
あたしも3年前に、母方の祖母が
そんな感じになって大変だった。
祖父が運転出来ないからと、
あたしが運転して行くことも
あって、お見舞いに疲れたことも
あったよ。
水夏の考え方や感じ方は
当時のあたしに似てる。
無理して感じ方や考え方は
変えなくていいと思うし、
こんなこと家族には言えないかも
しれないけどそのままでも
あたしはいいのかなって思うよ。
1人くらい冷静な人がいたって
いいと思う。
あたしは当時、イベント行ってない
時期だったから逆に心疲れてたけど
イベントに行ったり、友達と会ったり
して心の軽減をした方が少しは楽
だと思うな〜!
水夏に会いたいな〜(><)
さくや〜〜!
コメントありがとう(´;ω;`)
今も毎日家族が変わりばんけで見舞いに行って、その分仕事や家事の時間がズレるから大変で……
どうしてもそうまで色々なものを犠牲にしなきゃいけないのか…って思っちゃう。
ありがとう、中々人に相談出来る話でもないから、さくやの言葉に救われたよ…。
かなり冷たい考えなんだけど、それでもいいって言ってもらえるって本当にありがたい。
このままどうなるかわからない状況が続いてるけど、話きいてもらえてよかった(;_;)
私もさくやに会いたいよ!!!!
来年は山形にも行きたいな〜