QF*1


 村の傍らにある森。そこには、一軒のログハウスがあった。魔物の巣窟だとか女の子が監禁されているんだとか、噂は様々あったけど、どれも確証はなかった。そんなある日、村の誰かが言った。
「あそこには竜神さまがおられるのだ。興味本位で近づけば何があるか分からんぞ」と。
それからは、誰もそこに近づかなくなったと伝えられている。



 朝を告げる鳥が鳴く。重たい瞼を開けると、窓から柔らかな日差しが入り込んだ。窓を覆うはずのカーテンは、両側でひらひらと揺れていた。

「閉めたはずなのに」

ゆっくりと身体を起こし、行動する。自分はそんなに疲れていたのだろうか。昨日は一日中 本を読んでいただけなのに。何にせよ、不用心であることに変わりはなかった。

「今日の予定は、買い出し…っと」

カレンダーにメモを残すと、簡単に身支度を済ませた。それから卓上の写真立てを手にとり、そっと抱きしめる。これが日課なのだ。

「じゃあ、いってきます」

そう微笑んだ彼女の声は、とても寂しそうだった。"いってらっしゃい"なんて返ってこない。



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 フェアス村は、人口が至極少ない。それほど小さな村なのだ。故に、村民のほとんどが商人である。しかし、月に一度だけ大規模な市場が開かれる。外部からの参加も多いため、その日は一日中賑やかだ。
今日がその市場の日であった。

「必要なものは買ったし、たぶん買い忘れもない。うん、大丈夫」

長時間の外出はなるべく避けたい。特に今日みたいに人が多い日は尚更だ。
森へ帰ろうと向きを変えた。

「あ」

振り向いた先にいた人物に目が止まった。ツンツンとした固そうな髪。色の割にあまり目立たない金色。働き者の彼は今日だって忙しいはずだ。だが仕事が一息ついたのか、店の傍らに積まれた木材に腰をかけ、緑色のヘアバンドで滲む汗を拭っていた。アルトはそっと近づいて、その隣に立った。

「テディさん」
「え、あ…アルト!?」

アルトの姿を確認するや立ち上がり、勢いよく離れてしまった。

「あ、いや! 俺、いま汗かいてるから!だから…その」

臭うから、とどんどん距離を置くテディ。「気になりませんよ」とアルトが言うも、その距離は縮まらない。彼の顔はほんのり赤くて、理由がただそれだけでないことは明確なのに。鈍い彼女はそのことに気づかないまま、近づいていく。
だめだ。これじゃ埒が明かない。そう断念したテディは深く息を吐くと、再び木材に座った。
それでも彼女が隣にいると思うと、落ち着かない。

「め、珍しいね。今日みたいな日にアルトが村に来てるなんて」

「買い置きしていた食材がなくなってしまって。あ、でも、久々にテディさんに会えたので嬉しかったです」

「そ…そうか。あああでも、アルトも元気そうで良かった。ちょっと心配してたから」

「心配、ですか」

テディの話によると、どうやら最近タチの悪い山賊があちこちに出没して、盗みを働いていると問題になっているらしい。一番新しい情報だと、アグナドームというフェアス村の隣で被害が出たとのこと。

「アルトって一人暮らしだろ。しかも、人が寄り付かないフェアスの森に。だからちょっと気になってたんだ」

「あ、はは。テディさんったら相変わらず心配性ですね」

「それは…ほら、その、アルトだし」

「え?テディさん、何か言いましたか」

「いややや!なんでもない!」
「ふふっ」

まるで兄のように自分を気遣ってくれる、それが擽ったくて嬉しかった。

「あー楽しかったです。でもそろそろ帰らなきゃ」

「え、もう?うちの店に寄って行けばいいのに。あ、いや…あれだって!ばあちゃんも会いたがってたしさ」

いつもなら そのまま別れる。いつもなら。でも今日は違った。このまま帰らせちゃいけない、そんな考えがテディの中にはあった。本人でも何故だか分からない。
こういうときの勘は嫌なくらい当たるのだ。アルトも、普段と違うテディの様子に少し困惑していた。

「…じゃあ、荷物だけ置いてきます。傷んでしまうので」

少し考えた結果、そうテディに告げた。彼も、これ以上アルトを困らせたくなかった故に承諾した。

「わかった。じゃあ俺、ここで待ってる」

「はい。すぐ戻りますから」

森へ帰っていくアルトを見送りながらも、その不安は大きくなるばかりだった。