新たなるYahoo!ニュースにて、

アンドロメダ瞬も
「少女のような外見をしているが、男として存在している」
ことに意義があった。

という記事を書いて頂いているのを見つけた。

その内容(下記参照)で、少し救われた。

男性性の権化のような兄が、弟を同性として認め愛情を注ぐ姿も、それを強調した。

「ステロタイプでなくても良い」

――それが作品の持つ重要なメッセージ性の一つであるのは間違いなく、アンドロメダ瞬は、その一翼を担うキャラクターであった。

アンドロメダ瞬を女性化させることは、逆にポリティカル・コレクトネスというステロタイプに嵌る結果となっている。

アンドロメダ瞬の性別が男であることによって成り立っていたいくつかのサイドストーリーも失われてしまう。

 瞬に思いを寄せる姉弟子の女聖闘士ジュネが単なる同僚になってしまうし、そして兄の一輝が修行地で心の支えにしていた瞬に瓜二つの少女・エスメラルダの立ち位置も原作とは異なるものになってしまう。


長くなるので、本文を抜粋して転記させて頂きましたが、ちゃんとわかってくれている方がいるんだと。


少し、落ち着いた。

だけど、この事件に関しては…

許せない気持ちで、
怒りの思いしかない。