怒涛の年末でした。
一日、一日が、なんだかとても長くて。それでいて短くて。

というのも、猫さんが急激に弱ってしまい
看病というか、介護というか。
食べられなくなって来て、だんだん小さくなっていって、
最期の夜は寝ずに様子を見ていました。

そして 次の日の昼間 私が仕事に行ってる間に
目を瞑ってしまいました。

自分の死ぬ瞬間を看取らせると、
私が悲しむと思ったのかなー、って。
悲しませないように、ひとりの時に、目を瞑ったのかな、とか。
優しい子だったから。

食べられなくなったカリカリの代わりに
ささみを茹でて、細かくして。
もんぷち混ぜたり。かるかん混ぜたり。
色々 工夫はしたのだけど。

倒れていたのはトイレのそばで、
ちゃんとトイレに用を足した痕跡があって。
お布団戻る途中で、力尽きて、倒れて、そのまま。って感じでした。

あんなに食が細くなったのに、死んだ後も毛並みは良く。
火葬場の人に、「毛並みがとても綺麗ですね」と言っていただけました。
(私の愛し方が間違ってなかったと言ってもらえたようで、その言葉に正直少し救われました。)


猫さんがいなくなって、
食事をテーブルに置いても目を離せるし、
オネダリを断って罪悪感に襲われることも無くなったし、
ガスコンロだって今までより気を使わなくていいし、
洗濯物を干す時もベランダにゆっくり出られるし、
外出する時も電気をお留守番モードにしなくていいし、
旅行にだって行けるし、

そういう、
1個1個の 何何できる、が。
とても 寂しくて仕方ない。です。


たまたま通った いつもと違う通り道で
手のひらサイズの命を箱の中から拾い上げたのが
2009年の5月4日。
この14年間、私が死ぬほうを選ばずに
生きることを選んでこれたのは
間違いなく猫さんのおかげでもあったと思います。

嫌だな、寂しい。
もう少し 一緒に居たかった。です。

ありがとうは、生前、伝えられたから
後悔は少なくて。
覚悟する時間を作ってくれたところも、また、猫さんの優しさだったのかなと。


うん。

私、生きていける。

でも なんだか 心臓の半分くらいが、ゴッソリ欠けた気がします。



写真は亡くなる前日。
お腹によじ登って来た時に撮ったのでした。
ね、ほんとに 毛並み、綺麗でしょ。




top

-エムブロ-