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38歳になりまして

ご無沙汰です。

ご無沙汰中に会社では昨年から管理職になりました。
本当に仕事しかしていないから、すっかり老け込んでしまって、もし又あなたや友人に会った時に気づいてもらえないのでは?と危惧してしまいます。

三年ぶりのブログのようですが、あまり面白いネタがなくて申し訳ないです。

出張が多いので北海道〜九州まで転々と移動しているのですが、特に関西にはよく行くので最近では魔の梅田駅もなんとか目的地に到着できるようになりましたというのが最近の変化でしょうか。

それくらいですかね、あとはあまり面白いこともなく過ごしてます。

仕事は本当に上からの圧力が凄いし仕事も多いけど、ただ、部下はとてもかわいいし、なかなかの激務と扱いを心配して会社経営者してる友人から自分の会社に来るかというお誘いもあって、一方で優しい人たちもいます。

つぎは充実した内容を載せられたらいいなと思います。

すっかりご無沙汰しています


ささおです。

何やらすっかりご無沙汰してましたが、この数年仕事漬けでした。

職は変わってないが、俺も今年35になるし昇進もして中堅として部下も何人かいてお偉いさんには時々ドヤされ、目の前にある山積みの仕事をがむしゃらに片付ける日々を送り、気づけばおじさんに差し掛かってしまった。


俺が忙しくなってすっかりあの人に会える時間がなくなってしまったが、あなたはどうしているだろうか。
あなたはあの頃とても色んなことがありナーバスだったから心配だが、元気でいてくれているだろうか。

会議で本社に行く度に喫煙所から見えるスカイツリーを眺めては、あなたは忘れているかも知れないが、一緒に行こうと話していたことを思い出すよ。あの頃は丁度スカイツリーが出来たばかりだったからね。

もしあなたが今誰かと、或いは別の場所で幸せに暮らしているのならばいいと願うばかりです。

そして数少ない友人達よ。
君達も幸せに。

20150709

TEST


久しぶり


久しぶりだな!

震災後なんやかんやで職業柄仕事がどわっと増えて、ありがたい事に仕事に困る事はなく、忙しい日々を送っている。
いやまあ、前から日記サボってるけどなー。

俺のプライベートな近況は、なかなか会えないがいわゆる旦那さんとは相変わらず続いてる。3年位になるが今も変わらずラブラブだ、と俺は思ってるんだけど、やっぱりなかなか話しもできないからなあ。

友達とはたまに和幸くんが遊びにきてくれる、もちろん留守がちで滅多に話し出来ないんだが、こないだも数ヶ月振りにきたみたいだけど仕事してて痕跡しかわからなかった。ごめんなあ。

最近アイスクリーム屋みたいな年齢になったからプロフの年齢を更新したぞ。
写真もな変えたいのはやまやまだがしばらく撮ってないもんだから、髪型もすっかりパーマネントから卒業したのにあのままだ。
まあ特に困らねぇか。

そういえば久々に誰も来ないようなこの日記に来てみたら、一応観にきてくれた人もいたから正直奇跡かと思ったさ。



ちなみに画像だが夏に行ったサファリパークで妙にくっついてきたカワイコちゃんだ。
かわいいだろ?俺は心の中でホセって呼んでる。情熱的だからだ。
ホセ画像横になっちまったがもう面倒でなおさんよ。


ではまた

被災者と非被災者


被災された方にお悔やみを申し上げます。





昨日の夜帰れて、俺の住んでる所は震度5だったと聞いた。
自宅は部屋の物が散乱していただけで、たいしたことない。

当日は仕事をしていて、多分職場で早い段階で気付き。同じ部屋にいた上司に『地震じゃね?』と云っても上司は気付かず、机の上の試験管や生理食塩水が波打っているのを見せていたら少しずつ大きくなってきた。
まだ揺れは少なかったがヤバいと思って、上司に窓や扉を開けないとと云って二人で部屋を飛び出し、工場現場内に無理矢理駆け込み。
上司は一番奥の現場の避難経路を確保して誘導、俺は手前で戸惑う従業員に手前側の一番近い出口で外に出る事を促し、見える範囲の人が避難した事を確認したあと、奥に孤立した加熱室に逃げ遅れた人がいないか駆け込むと。案の定パニックになった外国人とその人を宥めようとしている人が二人残っていて、二人を避難経路に誘導しながら歩くんだが…足元がトランポリンの上を歩いているようで覚束ない上にパニックになった人が階段を踏み外したりで外に出るのに苦労した。
一度外に誘導した後、自分の作業に使っていたガスバーナーを消してない事に気付き実験室に戻ったが上司が消してくれていた様で安心した。

取り乱した人も余震も続いたが皆無事で、支社内は被害はなかった。本社のパソコンが全部ダメになった程度。

その後例に漏れず、家族と連絡取れず、仕事が終わっても交通機関は全滅。
家族が心配で国道を徒歩で3時間歩く覚悟をしたが、便乗した犯罪が増えると止められ、何人か会社に近い人が泊まれと云ってくれたのでお邪魔することになった。
夜になって家族と連絡が取れ無事を確認。

余震が尋常でない回数というか…ずっと揺れっぱなしだったから、相当酷い天災なのだと思ってはいたが…テレビを見ると想像を絶していたもので…ずっと何となく息苦しさを感じていた。昨夜やっと家に帰って今まで爆睡して目が覚めたら、ようやくもとに戻った気がする。

被災地にいる友達はほぼ無事を確認したが…仙台の友達の中で確認取れていない奴が…。
きっと同じように安否の解らない不安を抱えている人が沢山いるのだと思う。

******

PTSDは、被災者に何もしてあげられなかったと云う思いでなることが多いそうです。
被災者が非被災者に対して『元気な人が元気で普通に暮らしていてくれる事が嬉しい。非被災者だからといって普通に生活している事が不謹慎だとは思っていない』というようなコメントを見ました。無事な人の中にはこのコメントで少し救われる人もいるのではと思い、こちらに書き込んでおきます。

尚、救援物資は日本赤十字社に送れば被災者に確実に分配されます。
円滑に救援物資を届けるにはお金が一番手っ取り早いという事です。
身近に救援物資を自分で運びに行った方が居ましたが、当方は必要な場所に均等に分配するには恐らく赤十字社等を介した方が良いと思っています。それに、被災者の方々もむやみに他の方を危険にさらしたくはないと思います。
救援物資は被災直後もそうかと思いますが、今後継続する事が必要なのではないかと。

いろいろ勝手な事も書いていると思いますが、ひとつの意見として。
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