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己の考えを押し付けることの愚かさ
20141208Mon 14:43
[日常]

己の何かを否定された時に大切なのは否定されたという事実だけに焦点を置くのではなく、なぜ否定されたのかを考えることだ。受け止め、その上で己がどうあるべきか考えるのが常。その結果そのままで在るのか変わろうとするのかは己次第。

必ずしも否定されれば被害者、否定すれば加害者というのは間違いだ。相手のため、時にはお互いのため、環境を善くするため…指摘し合うことは必要だ。誰もが自分勝手にしていてはいけない。最低限の決まり事は必ずある。それに気付くか気付かないか。気が付かないから指摘されるだけ。

なぜ指摘されたのか、どう在るべきか。もし己に否があるのなら、それを認め受け止め改善すればいい。そうすれば指摘されたことに感謝することができる。己では気付くことが出来なかったことに気付かせて貰えるのだから。

己に否がないのなら、相手の意見を受け止めた上で己の在り方を伝えれば良い。それで解り合えれば良い。解りあえなければ解り合えるまで話し合うか、他の解決法を探さなくてはならない。

どちらにしろ相手の言葉を受け入れずに己の考えだけを押し付けてしまうようでは相手に理解されるはずもない。まず相手が何を言いたいのか何を求めているのかを理解し受け止めなくては己のことも相手に伝わる筈がない。己を知って欲しくば相手を知らなくてはならない。

相手を理解しようともせず己を押し付けるだけで理解して貰えないと嘆くのはお門違い。被害者面して泣き言を言っていては同情を煽っているという風にしか捉えらず、より一層、反感を買うだけだ。

また直接言われたわけでもないのに己のことだと思い込み、見ず知らずの相手にわざわざ暴言を吐きに出向いて行って自分が被害者だと主張されても同情する余地は全くない。己のことを貴方は言っているのだとわざわざ教えに行っているようなもので己で己の首を締めているだけだ。
行くのなら冷静に話に行けばいいのに前触れなく喧嘩腰に行ってしまっては、突然暴言を吐きに現れた見ず知らずの可笑しな人物にしかならない。それでなぜ己が被害者と思えるのか理解に苦しむ。まず、なぜ名指しされた訳でもないのに己のことだと思ったのだろうか?謎は深まるばかりだ。

己が傷付くと分かっているのにわざわざ他者の発言をこまめに見に行くという行為も不思議でならない。なぜわざわざ傷付くだろう人物の発言を覗く必要があるのだろうか?何をしたいのかよく分からない。此方も理解しようにも理解し難い行動ばかりされてはどうしようもなく放っておくしかないと言うもの。言いたいことを言って去っていったが尋ねても返しては来ないし、口と行動の矛盾から結局何をしたくて何を求められているのか分からず、どうしようもないのが本音。

此方も相手を理解できず、相手も此方を理解しようとしていないのなら結論は1つで放置するしかない。どうしようもないのだから。お互いに理解し合わなければ話し合いなど成り立つ筈がない。

話題:人間関係



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