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ぼくのメジャースプーン。



やっと読み終わりました、昨夜。











読めなかったなぁ、最後の展開。








なるほどね。









たしかにそれは僕にしかできないことだね。







…………って、ここで今気づいたけど、もしかして最後まで主人公の名前って出てきてないのか?!






うわ!

気付かなかった!












いやー。



非力な騎士は、格好よかったです。







こどちゃ並みに、大人な小学4年生でした。




泣きたいけど泣くことが出来ない、でも喉がうってなって空気がちゃんと肺に落ちていかない、そんな箇所がいくつかありました。





この人の他の本も読みたいな。









現実を消費するということ。




いま辻村深月さんの『ぼくのメジャースプーン』を読んでるんですけど、読んでて辛いです。










一番辛いのは、私の中に確実にある「市川雄太要素」。











「市川雄太」は、小説の凶悪要素担当の登場人物。








実に、凶悪すぎて、多くの読者が彼に対して、嫌悪感や憎悪を抱いただろう。







しかし、私には、彼の気持ちがなんとなく分かる。








私、まだ半分しか読んでないけど、この作品が好きかと聞かれて瞬時に元気よく「はいっ!とても!!」と返答できる自信があまりない。





そして、今現在、もっとも感情移入出来るのは私自身も憎悪の念を抱かずにはいられない「市川雄太」。




そこが、辻村さんのテクだね。




まだ半分だけど、別の作品にも手を伸ばそうという気にまんまとさせられてる。笑









市川雄太はうさぎ事件を通して、現実を消費した。

「うさぎ事件」という現実を消費した。




無論、マスコミは「うさぎ事件」を消費し、更に「市川雄太」を消費した。



そして大衆は、それらすべての現実を消費した。





今、文学講義でアメリカのセレブリティを扱っている講義を受講しているんだが、それともろ重なったからか、妙に「消費」という言葉がひっかかる。






私の勝手な認識の範囲ではあるし、勝手な概念ではあるけれど、自分も日々現実を消費している。






そして、ふと立ち止まると、自分が無自覚で大量の現実を消費していることに、驚き、また怯え、怯む。







カダフィが殺されたけど、私はこの現実消費が正直怖い。









消費世界の現代にしか生まれない作品だね。

































そしてね、「市川雄太要素」のこと。










これはさ、彼の気持ちが痛いほど分かる。








私の中では「市川雄太」を消そうと日々必死になってるんだよ。








動物好きだし、うさぎ好きだし、あんなことしないけど。ちがう、そこじゃなくて。









彼が秋先生の言う「悪の王様」になりたがっているわけないのも、分かる。








的を得てもいないのが分かる。











「被災地に何かしたい」「政府なんとかしろ」「増税?ふざけんな!」



こんな世の中に飽き飽きしてる。









恵泉生が書くガキの感話と何が違うの?






正論が何かなんて分かってる。





綺麗事を並べたところでなんの解決にも結び付かない。





具体的に動き出さなきゃ、石ころ一つも動かせない。









市川雄太の表現方法は凶悪以外の何ものでもないと思うけど、彼の叫びは私の本音と同じです。







たぶん、これが現代社会に対する作者の叫びでもあるんだろうな。










明日か明後日には読み終わりたいと思う。





ふみちゃん、帰ってきて涙


わがまま。

まず。
















今日、私によって不快感を覚えた方、大変申す訳ございませんでした。



































人に不快感を与えずに、ちゃんと自分の言いたいことを簡潔に人に伝えられる人になりたい。
































なんか、ぐるぐるしてるから、単刀直入に書くから、読まないことをお勧めします。







でも、ごめん……、なんか。ごめん、やっぱり書く。

















































































言いたかったことは、やらなくなったことじゃないんだ。








システム的なこと。











やっぱり、違和感しか感じなかった。









じゃあトップ会っていったいなんだったの?











あんなもう物事の結果は出てて、それに対しての意思確認ってなに?
















私はトップとして、トップ会にでてる。











トップ会のペク・コンミスが、アンコールをやらないことを決めました、報告です、って言われて、申し訳ないけど、憤りしか感じなかったよ。









他人は知らないけれど、私はそんな「いーですか?」「いーです!」のテンション、そんな軽い気持ちでトップ会に出てるわけじゃない。



























ひらの2ndトップが大げさ。自分のことしっかりやってから物を言えって言われて当然だと思う。










でも、申し訳ないけど、私はオケのことを考える場に、そんな軽い意志で臨んでいるわけじゃない。













もちろん、企画のみなさんに比べたら全然軽いのは承知ですけど。
































みんな練習してきたのに、今更やりませんってなって申し訳ないという意見だっていうのも分かる。








でも、その感情論をここで持ち出したら収集つかなくなる。














でも、私が言いたいのはそこじゃなくて。

























トップ会のコンミス・ペクが話し合って、決めたって言われたら、本当に本当に申し訳ないけど、意味が分からないとしか言えない。






だってそれって、たとえば選曲会で弦だけで話し合って、あ!ワーグナーは弦的に無理なんで切りました!っていうのと何が違うの?



いうまでもないけれど、ここで論点にしたいのは理由じゃないんだよ。



弦個別の理由、全体を考えての理由、そこじゃない。






一部の人で決めたっていう事実が、私はどうしても納得がいかなかったんだ。











だから、私があの時言いたかったのは、「企画の演奏面担当のコンミス・ペクが、今回の演奏会はアンコールをやらない方向で進めていくことを決定しました。理由は以下の通りです」っていう形式であれば文句はないってことなの。







企画会というオケをまわす中心が、トップ会・選曲会・フロント・内政・渉外・先生方のご意見他を、すべて平らに見回して、このような結論を出しましたっていうのならば納得がいく。



なぜならば、全体を見回すためにあらゆる職のトップが集まっているのが企画会だし、今年の運営はこのメンバーに任せるということで、就任式で皆承認したんだから。


企画の運営には文句はないはずだから。








だけど、………うん、もういいや。笑










なんか虚しくなってきたわ。笑















こう締めくくるののは私の本意じゃないし、これでまとめるのは失礼だし安直だとも思うけど、ただ、今日の私の印象。


















思ったよりも全く信頼されてないんだね。笑




かなしいし、くやしいよ。







………こんなの私の完全なわがままだけどね笑



























不快にさせちゃってごめんね。





急遽3年Vn飲み!


きまてぃが風邪ということで!








3年Vnで飲みにいってきました!







超楽しかったです!!









やっぱりみんな大好き!










がんばろっ!


しゃばだばーーー!!

先生tuttiでした!










ぬあー!











どんどん迷走してきたお!













でも、私、本気でベラ氏に惚れたいんだ!












だから、地の果てまで追っかけてやるー!





















そのあと家田先生杉本先生飲みでした!









久し振りの樹屋イイネ!
















杉本先生、超かわいかったんですけど!!





















すごい良かったよ!大丈夫だよ!という言葉を素直に喜べないのは、私のこのひねくれた性格のせい?それともトップというか執行学年だから?











おかゆさんにね、せっちゃん痩せたねー!ストレスあせあせ!って言われたんだけど、ストレスだと思ったことはないんだよね笑











あんね、やっぱり執行はそれはそれなりに苦しいことだって大変なことだってある。





でも、執行だからもらえた喜び、味わえた幸せの方がもっともっとあるもん!










それを前期しっかり宝物としてもらってるからね!













だから、後期は、複雑なのかも。













大変の先にあるものを一度味わってるから大変なことを頑張ろうって思えるある種の安心感。





それとは逆に、前期みたいな気持ちになれるか、って不安感。















なんにせよ言い切れるのは、何よりも悲しいことは自分のやっていることや自分自身を信じてあげられないことだと思うから、独裁!って罵られることを恐れず、今出来る地道な地味な努力を惜しまずやろうと思います。













さあ、地道にてるてる坊主つくるぞ!









虹を見るために!!









……なーんてねっ!笑













以下私信!



▼追記
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