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大荒れ警報

先に言っておきます。ベロベロに酔っ払っています。字が三重に見えているよー。初めてこんなに1人で家でお酒飲んだ。


留学の時にお世話になった人が死にました。

今年はこんなんばっかりだ。

思い出話なんてしたくないけどはやすぎるだろ。先々週メールしたばっかりだよ。なんでだよ。

繁忙期来た感がすごい笑

今週が山だな!と思っていましたが、来週の2日間も結構ハードだった!笑



でも18時には帰るように言われたのでだれか遊んでくれないかなーーーー!






最近ほんとイラストレーター度合いががちすぎて笑えます笑

ずっと加盟店さんが店舗で話すトークと、そのツール作っている笑

お絵かきと思われるかもしれないが、自分で言うのも変かもしれないけど、これが全然簡単じゃないんだなー笑



絵を描くのが大変ってことじゃなくて、
トークの中でお客さんの目に止まって記憶に残って欲しいキーワードを目立たせて、しかもスタッフさんがそのツールを見たらトークを覚えていなくても話せるツールにする必要があるのです。

毎日のっぺりしたA3に敷き詰められた言葉の羅列から、引き算して引き算して引き算しています。

くそーーーーとても脳みそ使う笑


面白いのよ、A4の紙に紙芝居みたいなのを書いてそれを見せながらするトークだとするじゃない?


そうすると、もちろん、どこまでの内容をその一枚に書いて、どこから次ページに飛ばすか。

つまり、この内容は紙の冒頭にくると内容が少し強すぎるかもしれないな、とか。
この内容が目に触れる状態で次のトーク聞いてもらいたいなと思ったら同じページに入れるようにしたりとか。

描く文字とかもサインペン3種類とボールペン1本を使って、

紙に書いてお客さんの脳裏に焼き付けたい言葉、

紙に書いてトークでは話さないけど(長くなるから)視覚的情報で入れて欲しい言葉、

紙に書いてスタッフの手助けをして欲しいけどお客さんの目にはあんまり入れたくないカンペの言葉、

とか。



人の目は、紙にある情報のどこから処理始めるのかとか、ここに目を向けさせたいのになかなか向かなくて試行錯誤したりとか。

人が無意識にしていることを解明しながら推敲中。

下書き終わったらから明日からカラリングをしますが、同時進行で大分でトライアルを走らせます!

実績出ますように……!!!




大人というかなんというか




年だけ重ねて中身は全然変わっていない勘違いやろう過ぎる自分がとてもとてもきらい。




マチネの終わりに


すごい時間かかったけどもやっと読み終えましたー。



ひゅー。





先週かな?1ヶ月くらいかけちゃったけど笑



言葉の選び方、並べ方がとても好きでした。




登場人物がとんでもなく嫌いになって久しぶりに布団に本を投げつけました笑 三谷さん嫌い!!!!


女はそんな時にも自分の事しか考えていないんだなぁと、自分がどう思われたくないかという視点で振る舞うんだなぁと思うと自分も含めて反吐がでる思いでした。


にしても、自分の人生と共通項が多すぎて違う意味でドキッとすることが多かった。
例えば、物語のスタート?は2006年なんだけど、その時に主人公の1人がパリにいたりして、あー!私もいた!あった!そんなニュース!とか思ったり。2007年6月8日か9日が出てきて、これも私にとってはすごい大きな日だったからびっくりしたり。ある女の子を必死で助けたり。私も昔2回か3回かかった手足口病に主人公の1人がかかって爪が剥がれたり。主人公の1人がPTSDだったり。色々あった深まった秋にいきなり日本海ふらっとひとりで見に行ったり。

色々なんというか重なる部分が多くて、なんというか、内容というより名詞的な意味でね笑、わおと静かに驚くことが多かったです。

桜が咲いてるね。

うちの近所もとても綺麗です。

でも見に行ってないや。苦笑

さくらさくころ

頭がぐるぐるする。。


なんか。どうしても桜が見たくて。


でも桜って、なんていうのかな…ちょっと違うんだよね…。

一緒にみたいなあと思う人が限られるものなの、私にとって。






私、いなくなった人って少し時が経てば、私頑張って生きるから見守っててね!っていう温かく守ってくれる存在として神々しい存在としてしか思いを馳せないんです、が。



どうもこの桜の季節だけはちがう。


この季節花を見上げると、あの人は今年のさくらを知らないんだなあ、と。


たったそれだけの現実が、あの人と私の間に静かにあって。


それがあの人と私の決定的な距離で。



ただただ隣にいないことがどうしようもない虚無感と焦燥感と。

そしてただただ寂しいとおもう。


その人の存在がいきなり等身大になるから、普段思い出すのと比にならないレベルで近くて、それと同時に途轍もなく遠くて。



だから桜を見るとなんだか泣きそうになるんだとおもう。

そうやって何年も何年もきっと色んな人が色んな人を想って見上げてきたのかなぁと。





なんか昨日突然そんなことをおもった。



泣きたいのは私じゃないのに、勝手に涙が出そうになった。











なんかどうしよもうなく、一緒に観に行かないといけないと思って。

正直結構キツキツな時に(私が仕事が結構立てこんでいるんだけどねいま苦笑)それでもなんとしてでもなんか絶対一緒に行きたいと思って行ったんです。


完全に私の我儘に付き合ってもらいました。



たぶん、たぶんだけど、その勘は多分外れていなかったんだとおもう。


(K君のひめちゃんの時と同じ直感だったんだけどたぶん間違っていなかった)





なんであんなに、あんなにぎゅってしたんだろう。

あの時、あの桜並木で私はなんて声をかけてあげればよかったんだろう。

いま思えば、なにも言わずにただただ一緒に歩く以外のことが出来たんじゃないかなと思って。





大丈夫だよ。



私はどこにもいかないよ。


ずっとここにいるよ。


絶対あなたより先に死んだりしないよ。


ひとりぼっちなんかにしないよ。



と。






一晩だってやっと少しことばになった。



私は抱きしめ返して良かったのか、分からなくて。なんかもっとつつんであげたかった。

やさしくくるんであげたかった。




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