変わらない想いを覚えていて(※百合物語注意)




「ぅ....ぉおおお、き、きた....うみだー....!」

「おーおー、やっぱりいつ見ても広いなぁ」

「はぁー....あんたの自慢話で散々聞いてたけど....」

「んっふっふ、実際に見てどうよ?」

「....何も言えねぇ....!」

「....そのネタまだ覚えてる人いんのかなぁ?」


彼女はどこか惚けたように海を眺めながら、白く眩しい砂浜にすとんと腰を降ろした。

その隣に、同じように座る。


「....とうとう、ここまで来ちゃったねぇ....」

「そうだねぇ」


いつか私の故郷の海を、あんたと一緒に見たいんだ。

ことあるごとに、そう彼女に話してきた。


「あんたが生まれた場所....ここで、この海に見守られながら、育ったんだね」

「そう、これを、君に見せたかった」


私がこよなく愛する、この碧の世界。

私がこよなく愛する、大切な彼女。


まるで親と恋人を引き合わせるように、どうしても彼女に見て欲しかった。


初めて友達と喧嘩して落ち込んでいた時も。

自分の恋愛観が周りからすると一般的ではないのだと知って、孤独と不安で一人泣いていた時も。


いつだって、幼子を子守唄であやすように、ただ静かに波の音で私を包み込んでくれた。


この海は、私の母親でもあるのだ。


「私都会っ子だからさ、海なんてきったないのを数える程しか見たことなかった」

「ははは、都会の奴なんかと比べちゃいかんよ」

「あんたが故郷の海の話してくれるたんびに、どれだけキラキラ輝いてるのかなって。
きっとTVでの映像なんかより、ずっとずっと綺麗なんだろうな、って」

「生まれた時からの自慢の場所だからね」

「ずっと、来たかった。ずっと」

「うん、うん」

「....あんたと、来たかった、なぁ....」

「....うん」


それは、本当に突然だった。

毎日のようにニュースで流れる、別に珍しくもないただの交通事故。


世の中の人間の多くは、それを眺めても「怖いねー」「気を付けなきゃね」なんて感想を吐き出すくらいなもので。

まさか自分が放送される側になるだなんて、当事者にならない限りはきっとそうは考えないだろう。


....笑えない話だ。文字通り、身を以て知ることになるだなんて。


「バイクごと滑って転倒だもんなぁ」

「いやー、やっぱり雨の日は危ないよね」

「あんなに注意したのにヘルメット着けないんだもん」

「この時季は蒸れるからしんどくて」

「ほんと、本当にもう....馬鹿なんだから」

「....あはは」


生きていた頃はムキになって否定したものだが、流石にこんな様の私がそれをする資格は無い。


「私さ、あんたがいなくなって、どうしたらいいのか分かんなくなったよ」

「うん」

「そりゃあ勿論あんたのこと好きだったけど、何ていうか....」

「うん」

「....失ってから気付くなんてさ。あんたのこと、なんか思ってたよりめちゃくちゃ好きだったみたいでさ」

「うん」

「....なんで、置いてったんだよ....こ、の、大馬鹿野郎....」

「....ごめん、ね」

「わ....わた、し、わたし、これからど、どう、したらいいのよぉ....」

「....」

「わ、わたし、あんた、と、一緒に、ここにいたかった....!」


私も。


「もっ、と、もっと一緒に!綺麗なもの、沢山見たかった....!」


私もだよ。


「お、いて....、置いて、いくなぁ....っ!
わたしを....っ、ひ、ひと、りぼっちにしないでよぉ....」


ごめん。

ごめん、ごめん。


「っ....ぅっ、ひっ....ぐ....っ....」

「....あのね、私死んでから神様に会ったんだ。凄いよね、本当にいるのかってびっくりしたよ」


もう、私は、貴女と言葉を交わせはしないけど。


「そんで神様なら、守護霊みたいな?そういうので何とか君の傍に居させてくれないか、って頼み込んだんだけど。
....なんか向こうには向こうの事情があるらしくて」


貴女の瞳に映ることも、頬に手を触れることも出来ないけど。


「でもそのまま来世に転生とかも嫌だし、何か良い方法無いなら成仏せずに悪霊になります!って脅しちゃった。相手神様なのに罰当たりだよね」


どうか、愛しい貴女が前を向けますように。


「そしたらさ、お前の大切な人間の隣ではないけど、お前の大切な場所の守護霊にならなれる、って」


叶わなくなった私との未来は忘れていい。

きっとこれから、他の誰かが一緒に歩いてくれるから。


「私、君の傍にはもう居られないけど。
ずっと、ここに居るよ。ずっと、ずっとずっと。
ここで、この海で、君のこと死ぬまで見守ってる。ストーカーかよ!なんて嫌がってももう決めたんだからね。

....だから」


けれど、もし。

もし、それでもまだ、私を覚えていてくれたなら。

私に逢いたいと、願ってくれたなら。


「....いつでも、ここに帰っておいで」


その時は、果てしないこの大きな身体で。


貴女と、ひとつに。



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なくした記憶が心にあった(※百合物語注意)




すいません、また記憶を落としちゃったみたいあはは。


うんざりする程聞き飽きたその台詞を、これまた同じく見飽きてしまったへらへら顔を携えて彼女は訪れた。

溜め息が出る。

これで一体何度目だと叱ったが、「いやーうっかりうっかり」とまるで反省の色が見えない。実に腹立たしい。


忙しいから帰れ、と方便を使ってでも追い返したくなったが、これも仕事と自分に言い聞かせぐっと堪える。


確かに最近、何かの拍子に記憶を無くしてしまう人間は多いし、人の記憶を扱う職の者からすれば、むしろ彼女のようなお客様は有り難い存在ではある。

あるのだが、毎回労を費やして見つけ出したものをこうも頻繁に落とされると、これまでの自身の努力が不憫に思えてならない。


まあ、それはそうとして今は仕事の話だ。


「それじゃあ、落っことした記憶の前後の継ぎ目を見たいんでこれ被って下さい。あとこっち、名字だけでいいんでサインお願いします」

「はいはーい、ごめんねぇいつもいつも」

「そう思うならマジで落とさないで下さいよ。最近は本当に危ないんですから」

「あー、『他人の記憶を盗んだりそこからの個人情報流出で二次犯罪の被害が後を立たない』んだよね?
せんせーの言葉耳だこ過ぎて流石に覚えちゃいましたあっはっは」


それだけ覚えているならもう少し行動で示して欲しいものだ。

あとその笑いを引っ込めて欲しい。本気で腹立つ。


再び溜め息が零れた。
黙って彼女の記憶の継ぎ目を抽出する。


「んー…」


前後の継ぎ目を見る限り、落とした記憶の時間幅は極々短いようだ。

その時間幅の記憶がデータベースに送信されているかを確認すると、同じ時間幅と容量の物が保存されていたので問題なさそうだ。

とはいえ、良からぬ輩に悪用される前に早めに対応しなければ。


「ん、それじゃあデータベースの確認出来たんで、落としたやつの方は凍結しときます」

「おーよかったー。お願いしますー」

「はいはい。サイン書けました?
んじゃデータベースの記憶送信するんで、終わるまであんまり動かないで下さいね」


はいはーい、といつも通り気の抜ける返事をしながら、ごろんとベッドに横になった。

大事に至らなかったからとはいえ、呑気なものだ。


「ねーせんせー」


今回のように記憶幅の短いデータなら、送信が完了するまでに5、10分で事足りる。


ここに訪れる依頼主は、記憶を取り戻すまでの間、落ち着かなげにただ時間が過ぎるのを待つ人が多い。

紛失件数が増加傾向にあるとはいえ、一人の人間が記憶を落とす数自体は滅多に無いのだ。


このような施設に足を踏み入れる機会も中々無い為、個人差はあれど緊張するものらしい。


勿論、目の前の彼女は例外中の例外だ。

お願いだから黙っていて欲しい。あまりのしつこさに気が滅入る。


「んー…なんですか?業務に関係の無いことには答えませんよ」

「えぇーいきなり釘刺さないでよう。意地悪だなぁ」

「いや当然でしょう」

「なにさ、けーち、頑固、卑怯ものー」

「うるさいし意味が分からないです特に最後の」

「流」


一瞬、ちくりと何かが私の胸を刺した気がしたが、気のせいだと適当に流す。

どうせまたいつものやりとりだ。彼女も、よく飽きないものだ。


「…下の名前で呼ばないで下さい」

「流はいつになったら記憶を取り戻すの?」

「私は、貴女のように記憶を落としたことはありません」

「そりゃ私とは違うでしょ。そっちは落としたんじゃなくて“捨てた”んだもん」

「残念ですが、記憶にございません。申し訳ありません」

「…もう!ずるいよ流は!
そりゃ私が悪かったし、今でも謝り切れない。でもあたしは流に」

「やめて」

「っ…!…やだ、やめない」


溜め息の代わりに舌打ちがついて出る。

その室内に響いた音に少しだけ彼女が震えたが、それでもその眼は絶えず私を睨み続けている。


いつの間にか記憶の送信機もこちらの指示無しに外していた。危ないから止めて欲しい。


ここに来た時に貼り付けていたにやけ面は、いつの間にか形を失っていた。

あんなに腹立たしかったその表情が成りを潜めたというのに。


苛々、苛々する。

理由も分からないまま、ただ黙って苛立ちを殺す。


ああ、本当にこいつは、どうしてここまでしつこいのか。

私は“赤の他人”なのに。

彼女が私に、私が彼女に拘るような甘やかな“記憶”なんて、私は持って無いのに。

知らない、こんな女、知らない。


「─今まで何度も何度もあしらわれたけど、今日は最後までちゃんと聞いて欲しいの─」


どうして、どうしたら。


「─あたし──流───まだ──」


どうして、どうしてどうしてどうして


「────後悔───もう一度─────」


どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして


「──絶対─────好─────」


どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてやめてやめてよ誰なの何なのどうして何度追い返しても拒絶しても何度だって貴女は私の前に現れて知らない私知らないこんな女私の記憶には無い知らない知らない知らない好きじゃない好きじゃなかったそんな記憶存在しなかったし彼女も私なんて知らないだから裏切られてなんかない騙された記憶なんてない捨てられてなんかいないそんな記憶なら要らないじゃないだから捨てた捨てたんだ違う違う知らない捨ててない何も無くしてなんかない無いものを無くす訳ないそうただの先生と依頼主だよね合ってるよねあれ合ってるっけだって私彼女の名前も知らない捨てたからだから違う何も捨ててなんかいないじゃあどうしてこいつは今私の目の前にいるのどうして少しだけ泣いてるの私が泣かせたのなんでやめてよ私が悪者みたい知らないよやめてやめてよ消えてよ私の前から今すぐ


「──────流──────」


「……き……えろ……」

「……え……?」

「お、お前なんか!!消えろ!!消えろ消えろ消えろ!!」

「な、ながれ…?ちょっと落ち着い」

「なんでだよ!?なんでまた私の前に現れたんだよ!?なんで全部捨てた筈なのにまだいるんだよ!!私の中から消えないんだよ!!
苦しい、苦しいよねぇ何なのこれ?何でこんなに苦しいの?
私貴女の名前さえ捨てたのに、貴女との記憶大切だった記憶全部捨てた筈なのに。
やだよ…やだよもう……」


もう、自分でも訳が分からなかった。

何も思い出せないのに、彼女の名前すら分からないのに。涙なんて、流れる理由も無い筈なのに。


どうして、“赤の他人”を見て胸が痛むんだ。


突然意味の分からないことを喚き、泣き始めた私を前に、彼女はただおろおろと慌てるばかりだった。


「…流…」


随分と長い時間泣いていた気がするが、果たしてどうだったか。

少しずつ涙も収まり、ぐずぐずと床にしゃがみ込んだ私の鼻を啜る音だけが響いていた。


静かだった。

私の頭の中は相変わらずぐちゃぐちゃと纏まりが無かったが、彼女が私の名前を呼ぶ声は、ほんの一瞬心臓を跳ね上げた後は何故だかすとんと気持ちを落ち着かせた。


そっと、彼女が私の前にしゃがみ込む気配がした。


「あのね、流。
記憶って確かにとても大切なものだよ。
嬉しかったことも悲しかったことも、みんな記憶として積み重なっていく。生き物に無くてはならないものだよね。
今は例え記憶を無くしてもまた取り戻せるけど、昔は記憶の保存なんて出来なかった。
逆に、記憶を切り捨てることも、きっと昔じゃ考えられなかったと思う」


私は流みたいに頭良くないから、難しいことは分からないけど。

そう苦笑する彼女の笑顔は、いつものように私を苛立たせはしなかった。

ただ、不思議と懐かしさと、僅かな切なさを覚えた。


「まあ最近はなんかムズカシー技術がさくさく発達して、記憶の扱いなんて出来るのが当たり前になってるけど。

でもね、流。
その技術を以てしても、私たちが絶対、自由にどうこう出来ないものがあると思うの」

「…なに、それ」


「心」


ずきり、と心臓が軋んだ。


「どんなに記憶を捨てたとしても、段々ぼやけていっても。
心だけは、何一つ忘れないし、失くさないんだよ。
その時の感情も、痛みも、全部全部覚えてるの」

「……」

「流なら、分かるでしょ?」


ああ、そう、そうだったのか。

だから、私は、彼女がここに訪れる度に、私の名前を呼ばれる度に。

いつも、いつも。


「……ごめんなさい」


突然、謝られた。


「え、や、あの…」

「…私、流のこと沢山沢山傷付けた。
あの時は、まさか流のこと傷付けてるなんて思いもしなかった。
私が流の気持ちに気付いてたら、もっとちゃんと話し合えたのに。
流に、悲しい思い、させなくて済んだのに」

「…えーっと」


困った。

いくら心が云々とはいえ、彼女の話の中心核となる記憶を私は持っていないのだ。

薄々見当はつく気もするが、正直何が起こったのかさっぱり分からない。

…だけど。


「…私こそ、ごめんなさい」

「…え!?」

「あ、いや、流石に記憶が無いから、何があったかまでは分からないけど。
私、も、ちゃんと訊けば良かったんだよね。一人で抱えてないで、貴女に伝えてみたら良かったんだと思う。
言わなきゃ、分からないこともあるよね。

って記憶が無い私に謝られても意味無いかもしれないけど…」

「っっ…!!そんなことないよ!!」

「うお!?」


何だか気まずくてまともに顔を見られずにいた私に、突然彼女が抱き付いてきて床に押し倒されかけた。

動揺して、慌てて引き剥がそうとしたが。


「ごめん…!ごめんね…!」

「……うん、うん」


暫く、このままでいた方が良いような気が、した。



「「………」」


気まずい。

私に抱き付いたまま泣きじゃくっていた彼女も、ようやく落ち着いてきた。

のは良いが、なんというか、無性に気まずい。まだ抱き付かれたままだし。

気まずい、というより、こう何かがむずむずするような。

よく分からない。


「…ねぇ」

「な、なんでしょう?」

「何で敬語なのよう…。
じゃなくて、流の記憶は、その…」

「……ああ」


そうだった、彼女はここへ訪れる度に私に記憶を取り戻さないのか何度も訊ねてきた。

今までは問われてもあしらっていたが、だけど。


「…もう、無いんです」

「……」

「元の記憶も、データベースに保存してたやつも、全部消しちゃったから」

「そっ、か」


答えるのは何故だか苦しかったが、これ以上あしらうつもりも隠すつもりも無かった。

何より、彼女に話さない訳にはいかなかった。


「…分かった、それじゃあ流をまたゼロから惚れさせる」

「……はい?」


気のせいだろうか。いきなり話の流れが直角に折れ曲がった気がする。


「悪いけど私流のことすっごい好きだからね?諦めも悪いからね?加えて言うなら他の男にも女にも絶対に渡さないからね?

私とのこと、流が覚えてても覚えてなくても、どんな流でも好き。
二度と私に浮気なんて疑えないくらい愛してあげるから、とりあえずもう逃げないでね!」


ぞくり、と背中に、いや本能に何かが全力で駆け抜けた。

ああ、というかやっぱりそっち系なトラブルだったのか。


「お、お手柔らかにお願いします…」

「あーまた敬語になった!
うふふふ、よーしそれじゃあまずその他人ぎょーぎな話し方から溶き解していってあげるから!」

「あー…はい、頑張って下さい」

「なんで他人事みたいな返事なの!?」


ふーんだいーもーん頑張るもーん、なんてぶつぶつ言いながらよっこいしょと彼女は立ち上がった。

子どもなんだかおっさんなんだか、と思わず苦笑する。


「ほらっ、ながれ!!」


まだ床に座り込んでいた私の方へくるりと向き直り、向日葵のような笑顔を咲かせた彼女が真っ直ぐに手を伸ばしてきた。

その笑顔に、どきりとした。


これは、案外勝負はついているのではなかろうか。


本日三度目となる溜め息と共に、その手をしっかりと掴む。

私も、単純なものだ。


「ちょっとなにその溜め息!?一体何を吐き出したのよ今!?」

「え?あー何でもないですよ、ええはい」

「また敬語だしー!!」


私の手を握り潰しそうな表情で、それでも柔らかく、けれどしっかり繋がれたまま。

隣には、どうすれば私の敬語を解除出来るかくるくると表情を変えて悩む彼女。


だけど敬語より何より、私にはどうしてもまず解決しなければならない問題が残っている。


「ねぇ」


なにー、と相変わらず表現し難い顔を向けた彼女に。


もう一度、ここから始める、二人の一歩。


「─貴女の名前を、教えて下さい」




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