スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

中学生(後編)


中学3年。

自傷癖は治まらず
この頃から夜眠れなくなり、毎日寝不足で頭痛に悩まされてた。

相変わらず、両親の喧嘩は日に日に酷くなっていった。

家中に響き渡る罵声に、食器の割れる音。
父が仕事に行っている時間だけが、唯一、家に居て静かな時間。

母は、気晴らしに行くかのように毎日、深夜まで帰って来ない。

寝ないで仕事に行った父が、帰って来てから晩御飯を作ってくれた。

どんなに疲れていても、父は子供には優しい人だった。会話がなくても、のんたろは父の近くに居るだけで何か安心した。

中学生になっても、父の事が大好きだった。

それと並行して、反抗期の矛先は母へ向かった。


全てが煩わしくなった


母は私と真逆のタイプの人で、典型的なB型人間。自分の意見は絶対に曲げない人。

のんたろは、頑固だけど、どちらかと言えば流される事の方が多い。八方美人タイプ。



母が言うこと全てが
押し付けがましい、そんな風にしか思えなかった。

そんな状態が続き
家に居ても部屋に篭るようになっていった。


3年に上がった頃、担任に呼び出されて、どうせ校則違反の事だろうと思っていたら、自傷癖がバレていた。


自傷を始めてから、肌身離さずリストバンドをしていたからだと思う。

冷静さを保つのに、バレないよう太ももに爪を食い込ませてた。
緊張で痛みは感じてなかった。
※今でも、両太ももに爪痕が残っています( ・_・)


担任には色々聞かれたけど何も言わなかった。
死にたい訳じゃない。ただの気晴らしだったから。

親にだけは言わないで欲しい…。そう言ったのに、その日帰宅したら母に問い詰められ、担任が家に来た、何やってるの?と怒鳴られた。


大人なんて皆ゴミだ。

そう思った。




面倒くさくなり自傷は止めた。




高校受験も近くなり、知能検査をやった。
また担任から呼び出し。


自傷の件から、ほとんど交流は無い。校則違反も黙視されている状態。

今さら何?

そう思いながら相談室へ放課後に行った。


内容は知能検査の結果について。
本来は学校関係者以外、見せてはいけないらしい。


のんたろの知能指数がズバ抜けて高い。
そう言われた。

勉強もしない、授業もまともに聞いていない、素行も悪い、成績も良いほうじゃない。

そんな、のんたろが検査の結果、学校でズバ抜けて頭が良い生徒よりも知能指数が高い。担任もそれにビックリしたのだろう。

やる気さえあれば、東大レベルも入れる。と言われた。

のんたろ本人が一番驚いたんですが(笑)
高校はどこでも良かったし、入れれば良いや、ぐらいにしか考えてなかったので道立の制服の可愛いところで選びました。滑り止めも受けてませーん。ゆとりですね。←

ランク的には中の下。笑

それで担任は、勿体ないからと湖陵高校受験を薦めてきたみたいです。

『嫌です。』

そう言って帰宅しました。



興味の無い事にはとことん興味が無い。
好きな事は、気の済むまで探究しますが、調べ尽くすと冷めてしまう。

テストが近くなれば皆が、塾や家庭教師、寝る間も惜しんで勉強する中、のんたろは寝る間も惜しんで映画を観たり読書をしていたい。

勉強なんて、テストの10分前に教科書や執ったノートを見れば、それなりの点数は取れたし。

(担任曰く、それは知能が高いから出来る事で、普通は難しいものだ、と言われましたが。)


どうでも良かった。
いくら勉強が出来ても、人として豊かじゃなきゃ意味無いでしょ。

のんたろはガリ勉タイプにはなれない。面白可笑しく、馬鹿やって、自分の世界半径1mだけでも良いから、みんなが笑っていればいい。


そんなこんなで、入試の勉強も結局せずに、ぶっつけで試験を受けました。


結果は、志望校合格。
可愛い制服着れるラッキー♪としか思いませんでした。


友達と離れるのは寂しかったけど、新しい自分に生まれ変われる機会だ。
そう思いながら卒業を迎えました。

中学生(後編)



虚無感は強くなり、それを隠すように、馬鹿みたいに明るく振る舞い続けた。

家庭内でも、母と父の顔色を伺っては“また喧嘩になるんじゃないか”“笑わせなきゃ”“気を引かなきゃ”など、わざと大きな声で笑ったり、嘘をついてまで話を作っては気をひいた。


学校では、本性とは反対に茶髪にした。制服も真面目に着なかった。化粧もした。ピアスも開けた。

見た目だけでも、派手に見せたかった。暗い人にはなりたくなかった。




そんな状態が続き
自分を保てなくなった。





『もう、疲れた』



それだけが心を支配した。


中学二年生。リストカット。


生きてる証とか気持ち良いとか、のんたろには無かった。



ただの、憂さ晴らし。

当たる場所が無いから。



明るくて、元気な、派手な子。
いつもニコニコ笑ってる子。

自分で造り上げたくせに、今さら退けない。壊せない。
自分が笑ってなきゃ、家が暗くなる。
我慢すればいい。

人に当たるぐらいなら、自分に当てよう。

思えば思うほど、自傷行為はエスカレートした。

引っ掻き傷程度が、段々深くなり、回数も、切る数も、場所も、どんどん酷くなっていった。


そのうち、左手にリストバンドをして登校するように。

毎日、見つからないように手を洗うのすら苦労してました(笑)暑くても袖なんて捲れないしね( ・_・)


家では、日に焼けたくないからと長袖着用。風呂は鍵閉めながら。リストバンドは好きな先輩から貰った。って誤魔化した。


相変わらずヘッドフォンをしないと眠れず、眠気が来るまで読書をして過ごす日々。

辛くなったら自傷して、壁に頭を打ち付けたりもしてたかな…。

日記を書き出したのは、この頃。

中学生(前編)


右を見ても山
左を見ても山
グラウンドには鹿
隣のクラスは上級生

一学年20人構成の
全校生徒は60人未満。

全てが変わりました。

マンモス学校卒業の、のんたろには、とてもじゃないですが差が有りすぎて入学式早々、気が重い。

クラスメイトはみんな保育園や幼稚園からの幼なじみだと言う。

転入生、ましてや奇抜なのんたろが馴染めるわけが有りません。

クラスで孤立化。

上級生からはターゲットにされ「デカイ学校から来たからって調子にノってんじゃねぇ」と擦れ違い様に罵倒。



そんな暗黒の中学生時代に光が射したのは、意外と早かった(笑)

Rコ。可愛くて、成績優秀、スポーツ万能。
何で、のんたろみたいな、素行不良児(茶髪、制服改造、成績悪い)と仲良くしてくれたのか。

何気ない事で話し掛けてくれ、急速に仲良くなりました。

Rコの人脈で、スクールバス(のんたろ家は学区内でも遠方)で一緒だったYコとも友達に。

Yコは独特な雰囲気を持ってて、一緒に居ると、とにかく楽しかった。

仲良しな友達が出来、いつの間にかクラスにも馴染めるようになりました。


そして、初めての彼氏T。

Tは、いわゆるイケメンってやつで、中学生にしては大人っぽい、田舎の中学にこんな人いるんだ〜と思うような人。
他中学の女子にも人気があるようでした。


のんたろは、とにかく馴染まなきゃ!友達つくらなきゃ!と必死だったので、男子には一切興味無し。

話すらまともにした事が有りません。

…と言うのも、のんたろ。
ドが付くほどの奥手。
異性を前にすると言葉が上手く出て来ないのです。

のんたろの恋愛年齢は小学生で止まったまま。
『男』として好き。なんて無い。『面白くて良いヤツ』が好き。

兄も同じ中学で上級生に居ます。
ある日、家で言われました。

『T、お前の事好きらしいよ。』

接点ないのに何故?
てゆーか恥ずかしくて無理!意識したら余計、近寄りたくない!無理無理無理!

のんたろの恥ずかしがり屋に拍車をかけただけです。

が。

Tから、ある日、突然の電話。

手汗をかき、心臓が口から出るんじゃないか?と言うほど緊張しながら電話を持ってたのを覚えてます(笑)

話してみると、気さくな良いヤツで見た目とはギャップが有りすぎるぐらい無邪気なヤツ…。

毎日、飽きもせずに電話をくれて、のんたろが気を許した頃に告白され付き合う事に。

しかし。

ドが付くほどの奥手のんたろ。
付き合うって何?
どうすれば良いの?
てゆーか恥ずかしい!
顔見れない!喋れない!
どう接して良いか分からない!

と1人でパニックになってしまい、最終的にはTに愛想を尽かされ終了。

その後、Tとは気まずくなり、言葉すら交わさなくなりました。

憧れの先輩に恋をしたりもしましたが、また繰り返し…。


青春の1ページ。
そう、思う事が出来れば良かった。


それ以来、だんだん引っ込み思案になってしまい、人と距離を置くように。

緊張してしまう自分が嫌
素直になれない自分が嫌
赤面するのが嫌、太っているのが嫌、ブスな自分が嫌、嫌嫌嫌嫌嫌、とにかく自分が大嫌いになりました。

思春期特有ですね。

コンプレックスが強くなるにつれ、人の目を見て話す事が出来なくなり、顔を隠すように。

そうすると今度は、学校へ行くのが嫌になる。人前に出たくない…。仮病を使っては頻繁に学校を休むようになりました。

部屋にこもって、読書をする。それが、コンプレックスだらけだった自分を小説の中に綴じ込めて、没頭できる唯一の逃げ道でした。

この頃、父母が不仲になり、毎日怒鳴り声と罵声が飛び交う状態になっていました。
酷いときは一晩中。
煩くて眠れないまま学校に行くことも日常茶飯事。

両親の声が聞こえないようにヘッドフォンで爆音の音楽を聴きながら眠りにつくようになりました。

登校してもクラスのみんなが羨ましく思えた。それと同時に自分が虚しく思えた。


小学生時代


マイホームを建設し
学区域から離れてしまい、中学からは転入する事に。

親友や級友達と離れるのが嫌で、さらに転入する中学はドが付くほどの田舎。

全てが憂鬱でした。

のんたろが通っていた小学校は、地元では割りと大きな学校(生徒数800人以上)だったのですが、転入先の中学校は全生徒数60人未満…。

一学年で20人も居ない…。


当時“コギャル“なんて言うのが流行り、のんたろも安室ちゃんが大好き!って感じの子供だったので、この転機は、苦痛…よりも拷問。的な事件でした。

“コギャル”“安室”“モーニング娘。” など好きなだけあって、のんたろの小学生時代は、活発で明るく、友達と喧嘩をしては学級会を開かせてしまうほど…派手な子供でした。

昔で言うならキッズ・ギャングですかね(笑)

ただ人一倍、あがり症。

見た目も中身も明るいくせに、人前に出ると緊張で、腹痛、赤面、多汗、動悸、酷くなると身体中に湿疹が出たり、鼻血まで出る始末(笑)

毎回、発表などの行事がある月は、カレンダーを見るたびに緊張で、お腹が痛くなってました。

家族。


のんたろの家は
まぁ今ではわりと普通ですが、両親が離婚して再婚(父も母も実両親)なーんて言う、空白期間があるだけの両親です。笑

小学生の頃に、父母が復縁し、なんだかその勢いでマイホームを建築。

復縁する前は母子家庭ながらも、母は飲食店を経営していたので生活は裕福なほうでした。

父母が復縁し、のんたろが嬉しかったのは一人部屋になった事とペットが飼える!って事ぐらい。嫌な子供です(笑)

1歳上に兄が居ます。
昔から仲が良く、身内からも驚かれるぐらい兄妹の絆(?)みたいなものは強いです。

母子家庭の期間、母は仕事上ほとんど家に居る事がなく、夜は兄と二人で過ごしました。

父方の祖母とは、母が合わず疎遠になり、母方の祖父母とは、のんたろが苦手だったので兄と家で留守番をしている方が楽しかったんですよね。

父は無口な人で、いつも新聞かテレビを見ているような人でした。晩酌をしている内にソファーで寝てしまい、空白期間が有るせいか、のんたろも気恥ずかしく、ほとんど交流もしない状態。

かと言って、話し出せば面白く物知りな父なので、幼いながら普段笑わない父が、たまに見せる笑顔は大好きでした。


前の記事へ 次の記事へ