テキトーな人に憧れるが、


他人から見たら、私はテキトーな人間なのかもしれない。。


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これは、


『自分を厳しく律し過ぎる人』


のお話だ。


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意識の中で、


自分を責めているなら、


後悔して落ち込むなら、


ある意味普通だ。


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そーじゃーなくて!


「意識の外」


『無意識レベルで責めていたり、後悔していると』


コレはかなりやっかいな話だ!!


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「自分のしていることがユルセナイ」


と、無意識に自分を責めていたとすると、


先ず、発見が難しい!!


自覚が無く!自分を責めているのは、


分からない間に、自分を切り刻んでいるようなモノ。。


それが、


心が弱くなってしまうのか?


体に異変が出るのか??


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耳が聴こえにくくなったり、

肩が重かったり、

頭が痛くなったり、

腰が痛くなったり、

味を舌ベロで感じなくなったり、

潔癖症になったり、


等々。。


思い当たる節が無く、体の異変が在る時は、


「心の病」「ストレス」


が、原因だと思う。


・・


自分の暮らしを、事細かく他人と比べ、


その環境下からの原因は、


まだ見付けやすい。。


他人と比べれば解る事なのだ。。


・・


しかし、


『”無意識”の自分をユルセナイ感覚』


は、無意識だけに、


比べようが無いし、


『気付く事さえ出来ない!!』


だから、


とても恐ろしいのだ。。


・・


(まぁ、こんな自分も仕方無いかぁ。。)


と、無意識レベルで許す事が出来ている自信があると、


言い切れるだろうか。。?


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『自分を愛して、重要だと思う他人も愛する』


自分だけを愛する人もいれば、


他人の為に必死になり過ぎる人もいる。。


”バランス”と”コントロール”が必要だ。。


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何だか不思議なのだが、


私の近くには


「無意識レベルで自分をユルセナイ人」が多い様な気がする。。


『自分許して、どんな自分も認めてあげる』


”優しさ”と言うか、


『心の在り方』


が、必要な時代だ。。


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コレは、


平和である事の、心の戦いなのだろう。。


もっと”余裕が無ければ”


必要では無い問題の筈だ。。